第15話 相互的関係論
村長は意味深な言葉を零したけれど、追及する間もなく話を切り上げられてしまった。ボクは戸惑っているけれど、村長はうんうん、と頷いてどこか楽しそうだ。
「そういえば、自己紹介がまだだったの。眷属様よ」
「サクラです。敬語も使わなくて大丈夫です」
「そうかの? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかの。わしは二宮寿郎じゃ。元々はこの村の小学校で校長をしておってな。御空は六年生のときに引っ越してきたからわしにあまり馴染みがないじゃろうが、あとの三人は生まれたときからよう知っとるんじゃ。村の子は村のみんなで育てるのがこの村らしさじゃからな。サクラも、この村で大きく育つんじゃぞ」
「はい、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
村長は距離を詰めるのが上手い。あっという間に緊張を解かれて、初めて会ったのにそうは感じさせない距離に当然のように座ってしまう。これまでたくさんの人と接しながらこの世の中を渡ってきた中で身につけられた高等技術のおかげで、ボクは一切の警戒の体勢を取れなかった。それが逆に本能的な警戒心を刺激するけれど、信用したいと思っている四人が信頼している相手だ、と飲み込んだ。
「それじゃあな、サクラも疲れとるじゃろう。今日はこの辺でお暇させていただくとするかの」
急によっこらせ、と椅子から飛ぶように降りて立ち上がった村長からは、朗らかなオーラは感じられない。ボクの警戒心を読み取られたのではないかと内心ヒヤリとしながら、ボクは時計を確認してから立ち上がった。
「わざわざお越しいただきありがとうございました」
「ほっほっほ。立てるのかの?」
「皆さんのおかげで足を休ませることができたので、ちょうど村長と話し始めたころから痛みが引いてきたんです」
「そうかそうか。それは良かった。ではな。眷属様よ、この吉津音村の村人たちは皆わしの大切な家族なんじゃ。皆のこと、よろしく頼むぞい」
真剣な様子で深々と頭を下げた村長に、ボクも慌てて頭を下げた。来たときの倍くらいゆっくり歩いて立ち去ろうとする村長を琥珀さんが追いかけて行った。しばらく二人の話し声が聞こえたあとに玄関の引き戸がピシャリと閉まる音がして、大窓の外に琥珀さんに背負われた村長の顔が見えた。
村長の姿が個人を判別できなくなるくらいまで遠のいてから、ようやくボクの肩から力が抜けた。
最後の最後、村長はボクに向かって四人に向けたものと同じ顔で笑いかけた。その顔とあの言葉。村長が残した二つには信頼が込められていた。ボクの中ではグラグラと揺らいでいつ倒れてしまうかも分からなかったそれを、村長は確実なものにして立ち去った。
ここにいることで守られるボクが怖かったのは、一方的に相手を信頼して裏切られること。色守荘の四人が言葉にして伝えてくれるから信じられるそれを、この村の人全員に対して信じる自信がなかった。自分でも何が怖いのかあやふやだったそれを、あの村長はあっさり見破って不安の種を取り除くことで、ボクからこの土地を立ち去りたいと思ってしまう気持ちを拭い去ってしまった。
信頼を得るためにまずは自分から信頼していることを伝えるその技術。そして出会ってから信頼を与えるまでの時間の圧倒的な短さ。あの村長は教育者としてかなり優秀な人なのだろう。琥珀さんたちを見ているだけでも伝わってくる人気や親しみやすさがあるのだから、村のリーダーとしても支持される理由が分かった気がした。
「サクラ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
少しばかりあどけない笑顔を残したままの千歳さんに声を掛けられて、座るように促された。ボクが座ると、助さんがボクの前にクッキーを差し出してきた。
「食べられてなかったでしょ? 興味があったら食べてみて欲しいな」
完全に村長のペースに呑まれて紅茶にもクッキーにも手を付けられないでいたのを見られていたのだろう。ありがたく一つ口にすると、口に入れた瞬間にバターの塩味が漂いだす。そして歯でさっくりと、ほろほろに崩すとかぼちゃの風味が口の中にふわりと優しく広がった。噛めば噛むほどにかぼちゃならではの甘みが口中に溶けだして、ほんの少しの苦みも感じられる。
「とても美味しいです。クッキーなのに、ちゃんとかぼちゃの風味を感じられて、嫌な甘さがないと言いますか、素材本来のよさが存分に生かされているように感じます」
「ほんと? ありがとう」
嬉しそうに自分もクッキーを口にして、頬に手を当てて幸せそうな声を上げる助さんを見ながらすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。冷めてしまってもなお感じる優しいりんごの甘みと紅茶の香りの高さ。冷めてしまったからこそ砂糖の甘みも強くなったおかげで、りんごの風味と紅茶の渋みもやや強く感じる。かぼちゃクッキーの良さを打ち消すことはなく、それでいて自分の良さを隠すことなく曝け出す。お互いに甘みの強い者同士なのに、お互いが少しずつ持っている苦みがいいメリハリになって飽きさせない。むしろ癖になる。
「なんだか、ほっとします」
「そうですか? それならよかったですけど、温かいものも飲んで欲しいので淹れ直しますね。千歳と助はどうしますか?」
「お願いしたいな」
「頼む」
「了解です」
全てのカップをお盆に乗せてキッチンに向かう背中を見送りながら、止まらない手をクッキーに伸ばす。目を閉じて味に集中していると、キィッと椅子を引く音がしてパッと目を開いた。立ち上がった千歳さんは黙って部屋を出て、すぐに階段を上がる音がした。どうしたのだろうかと思いながら口を動かしていると、すぐに足音が戻ってきた。
やかんがふつふつと囁き合う中戻ってきた千歳さんの首には、見慣れた黒いものがかけられていた。
「千歳、どうしたの?」
「いや、眷属様が来たって琥珀たちが広報に載せるだろうから、先に写真を撮っておこうと思ってな」
「どうせ言伝の方が早いでしょうけどね」
「まあな」
キッチンから会話に参加した御空さんの言葉に苦笑いを浮かべた千歳さんは、そっと手の中のものを撫でた。
「それでもこれが私の仕事だからな」
そう言って撫でていたカメラを軽く持ち上げた千歳さんはボクを手招きした。
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