第7話 傷だらけのキツネ様


side 石竹琥珀



 千歳の言葉に、サクラはキョトンとした顔のまま固まった。それもそうだろう。ある日突然、お稲荷様のお告げでも何でもなく、ただの世話係の男たちからお稲荷様のお使いになれと懇願されているのだから。


 ハッとした後、うーんと悩む素振りを見せるサクラの白い耳が左右にぴょこぴょこ動いていて可愛らしい。そこに残る傷跡は血こそ止まったけれど、赤々と痛々しく白に映えている。


 ぼろぼろになって高架下の河原に横たわっていたサクラの姿。目を閉じればありありと浮かぶほど、まだ鮮明に瞼に焼き付いている。




 今日の朝早く、まだ太陽も登らない時間。俺はちょうど日課のランニングに出ようとしていたところだった。



「琥珀兄ちゃん!」



 呼ばれて振り向くと、村の小学生の一人、トシキが泣きながら駆け寄ってきた。しゃくりあげながらも必死に俺の手を引くから、しゃがんで視線を合わせた。



「どうした?」


「お使い、様……たおれて……!」


「お使い様が倒れてる……? どこで!?」



 俺も思いもしなかった事態に慌てて、ついトシキを急かしてしまった。そのせいでトシキはもう話せないほど号泣してしまった。



「ごめん、ゆっくりでいいからな」



 隠しきれない焦りを抱えつつもなんとかトシキを落ち着かせようとしたけれど、トシキは話そうと口を開けては声が出ない。それでもどうにか伝えようとしてくれたトシキは、俺の手を引いて色守荘の前の坂を駆け下りだした。



「トシキ!」



 かなり体力を消耗している様子でふらつくトシキを抱き上げて止める。するとトシキは泣いてつっかえながらもなんとか声を張り上げてくれた。



「川の、っ……橋のとこっ!」



 川に架かる橋はこの村に一本しかない。俺はトシキを抱きかかえたまま走りだした。


 河原の高架下が見えてくると、横たわる一人と付き添う二人の姿が見えた。土手の上でトシキを降ろして、ゆっくり下りてくるように言い聞かせてから急いで土手を飛び下りた。



「カズマ! マナト!」



 高架下の茂みのそばで座り込む二人の名前を叫んだ。まだ小学一年生のマナトの肩を抱いていたカズマは、俺の顔を見て途端に泣きそうになった。カズマもまだ小学五年生だ。怖かっただろうに、マナトの前だから堪えていたのだろう。



「琥珀くんっ、この子……」



 必死に訴えるカズマのそばに倒れていたのは白い耳としっぽの生えたキツネの子だった。お使い様と聞いて来たけれど、獣人とは予想していなかった。


 驚きのあまり少しの間固まってしまったけれど、上から聞こえた車の音にハッとした。高架の上は村の外の人間も通る村唯一の大通りだ。もし村の外の人間に見つかれば、大騒ぎになる。せっかく村にやって来てくださった眷属様だ、使命のままに、守らなければならない。


 お使い様は、俺たち色守の者は眷属様と呼んで敬う。基本的には色守稲荷の社と周りの森にお連れしてそこを縄張りと認めていただくように、と全国に散る家族から託されている。


 しかし、目の前にいる眷属様にそれは難しい。頭の先から足の先まで、至るところに塞がっているものからいないもの、数え切れないほどの赤い切り傷が目立つ。白く美しい毛並みには少し黒くなったものから鮮やかな赤まで、長い間流れ続けていたであろう血がついている。服も所々裂け、覗く白い肌にも赤が見える。



「まずは応急処置をするために色守荘に運ぶ。三人もおいで。落ち着くまで家にいるといい」



 三人が頷いたのを確認して、眷属様を抱き上げる。



「軽いな」



 見たところ身長は百六十センチくらいはありそうなのに、持ち上げると四十キロもなさそうだ。それに、首には他の傷とは明らかに違う傷跡が重なっている。分からないことばかりではあったけれど、とにかく三人を連れて急ぎ足で色守荘に戻った。


 それから助に軽く汚れと血を拭き取ってもらって、器用な御空には怪我の応急処置をしてもらった。千歳は他の稲荷神社の守り手に連絡して、必要が生じたときの援助の依頼をしてくれていた。


 その間に俺は御空が用意してくれたホットミルクを子どもたちに渡して、見つけたときの様子を聞いた。子どもたちは何やらこんな時間に冒険ごっこをして遊んでいたらしい。それも今日が偶然ではなくて、最近はずっと朝早くからあそこに集まっていたという。


 それであの子を見つけて、守り手である俺たちを呼びにトシキが走って、カズマとマナトは何かあったときのために残ったと言う。一年生のマナトと三年生のトシキ、五年生のカズマしかいない状況で、一番良い手を選んだと思う。


 落ち着いてきた三人はそれぞれの家まで助が送り届けて、俺は応急処置が終わった眷属様を様子見のために俺の部屋に運んで布団に寝かせた。見たところ女の子みたいだったし、着替えはあとにすることにした。布団は汚れるけれど、それは洗えばいいだけの話だ。


 すやすやと眠る眷属様を見守りながら考えを巡らせた。この眷属様が村を守りに来たわけではないことは俺にも分かる。でもこの子を守りたいと思う俺の気持ちを貫くには、この子にはお稲荷様の眷属になってもらうのがきっと一番良い策だと思った。起きたところで話を聞いて説得しよう、と考えている間にうつらうつらしてしまって、俺もそのまま眠ってしまった。




 助に叩き起されて、あの子が男だと聞いたときの衝撃は凄まじかった。いやまあ、助には俺の寝起きの悪さの方が凄まじかったと言われたけれど。


 この機に改めてまじまじと見るけれど、サクラはどう見ても十六歳に満たない女の子に見える。今までどんな生活を送っていたのだろう。少し暗い気持ちになったとき、斜め前に座るサクラの耳がピンッと伸びた。



「ボク、なります! お稲荷様のお使いに、なります!」


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