終話 幸せです。
浮かれ 浮かれや
手をとり 遊べや
舞台で一斉に
あたしは、
あたしはもう、三虎の
三虎の
だけど、良く探しても、
いない……。
(どういうことだろう?)
と首をひねる。
七夕の宴では……。
「
近くで舞を見物していた薩人に、あたしは声をかける。
「おう。そうだよ。」
薩人は気軽に答えてくれる。
莫津左売はどこに行ったのだろう?
誰かに
まさか、
阿古麻呂は、
あたしも、甘糟売を何回か柿の木の屋敷に招いて、あたしと甘糟売、
だが、花麻呂は、妻の名も、顔も、あたしに教えてくれようとしない……。
でも、もし、莫津左売だったなら、
花麻呂はずっと、三虎の吾妹子に恋をしていたことになる。
知りたくない。
確かめたくもない。
ただわかることは、莫津左売はもう、遊行女ではない。
そして、三虎の吾妹子でも、もうない。
三虎は、あたしに、
「
オレの
と言った。
そして、あたしに屋敷を与えてからは、
一夜も欠かさず。
「勝てっこない。あんな綺麗な人に。」
と泣いたのは十五歳の夜だ。
どうやってかは分からないが、あたしは勝った。
三虎を、あたし一人のものにした……。
あたしは顔を動かさず、ただ遊行女の舞台を見る。
笑顔は浮かんでこない。
ふと最近耳にした話を思い出した。
「
薩人は、オレは百の掛け鈴を鳴らす、と豪語していたそうだが、ある
「ん……。後ろの列、右から二人目さ。地味だろ?」
へへっ、と鼻の下を指でこすりながら、くすぐったそうに薩人が言う。
細い目をさらに細めて笑うので、目が針のようになった。
古志加が舞台を見ると、中肉中背、地味ではないけど、大勢の遊行女のなかでは、特段目を引くでもない普通の綺麗な
「もう、古志加といい、花麻呂といい、阿古麻呂といい、幸せそうな空気ポンポン出しやがって。荒弓までさあ!」
と薩人が文句を言うようにつらつら喋る。
古志加は、あはは、と笑い、
「
と訊いた。
薩人は細い目を、はっ、と見開き、表情が真剣になった。
「ああ……妹だ。」
と真面目に言い、そのあと、へへっ、と下を向いて笑い、舞台で舞う一人の
「そう……、オレの妹なのさ。」
と嬉しそうに重ねて言った。
(良かったね。)
と古志加は心で呟く。
舞台では独唱が始まった。
玉蔓、や、玉蔓
かささぎ橋の ただ一夜のみ
「古志加は、寂しくないの?」
古志加が美しい歌声に聞き惚れていると、薩人と組の、古志加のかわりに新しく
突然の言葉に、古志加はただ驚いて、
「このバカ。」
薩人が遠慮無く伊奴の頭に
「てェッ!」
伊奴が頭を抱えて呻く。
古志加はそれを見て、あはは、と笑う。
「絶えぬものから、だから。寂しくないよ。」
と、にっこり笑って、伊奴に言う。
あたし、寂しそうな顔をしてたかな?
でも、そこまで辛いわけじゃない。
絶えること無く、心は
一年に半月ほどしか逢えなくとも……。
あたしも、
* * *
十二月。
十ヶ月ぶりに、大川さまと、三虎が帰ってきた。
夜。
柿の木の屋敷で、
「あたしは良い子にして待ってました。」
心から嬉しく、微笑みながらそう言うと、
「どれどれ。」
と三虎はあたしの手をとり、手の甲に軽く口づけ、するり、と袖のなかに手を滑らせ、肘まで撫であげた。
「よしよし。」
と三虎は口元が柔かく笑い、
あたしの頭を撫で、また、
「よしよし。」
と言い、髪に
髪を分け入ってくる、尖った冷たい感触に、
「ん。」
と肩をすくめる。
「これは……?」
と訊くと、
「金の
と三虎が古志加の額の中央に甘く口づけする。
「ん。」
とくすぐったくて、また声が出る。
「見ても良いですか?」
「ああ。」
と許可を得て、簪を引き抜き、
「わぁ……。」
金に輝くスミレが象られ、紅い貴石と、桃色の小さな貴石まで、新たに散りばめられている。
もとの簪の形は、もうそこにはない。
「嬉しい。大切にします。」
三虎が恋しい時、眺めても良い。
美しく着飾りたい時、身につけても良い。
あたしはなんて幸せなんだろう。
涙ぐみ、微笑むと、そっと三虎の唇が唇に訪れた。
優しさが、大事にしてくれてることが、愛されてることが。
伝わってきて、甘い、と感じる。
(幸せ……。)
また三虎が額の中央に口づける。
あたしは目を細めながら、簪を机の上に置き、
「ここ、好きですか?」
と額の中央を自分の指で触れて、訊いてみる。
三虎は、額の中央に口づけしてくれることが多い。
三虎は、ふっと笑い、
「一番初めに、おまえに唇で触れたところだからな。」
と今度はこめかみに口づけた。
こんなに愛されて。
あたしは幸せです。
幸せが過ぎて、とうとう、
「はあぁ……。」
とうっとりしたため息がもれた。
「こっち。おいで。」
三虎に抱き上げられる。
あたしは、三虎が無表情にこちらを見つめながら、衣を解いていくのを見てるのが好きだ。
首元から下が露わになり、すらりと引き締まった強靭な身体が、蝋燭に照らされるのを見ると、顔だけでも格好良いのに、身体もこんなに格好良いなんて、と思い、
三虎が無表情なのも良い。
一見、怖いくらいの顔なのに、それでいて、あたしにすごく優しいんだよぉ……。
もうたまらない。
三虎は手が優しくて、繊細に動く。あれだけ弓矢を自在に操れる手なんだもの……。
三虎の指も、大好き。
(十ヶ月前と、三虎は変わってない。良かった……。)
と密かに安堵する心を、三虎がよこす波が揺さぶってゆく。
「三虎……、三虎……。」
上の空で口走り、身体の内側がきゅ───っと絞られていく感覚を、不思議、と思いながら、
(
古志加は果て、これ以上はないというほど愛をもらいながら、それでも恋いしさが込み上げ、涙を流してしまう。
* * *
巳の刻。(午前9〜11時)
「あ、またこんな
さっぱりと晴れた冬の
三虎がズンズン近づいてくる。
あたしは今、午前の組み稽古の最中だ。
ちょうど阿古麻呂と拳で打ち合っていたところに、ザッと土埃を上げながら三虎が素早く割って入った。
怒り顔であたしを凝視する。
あたしはムッと唇をつきだす。
(この野郎、じゃないもん。
細かい言葉にいちいち言い返すと怒られそうだ。だから言わないでおく。
(そんな怒り顔したって、ぜーんぜん、怖くないもんね!)
昔のあたしだったら、三虎にこんな顔されたら、怖くなって目をそらしたくなっただろう。でも今は、不思議とちっとも怖くない。
この人は、昨日、あたしをその懐に
「ちゃんと、スミレの
あたしは不満顔を三虎に向けたまま、はっきり大声で告げる。
阿古麻呂は、はは、と笑いながら二歩引いた。
「おまえなぁ、オレは時々、遊びに行くぐらいなら、って言ったんだぞ。
荒弓に訊いたら、ほぼ毎日じゃないか!」
と言いながら、三虎の目が、さっ、と動く。
あたりを見回し、新入りの
「稽古しかしてないもん……。」
と言いつつ、釣られてあたしも
伊奴はすこし顔を赤くして、目をそらした。
なんでだろう……。
「おまえってヤツは……! こうだ!」
いきなり三虎に肩を掴まれて、口づけをされた。
「……! ……! ……!」
なにか言ってやりたいが、長い。
いつの間にか、三虎の左手は、あたしの頭の後ろに。
右手は背にまわり、深く三虎に抱きしめられている。
(こんなの恥ずかしいよぉ。)
うおお、とか、わああ、とか皆がまわりでどよめいている。
「やれやれ。」
と呟いたのは、
やっと三虎が古志加を解放した。
古志加は真っ赤になり、涙目で、
「あ、あ、あたし
と叫んだ。
三虎は顔色を全く変えず、ムッとした不機嫌そうないつもの顔で、
「ふん、知るか。オレは分かった。これが一番だ。」
とたんたんと言い切った。
ブハッ、と花麻呂が吹いた。
「わあああん! 意地悪───!!」
あたしは両手を握りしめ、声をかぎりに叫んだ。
そしてパッと身をひるがえし、その場から逃げ出した。
────完────
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます