第二話  大川、何似幽懷攄、了。

 何をもちてか幽懷ゆうかいべむ………幽懷ゆうかい(人知れず心の奥深く抱く思い)を、いかにべれば良いのだろうか。



    *   *   *





 難隠人ななひとは、名を改めた。

 穎人かいひとと言う。

 大川が大人の名を授けた。

 穎人かいひとのお披露目となる、新嘗祭にいなめさい


 可我里火かがりびが焚かれ、七日月なのかづきが昇るなか、二人のわらはが龍となり、舞台で舞う。


 納曽利なそり


 穎人かいひと浄足きよたりも、一糸乱れぬ同じ動きをとり、調和のとれた舞を披露する。

 九歳のわらはらしく、かわいらしく、若い生気にあふれ、優雅で、力強い。

 見ている者は皆笑顔で、二人に見入った。

 足捌き、指の運び、若木のような背筋。

 二人がどれだけ練習に励んできたか、よく分かる。

 そして、二人の距離の近さも。

 父の旅路へのはなむけになれ、との穎人かいひとの強い思いも。

 よく伝わってくる……。


 三虎の前、貴賓席きひんせきの倚子にすっと姿勢良く腰掛けた大川は、完璧に整った目鼻立ちが七日月に白く照らされ、昼間とは違う幽美ゆうびな美貌が澄み切っていた。


 切れ長の瞳は、熱心に舞台の穎人かいひとさまを見つめている。

 大川は心から嬉しそうな、だが少し、悲しそうな笑顔を浮かべ、


「兄上……。」


 そう一言だけ、つぶやいた。

 目が、潤んでいるのが、清い月の光に照らされて見えた。



 三虎は思わず、目をそらした。

 あらゆる想いが、三虎の胸に去来する。



(あのくちなわ女。

 穎人かいひとさまの父は。

 大川さまの幽懷ゆうかいは。

 兄への簡単ではない想いを抱え、それでもここまで立派に穎人さまを育てられた、大川さまの幽懷ゆうかいは……。)



 三虎は唇を引き結んだ。

 思考が乱れた。

 この状態で大川の側にいては、静かに物思いにふける大川さまの雑音になる。

 三虎は頭を冷やすべく、その場を離れた。

 貴賓席よりきざはしを降り人がまばらな方へ足を向ける。


 可我里火かがりびの合間の宵闇から、パキリと木の枝を踏み折る音がした。

 見ると、茂みの影がゆらりと揺れ、顔の白い、山吹の衣のおみなが姿を表した。


「三虎……。」


 古志加が郷の女の衣を着て、立っている。

 紅珊瑚の耳飾りが熒熒けいけい(かすかに光る)と見えた。

 それ以外の飾りはつけていない。


「うわ……。なんだ。」


 ちょっと現れかたがこの世のものではないようで、三虎は驚く。


「おまえ、衛士の務めは?」


 このような大きな祭りでは、昼番でも仮眠をとり、夜の警邏けいらにつく。


「荒弓に、無理を言って、時間をもらいました。」


 そう静かに言った古志加は、ぱっと駆け出し、三虎の胸に飛び込んできた。

 髪も、肩も、冷えてる。


「あたし、三虎に、無事に帰ってきて、ってどうしても伝えたくて……。」

「もうさんざん、卯団うのだんのやつらから言われてる。」


 三虎は猫のような古志加を抱きとめ、苦笑する。


「おまえ、顔色悪いんじゃないか?」


 いつもより顔が白い。

 左手で無造作に古志加の額に手をあてる。

 やはり冷えてる。


 舞台では、納曽利なそりが終わり、拍手が沸き起こる。


「三虎、練り香油、本当にすみませんでした。」


 こちらの質問に答えず、古志加は謝る。

 額にあてた三虎の手の下で、大きな瞳が三虎をじっと見上げている。

 紅い耳飾りが熒熒けいけいと輝く。

 瞳も、熒熒けいけいと光ってつやがある。


 ───けいは、まどわす光、かすかな、小さい光なのに、目がくらむ光の事を言う。


「もう、許すって言ったろ。」


 三虎は苦笑を深くする。

 本当は古志加を組み稽古でふっとばすまで、イライラは消えなかった。

 額から手を離す。

 その手を素早く古志加がとらえた。

 三虎は手をとられ、驚く。

 古志加が抱きついてくるのは慣れっこだが、様子がいつもと違う。


「おい……。」


 と声をかける。


 舞台では、惣社そうしゃ神社の巫覡ふげき(巫女)たちが祝詞のりとをうたい始めた。




 明星あかぼしはぁぁぁ  明星みょうじょうはぁぁぁ


 明星あかぼしはぁぁぁ  明星みょうじょうはぁぁぁ


 くはや ここなりや……





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