第9話 仮面と呪縛
side 紺野サクラ
「サクラも、何か悩んでいますよね」
御空さんにそう言われて、ボクは一瞬体が固くなった。でもすぐに使い慣れた仮面、穏やかな表情を作って首を振った。
「悩んでなんていませんよ」
「本当に?」
「本当です」
訝しがる御空さんだけど、絶対誤魔化せる。ボクの仮面を見破れる人なんて、この世にいない。ポーカーフェイスを維持するボクをジッと見つめた御空さんは、一つため息をつくと眉を下げて笑った。
「サクラ。俺には嘘をつかなくてもいいんですよ」
御空さんはあっさりとボクの仮面を見破った。重たくて分厚い仮面を必死に抑えるボクの両手を呆気なく外して、暖かく、包み込むように抱きしめた。
「俺とサクラは、少し似ています」
驚きのあまり固まるボクの頭をゆっくりと何度も撫でる御空さんは、悲しそうに小さく呟いた。
「どういう意味ですか」
「周りのことばかり考えて、自分の気持ちは後回しにしがち、というより忘れてしまいがち、ですかね。違いますか?」
耳元で囁くようにそう言われて、少しそうかもしれないと思う。でも、ボクと御空さんには決定的に違うところがある。
「そうかもしれません。でも、ボクには御空さんみたいに相手のことを考えられるような優しさなんてありません。ただ、自分を守っているだけです。迷惑をかけたくないなんて言い訳をして、ただ、逃げているだけです」
しりすぼみになってしまったボクの声は、ボクを抱きしめたままの御空さんには聞こえただろう。なんだか虚しくて、目の前にあった御空さんの肩口に頭を預けて押し付けた。服に染み付いたきつねうどんのお出汁の匂いに気持ちが安らいで、ボクもそっと御空さんの服の裾を掴んだ。すると、御空さんはボクを抱きしめる力を強めた。
「サクラ。サクラが言った通りなら、俺もサクラと同じですよ」
御空さんが小さく鼻を啜った音が聞こえた。言葉を繋げなくなった御空さんとボクの間に静かな時間が流れた。
少しの間そうしていたけれど、服を加工しているはずの三人の騒ぎ声が聞こえると、身体を離して顔を見合せて吹き出した。
「千歳まで騒ぐとは珍しいです」
「確かに、イメージはできないですね」
二人でしばらく笑って落ち着いた頃、御空さんが静かに口を開いた。
「俺はこの家で唯一、この村の出身じゃないんですよ。昔はそれを気にしてみんなに気を遣って過ごしていました。今でもそれを言われるのか怖くて、嫌われないようにって優しいフリをして、ただ逃げているだけです。相手のことなんて考えていませんよ。俺は結局、自分のために人に優しくしているだけです」
御空さんは悪い人みたいな笑い方をするけれど、全然そうは思えない。そもそもその笑い方が不慣れそうで、滑稽に思える。
「本当にそれが全てなら、御空さんはボクが悩んでいるかどうかなんて分かりませんよ。だって、ボクに優しくする理由なんてないでしょう?」
「サクラは眷属様だよ? 優しくしないとバチが当たるって」
バカにするような口ぶりでそう言うけれど、これもやっぱり板についていなくて、わざとそう見せているのだろうと感じる。御空さんは自分を卑下してボクと同じステージに立とうとしてるだけ。自分では本当にそう思っているのかもしれないけれど、琥珀さんたちは絶対否定するだろう。
「御空さんが人に優しくすることが御空さんのためになったとしても、それだけじゃ困っている人なんて見つけられませんよ。見つけられても中途半端に介入して終わりです。人の表情の機微には気がつけません」
ボクの言葉に驚いた顔をした御空さんの肩から力が抜けた。微笑んだ御空さんはボクの手をキュッと握った。
「ありがとうございます、サクラ」
何から開放されたように、どこかスッキリとした御空さんの表情を見て、ボクはホッと胸を撫で下ろした。それと同時に、人のためには自身の犠牲を厭わないこの人を守れるようになりたいと思った。
任された仕事として他のキツネたちの話を聞くことは今までにもあった。けれど、自分から誰かの気持ちに気が付きたいと思ったのは始めてだ。だから、具体的にどうしたらいいかは分からない。それでも、御空さんのことは守りたいと思う。
ボクが決意を固めていると、御空さんは寂しげな様子でボクの肩に手を置いた。
「やっぱり、俺のことをそんな風に言えるサクラだって、優しい子だと思いますよ?」
「御空さん……」
「この家に来てからずっと、俺が悩んでいることには誰も気づかなかった。ううん、それは違いますね。俺は誰にも気づかれないようにしていました。それを見れば分かると見抜いたサクラは、周りをよく見ることができる子です。誰がその優しさを逃げだと言ったとしても、その才能は素晴らしいものだと俺は思います」
伺うように下手に出る言い回しではなく、はっきりと真っ直ぐ矢のように放たれた言葉がボクの心に突き刺さる。言葉の矢が刺さったところからじわじわと広がる暖かいものが、凍りついた心にヒビを入れて溶かしていく。
御空さんがゆっくりと手を伸ばしてボクの頬に触れる。ボクの濡れた頬を拭う御空さんの手に自分の手を重ねて握りしめた。
「……御空さん」
「はい」
「ひとりは、いや……」
一度本音が溢れ出すと、涙がまた量を増して溢れ出す。ボクはそれを止める術も分からずに嗚咽した。
どうにか止めないと、そう焦ってしまうほど止まらなくて余計に焦る。御空さんはそんなボクを抱き寄せると背中を一定のテンポで叩いてくれた。
「大丈夫、大丈夫」
男性にしては高いけれど、耳馴染みのあるトーンで落ち着いた声。柔らかいのに中心には固く揺るぎない信念を感じさせる声に、次第に気持ちが落ち着いてくる。そして落ち着いてくると自分の行動が俯瞰的に見えてくるもので、途端に恥ずかしく思えてきた。
「あの、ごめんなさい」
身体を離して俯くと、上から御空さんのクスクスと笑う声が降ってきた。
「サクラは何も悪くないでしょう。サクラが社じゃなくてここに住むことができるようにします。そうすれば、サクラは一人になることはありませんから。どうですか?」
「良いんですか?」
「良いんですよ? これはサクラが眷属様だから、とかではなくて。俺はサクラがどこか昔の自分に重なるんです。だから何かしてあげたい、という建前があった上で、サクラが俺に懐かないかなとか思ってんの。俺のわがままを聞いてくれない?」
あくまで自分のわがままで押し付けているだけ、そんな言い方を選ぶのは御空さんの優しさ。誰を真似しているのか、自己中心的な物言いはやっぱり似合わなくて、逆に優しさが際立っている。
「ふふ、そんな顔で笑えるんですね」
御空さんはそっとボクの頬に触れて、また親指で頬を撫でた。ふと物置の奥に目をやると、薄暗い場所に置かれた棚のガラス戸にボクの顔が映っていた。嬉しいけれど擽ったそうで、安心しきった顔。ボク自身もこんなボクの顔は見たことがない。
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