第2話 しっぽとズボン


 体も気持ちも解れた頃にお風呂から上がると、脱衣所に入る前に身震いをして水気を払う。これだけで毛はだいたい乾くから、脱衣所に戻って体だけをタオルで拭く。用意しておいてもらった服を着ようと下着を手に取って、手が止まる。


 彩葉さんが用意してくれていたものとは違ってしっぽを入れる穴がない。かといってさっきまで履いていた下着は汚れすぎていて、せっかくお風呂に入った意味がなくなってしまう。悩んだ末に上のパーカーだけ着ることにした。下着を履かずにズボンは履けないし、そもそもズボンにもしっぽ穴がない。幸い借りたパーカーの持ち主はボクより大きいらしくて、太ももまでばっちり隠れたから問題ない。


 脱衣所を出て、さっき下りてきた階段の下まで歩く。動く度にパーカーから香るラベンダーに近い香りが鼻をかすめて心地いい。ボクにはもう逃げる気はなくて、とりあえず流れに身を任せることにした。どうせ逃げる場所もないし、ここの人たちは異常なくらいボクに恭しい。食べられることはないだろう。


 階段の下まで来たはいいけれど、この後どこに行けば良いんだろう。お風呂場も広かったけれど、この家はどこもかしこも広くて数も多い。パッと見ただけでも部屋数が多すぎて、二階に上がってもさっきの部屋がどこだったか分かる自信はない。


 鼻は利くから匂いで誰か見つけようか。とりあえず匂いを嗅いでいると、パーカーと同じラベンダーの香りが上から漂ってくる。懐かしい気持ちになって、ボクの足は自然とそちらに向かった。


 階段を上がって二階。さっきは見る余裕がなかったけれど、二階は全部で六部屋ある。この内のどこかがさっきの部屋で、どこかがラベンダーの部屋。左端から一部屋一部屋嗅いでいこうと歩いていく途中、奥から二番目の部屋からラベンダーの香りが漏れてきた。


 コンコン


 ノックをすると、中からくぐもった声が聞こえた。



「はーい。誰?」



 ガチャリと開いたドアの隙間から、ボクが顔を覗かせてお辞儀をすると声の主は慌てて跪いた。



「眷属様!」



 出てきたのはさっきお風呂場までボクを案内してくれた金髪の男。男とその後ろからは確かにパーカーと同じ香りがする。こんなに良い香りなのに、どうしてさっきは気がつかなかったのだろう。少し考えてすぐに気がつく。お風呂に入る前は山や洞窟で触れた草花の香りが自分自身についていたから、匂いがごちゃまぜになっていたのだろう。



「どうなさいましたか?」


「えっと、迷子になってしまって、パーカーと同じラベンダーの香りを辿ったら、ここに」


「ああ、僕の服ですからね。サイズは大丈夫でした、か、って、ズボン! ズボン履いてないじゃないですか!」



 服のサイズを確認しようとしたのか、顔を上げた男は僕の素足を見て慌て始めた。



「ああ、しっぽの穴がなかったから履けなかったのです。やはり借りたものですし、伸びてはいけませんからね。安心してください、下着も履いていませんから」


「余計問題ですよ!」



 男は跪いていた体勢を崩してしゃがみ込むと、赤くなった顔を手で隠した。何をそんなに慌てることがあるのかは分からないけれど、お風呂だけでなく服まで貸してくれた男に申し訳ないことをしたかもしれないとは思う。



「あの、ごめんなさい」



 しゃがみ込んで丸まっていた男に視線を合わせようとボクもしゃがむと、男のふわふわした金髪から強くラベンダーの香りがした。


 右側からドアの開く音がして振り向くと、さっきのうどんの人とは違う短髪黒髪の男と目が合った。男は恭しくお辞儀をしてからこちらに向かってきた。



「眷属様、申し訳ございません。助六、騒がしいぞ」


「ごめん。眷属様のズボンと下着がなくて、パーカーだけでいるものだから、それはちょっとって」


「助六は初心だな。眷属様、とりあえずエプロンを貸しますから、それを着けていてください」



 短髪の男は一度部屋に戻るとすぐに戻ってきて、薄紫の腰に巻くエプロンを渡してくれた。



「ありがとうございます」


「いえ。後ほど下着とズボンのご用意をいたします」


「えっと、お願いします?」


「はい。おまかせください」



 この男が持つオーラはやけに上品で圧倒される。短髪の男と、未だに顔を赤くしている金髪の男に見守られる中貸してもらったエプロンを巻こうとすると、自分では後ろで紐が結べないことに気がついた。いつも研究所でエプロンを着る時は頭から被っていたから忘れていたけれど、ボクは紐を結ぶのが苦手だ。



「あの、結んでいただけませんか?」



 短髪の男の方が器用そうだから声を掛けて後ろを向くと、金髪の男はまたあわあわし始めて、短髪の男はため息を吐いた。



「眷属様、無防備が過ぎます」



 短髪の男の言葉にボクはハッとして男たちから距離を取った。親切にされたりお風呂に入ったりして気が緩んでいた。



「お前たち、ボクを食べる気だな」



 ボクは体を低くして小さく唸る。二対一は分が悪いけれど、何もせずに食べられるよりはマシだろう。威嚇しながら男たちを見据えていると、短髪の男は両手を挙げて首を振った。



「食べる気などありません。まして眷属様を殺めるなんてことがあれば、我々は処刑されますから」


「そうですよ。それに殺めることが目的であれば、お風呂に入っていただいたりしませんし、気を失っている間に遂行いたしますでしょう?」



 金髪の男の言葉にそれもそうかと納得して立ち上がると、二人もホッとしたように体の力を抜いた。



「言葉足らずで申し訳ありませんでした。無防備だと申しましたのは、男にそのようなお姿を見せていらっしゃることです」



 なるほど確かに。ちょっと無防備、というより失礼だったかもしれない。



「ごめんなさい、同性同士だから油断していましたが、確かに礼儀には欠けますね」



 ボクの言葉に何故か流れる沈黙。















「え、同性?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る