第十四話  藤売の排悶、再び。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷は、国府こくふの近くにある。

 いちも当然、歩いて行ける距離にある。

 午前中の務めを終えた役人たちが、ぞろぞろと市を歩き、いろんな品物を売ろうとする店の呼び子が、


「目ぇー、やすし。目ぇー、やすし。(目安めやすし。目に良い。見て楽しい。)」


 と声をはる。

 その中に、ただ市歩きを楽しむ、余裕のある母子や、男女などが交じる。

 それなりに活気はあるが、河内国かわちのくにの活気を見知って育った藤売には、


(ああ……、ひな。)


 と、うつる。さっきから後ろで古志加がキョロキョロしては、


「はあぁ……!」


 と息をもらすのがうるさい。

 甘糟売のほうが良かったか。

 ちょっとしかろうかと後ろを振り向いたら、


白酒しろさけ……!」


 古志加が目をいてつぶやいた。

 見れば白酒(ノンアルコールの甘酒)が売っている。




     *   *   *





「……いいわ。全員に、あの白酒を。」


 と先頭を行く藤売が家令に顎をしゃくった。


(仏さまなのか。)


 古志加は目をうるませて藤売を見てしまう。

 家令が白酒売りのおみなに、懐から出したひとつまみの……あれは砂金!……を渡した。

 白酒売りのおみなは何度も礼をして、全員分の白酒を木のうつわによそう。


「藤売さま、ありがとうございます。」


 薩人さつひとが落ち着きはらった笑顔で礼を言う。

 薩人は大人だな、と古志加は思う。

 古志加も礼を言い、白酒を口に含む。

 ほろりと、米の甘い味が口いっぱいに広がる。


「うま───い!」


 上機嫌な声がつい口からでる。木の器に、


「うぅ……、ひな。」


 と顔をしかめていた藤売だったが、古志加を見て、えいっと木の器に口をつけた。


「あら……、悪くないわね。」


 藤売は意外そうに目を見開き、無邪気に笑った。

 もともと美人なのだ。

 こんなふうに笑えば、本当に魅力的だ。

 いつもこんな顔してれば良いのに、と古志加は思う。


「お! いたいた! 古志加!

 あ……薩人も。」


 人波をぬい、馬をひいた花麻呂があらわれた。


「藤売さま、遅れまして、まことに申しわけありません。」


 と息をきらし、蒸気した顔で花麻呂は謝罪した。

 ちらちらと、藤売や古志加、薩人の木の器を見てしまう。

 藤売は艶のある唇でくすりと笑い、家令にむかって頷いた。

 家令が心得て、白酒をもう一杯もらってくる。


「ああ! ありがとうございます!」


 花麻呂も心から嬉しそうに礼を言う。








「ああ……、これしかないの?」


 かんざし屋の前で藤売が嘆く。

 どの簪もお目にかなわないようだ。

 たしかに、細工も、貴石も、藤売が今つけている血赤珊瑚ちあかさんごの簪におよばない。

 古志加といえば、鼻をひくひく動かして、


「あ、丸鶏の蒸し焼き……。」


 とうっとりつぶやいていた。

 昼餉は食してきたが、よだれがでそうだ。

 さっと藤売がふりむいて、


「おまえは……!」


 とびしっと額を手のひらで叩かれてしまった。 

 そんなに痛くはない。

 今のは女官として古志加が悪いだろう。


「あひぇ……、すみません。」


 と変な声で謝ると、毒気を抜かれたように、ぷっと藤売が笑う。


「これからどうなさいますか?」


 家令が藤売に問う。


「そうねぇ……。」


 藤売が考えこむ。


「国分寺まで足を伸ばして帰りましょうか。」


 女二人と、男三人、馬一頭が西に進む。









 国分寺。

 ほどほどの人がお参りをしている。

 仏像に手を合わせ、お堂をあとにし、帰り道。

 市の道ばたには、白いうまらが咲き、川辺にはカキツバタが紫の花を美しく咲かせている。


 そこを行く藤売がまた美しい。


 紅藤べにふじ背子はいし(ベスト)に、白橡しろつるばみ(薄いクリーム色)のほう(ブラウス)。

 白、山吹、萌黄もえぎ(スカート)。

 浅紫の領巾ひれ唐紅からくれないの帯。

 色あざやかで、藤売の美貌と相まって、紅藤べにふじが匂い立つようだ。


 今日はいつもより、晴れ晴れとくつろいでいるように見える……。


 古志加はつい、思ったことを口にしてしまう。


「なぜ、大川さまなんです……?」


 藤売ふじめ古志加こじかの横に立ち、意地悪く、だが艶のある笑顔を浮かべた。



     *   *   *



 目刺めざしのひな(ガキっぽい田舎娘)が、藤売に、


「なぜ、大川さまなんです……?」


 といてきた。

 無礼な、と叱ってやっても良いのだが、古志加の表情は、ただ素直にいてみたい、というあどけない顔で、どうにも叱りとばす気が削がれてしまう。

 かわりに藤売は、にぃ、と笑って、目刺めざし女をからかってやる事にした。

 そっちのほうが、面白そうだからだ。


「じゃあなぜ、あの大川さまの従者なの?」

「はわっ! はわあああ!」


 悲鳴をあげた古志加は、足から頭の先まで大きく震え、顔を真っ赤にし、両手で顔を覆い、


「……ひぃ。」


 とつぶやいた。

 見物みものである。

 楽しい。これは良いオモチャ、良い排悶はいもん(憂さばらし)───。


 くくく、と藤売は笑い、背の高い衛士と馬をひいた衛士が、


「あちゃあ……。」

「ワーホーイ。」


 とそれぞれ呟いて、天を仰いだ。

 それを見て、ああ、あなた達も知ってるのね、と藤売は思う。

 それはそうだろう。

 藤売は何回か、大川さまと夕餉を一緒にきょうした。

 もちろん二人きりではなく、宇都売うつめさま、難隠人ななひとさまと一緒にだが。

 古志加はずっと、大川さまの従者を目で追っていた。

 恋いしい、というおみなの顔で。

 短い時間で藤売でもわかるのだから、仲間にはばればれだろう。


「ほら、立ち止まってないで、なぜか答えなさい。」


 藤売は容赦しない。




     

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