第十話 三虎、正述心緒、其の一。
* * *
次の日の朝、まだ少し熱っぽかったが、高熱は下がった。
「お腹が減った。」
と言い、
なんと特別に、蒸し鶏を日佐留売が
「朝からこんなに……?」
と日佐留売にあきれられた。
通常は昼餉と夕餉の二食だ。
「すみません……。昨日は食べそびれたので。」
と古志加は赤面した。
関心なことに、自分から、和歌の詠唱のおさらいをはじめた
「古志加は寝てていいんだよ、ここで。」
と言ってくれたので、まだふらつくから、と自分に言い訳して、ふかふかの上等の布団で、まだ寝かせてもらう。
そのうち、部屋から誰もいなくなった。
古志加はまどろむ。
* * *
三虎は一人で日佐留売の部屋を訪れる。
古志加が一人で寝ていた。
良かった。顔色がずいぶん良くなった。
三虎は古志加を起こさないように、
静かに倚子に座った。
机に見舞いの干し杏とくるみを置く。
風がふわりと花咲くあふち(センダン)の匂いを運び、
ほととぎすが鳴く。
落ち着いた時間が流れた。
三虎はゆっくり古志加の顔を見た。
力の抜けた寝顔。
規則正しい寝息。
いつもはこんなにゆっくり古志加の顔を眺めることはない。
こちらにも時間はないし、古志加だってこんなに眺めたら目をしばたたいて逃げ出してしまうだろう。
(お、いいじゃないか。)
じゃあ見てやろう。
三虎はふっ、と笑った。
古志加は衛士として剣や弓を扱うときは、強い気を目から放つ。
自分も武芸を鍛えるものとして、その気は好ましいものだが、
目を閉じて、こうやって眠りに落ちていると、
(
頬は丸く、まつ毛は長く、唇は柔らかそうだ。
きちんときれいな、女の顔だ。
「ん……。」
古志加が寝返りをうった。
顔がむこうを向いたので、つられるように三虎も倚子を立ち、寝床に近づいた。
古志加を起こさないように顔をのぞきこむと、左頬の傷跡が痛々しかった。
……昨日は、大川さまが助けてくれると思ったのに、助けてくれなかった。
「古志加、大川さまは冷たいよなぁ。」
昔はこうじゃなかったのにな、と思う。
そして、古志加の耳元に口をよせる。小声で、
「古志加、大川さまだけはダメだぞ。」
返事はない。寝ている。
起きる気配がないのを確かめ、
「大川さまにだけは、恋するな。」
とささやいた。
大川さまは、きらきらしく涼しげな風貌で、そこにいるだけで、
一番近くにいる三虎は、そのことを良く知っている。
だが古志加、大川さまだけはダメだぞ。
お前を幸せにしてくれる
オレがおまえに望むことがあるとすれば、その一つだけだ。
古志加の左頬の傷に、そっと触れたい、と思ったが、オレはそんなことはしない、と思いなおし、古志加の眠る部屋をあとにする。
* * *
午三つの刻。(昼12時)
「古志加、昼餉の時間だよ!
今日は、藤売さまが貝あわせをしてくれたよ。」
浄足が元気に古志加を起こす。
「この干し杏、うまいぜ!」
難隠人も古志加に声をかける。
「古志加、起きれる?」
と福益売が声をかけ、
「うん。」
と返事をし、寝床に寝ていた古志加は、
(もう昼か、早いなぁ……。)
と身を起こす。頭がぼんやりしている。
「あら、誰かきていたの? あたしが用意したものじゃないけど?」
と日佐留売が机の上の干し杏を見て、首をかしげる。
「このくるみ、変な味!」
難隠人が、べっ、と口からくるみを出す。
「あら……。」
と福益売がそのくるみをはし布で受け取る。
古志加の頭が覚醒した。
「あっ、それ、あっ! あたしも食べる……!」
と慌てて寝床をおりる。
干し杏。
昨日のことを思い出して、頬に熱がたまる。
(ひぇぇ……。)
頭から汗が吹き出してきた。
干し杏を食べ、くるみを食べる。
このくるみ。
甘さと、桂皮の複雑な刺激。
コリリとした歯ざわり。
あたしのくるみの人。
「三虎だ……。」
さらに顔を真っ赤にしながら、古志加は言った。
(来たなら、起こしてほしかったのに。)
あたし、まだ、三虎に嫌いって言ったこと、謝れてない。
「オレのこと嫌いでも言うことはきけ!」
って昨日、三虎は言ってなかったか。
ひどい誤解だ。どうしよう。
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