第十一話

 藤売ふじめは、むしゃくしゃしていた。

 あの日佐留売ひさるめとかいうおみな

 昨日、いきなり何人かの女官を引き連れてやってきて、挨拶もそこそこに、


古志加こじかへ下した罰を解いて下さい。」


 とこのあたくしに要求してきた。


「あら……、あの女官は、それだけのことをしたのよ……?」


 と藤売が首をかしげて優しく言ってやると、


「お客人きゃくじん上野国かみつけののくにでは、女官にそこまで折檻せっかんは誰もしません。

 誰一人です。おつつしみくださいませ。」


 と面と向かって言ってきた。


「あたくしは河内国大領阿刀宿禰田主かわちのくにのたいりょうあとのすくねのたぬしが娘、藤売よ!

 じきに大川さまの妻となるとわかって、その口をきくか!」


 と叱りとばしてやったら、あのおみな、涼しい顔で、


「ええ……。ですがここは客人の部屋。

 そこに住まうあなたは、今はお客人です。」


 とぬかした。


「おまえ……! あたくしがここの主人となったら、どうなるか……!」


 とギリギリと睨みつけてやったが、


「じきに響神なるかみ(カミナリ)が来ます! 空模様が見えないのですか!

 響神なるかみ最中さなかに女官を立たせていては、殺すようなものです!

 さあ! 今すぐ罰を解きなさい!」


 と日佐留売がバシリと言った。殺しては外聞が悪い。藤売は歯ぎしりしながら、


「許す。」


 と一言だけ言った。




 あのおみなが来てから、潮目が変わった。

 今まで、あたくしに怯え顔を伏せていた女官どもが、いっせいに、日佐留売を中心に、余裕ある表情になった。

 あたくしに崇拝と哀願の目をむけていた難隠人の態度が、よそよそしいものとなった。

 あの女が皆の心のどころになっているに違いない。

 いや、大川さまは変わらない。よそよそしい。

 あの方は、始めも今もずっと、あたくしによそよそしい……!

 日佐留売は、上野国かみつけののくにでは名家の出だ。

 難隠人の乳母ちおもでもある。

 さすがに、ムチで滅多打ちはできない。


 そして藤売はイライラした一日を過ごし、翌日。

 古志加が復帰した。

 目刺めざおみなが落ち着きはらった顔色で、優雅に礼をする。

 かわらず、耳に紅珊瑚はない。


「昨日はお休みを戴きまして、ありがとうございました。」

「あたくしの言葉は身に沁みて?」

「はい。」


 こちらをまっすぐ見る古志加の目は、強い光をたたえている。

 あれだけの罰をくれてやったのに、この娘は、折れていない。


「なら、いいわ……。そこの武人ぶじんは、なあに?」


 古志加が、古志加よりひと回り背の高い、若い衛士を連れてきていた。

 部屋には入らず、簀子すのこ(廊下)に立っている。


上野国上毛野衛士卯団かみつけのくにのかみつけのえじうのだん北田きただの花麻呂はなまろと申します。

 大川さまの命により、これより藤売さまの護衛を務めますよし。」


 と衛士が言った。


「屋敷の中なのに?」


 と藤売は顔を下げ、下から思いきりめつけてやった。

 そんなの息がつまるじゃない。


「はい。」


 衛士は微動だにしない。

 清潔感のある、なかなか良い面構えの若者ではあった。

 護衛として良く目にしても、不快ではなさそうだ。


「まあ、良いわ。」


 藤売はあっさりと了承する。




     *   *   *





 多知波奈売たちばなめの世話をする日佐留売と、福益売ふくますめの手が離れた時を見計らい、難隠人は浄足きよたりを庭先へ連れ出す。

 話を聞かれないためだ。


「ちょっと、浄足とそこで遊ぶから。遠くには行かないから!」


 と日佐留売に断りはいれておく。

 茂みに浄足を引っ張りこみ、二人しゃがみこみ、あたりを伺ってから、


「いいか浄足。知恵を貸せ。」


 と難隠人は浄足を真剣に見た。


「生半可なことじゃだめだ。

 やるなら、ちゃんと結果をだせるところまでやらないと。

 そのために、どうしたら良いか、知恵を絞れ。」

「はい。」


 浄足が真っ赤な顔で頷き、


「兵とは詭道きどうなり。まずは今までどおりの顔を見せることが肝要です。」


 と喋りはじめる。




     *   *   *





 未の刻(午後1〜3時)になって、

 いきなり藤売は、


「気晴らしをします。いちに行くから支度をおし。」


 と立ち上がった。


「えっ? これから外に……?」


 と甘糟売あまかすめがあたふたし、控えていた藤売の家令かれいが、すぐに支度を始める。


「そうよ。……甘糟売。おまえは歩くのが遅いから留守。古志加。ついてきなさい。」


 気晴らしは、何もムチで女官を打ち据えるだけではない。

 さっさと部屋を出る。


「オ……オレは馬をひいてくる!」


 と慌てて衛士は飛んでいった。

 もちろん衛士の帰りを待ったりしない。

 どんどん歩き、上毛野君かみつけののきみの屋敷の南門をくぐろうとすると、四人の門番に呼び止められた。


「あっ……、どうなされました。」

「どうも何も。あたくしは外にでるのです。」

「護衛につけた衛士がお側近くにいないようですね。

 どうかこの、卯団少志うのだんしょうしの遠野薩人とおののさつひとがお供することをお許し下さい。」


 と、先程の衛士より背の高い門番が、にっこりと笑って言った。

 目が細い。全体も細長い。

 でもむさ苦しくはないわ……。


「許します。」


 と、藤売は、古志加、家令、背の高い衛士を引き連れて、上毛野君の屋敷を出た。

 空が青い。良く晴れた。

 さあ、気晴らしよ。





     *   *   *





 上毛野君の屋敷は、国府こくふの近くにある。

 市も当然、歩いて行ける距離にある。

 午前中の務めを終えた役人たちが、ぞろぞろと市を歩き、

 いろんな品物を売ろうとする店の呼び子が声を張る。

 その中に、ただ市歩きを楽しむ、余裕のある母子や、男女などが交じる。

 それなりに活気はあるが、河内国かわちのくにの活気を見知って育った藤売には、


(ああ……、ひな。)


 と、うつる。


「はあぁ……!」


 と、さっきから後ろで古志加がキョロキョロしては、ため息をもらすのがうるさい。

 甘糟売のほうが良かったか。

 ちょっと叱ろうかと後ろを振り向いたら、


白酒しろさけ……!」


 古志加が目をむいてつぶやいた。

 見れば白酒が売っている。




     *   *   *





「……いいわ。全員に、あの白酒を。」


 と先頭を行く藤売が家令に顎をしゃくった。

 仏さまなのか。

 目をうるませて古志加は藤売を見てしまう。

 家令が白酒を売ってるおみなに、懐から出したひとつまみの……あれは砂金!……を渡した。

 おみなは何度も礼をして、全員分の白酒を木のうつわによそう。


「藤売さま、ありがとうございます。」


 と薩人が落ち着いた笑顔で礼を言う。

 薩人は大人だな、と古志加は思う。

 古志加も礼を言い、白酒を口に含む。

 ほろりと、米の甘い味が口いっぱいに広がる。


「うま───い!」


 上機嫌な声がつい口からでる。木の器に、


「うぅ……、ひな。」


 と顔をしかめていた藤売だったが、古志加を見て、えいっと木の器に口をつけた。


「あら……、悪くないわね。」


 と意外そうに目を見開き、無邪気に笑った。

 もともと美人なのだ。

 こんなふうに笑えば、本当に魅力的だ。

 いつもこんな顔してれば良いのに、と古志加は思う。


「お! いたいた! 古志加!

 あ……薩人も。」


 と人波をぬい、馬をひいた花麻呂があらわれた。


「藤売さま、遅れまして、まことに申しわけありません。」


 と息をきらし、蒸気した顔で花麻呂は謝罪した。

 ちらちらと、藤売や古志加、薩人の木の器を見てしまう。

 藤売は艶のある唇でくすりと笑い、家令にむかって頷いた。

 家令が心得て、白酒をもう一杯もらってくる。


「ああ! ありがとうございます!」


 花麻呂も心から嬉しそうに礼を言う。








「ああ……、これしかないの?」


 かんざし屋の前で藤売が嘆く。

 どの簪もお目にかなわないようだ。

 たしかに、細工も、貴石も、藤売が今つけている血赤珊瑚ちあかさんごの簪におよばない。

 古志加といえば、鼻をひくひく動かして、


「あ、丸鶏の蒸し焼き……。」


 とうっとりつぶやいていた。

 昼餉は食してきたが、よだれがでそうだ。

 さっと藤売がふりむいて、


「おまえは……!」


 とびしっと額を手のひらで叩かれてしまった。

 そんなに痛くはない。

 今のは女官として古志加が悪いだろう。


「あひぇ……、すみません。」


 と変な声で謝ると、毒気を抜かれたように、ぷっと藤売が笑う。


「これからどうなさいますか?」


 と家令が藤売に問う。


「そうねぇ……。」


 と藤売が考えこむ。


「国分寺まで足を伸ばして帰りましょうか。」


 女二人と、男三人、馬一頭が西に進む。









 国分寺。

 ほどほどの人がお参りをしている。

 仏像に手を合わせ、お堂をあとにし、帰り道。

 市の道ばたには、白いうまらが咲き、川辺にはカキツバタが紫の花を美しく咲かせている。


 そこを行く藤売がまた美しい。


 紅藤べにふじ背子はいし(ベスト)に、白橡しろつるばみ(薄いクリーム色)のほう(ブラウス)。

 白、山吹、萌黄もえぎ(スカート)。

 浅紫の領巾ひれ唐紅からくれないの帯。

 色あざやかで、藤売の美貌と相まって、紅藤べにふじが匂い立つようだ。


 今日はいつもより、晴れ晴れとくつろいでいるように見える……。

 古志加はつい、思ったことを口にしてしまう。


「なぜ、大川さまなんです……?」










  




↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667027634738

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