第五話 あたし頑張っちゃう。
「心配したんですよ、
昨日、大川さまと三虎が奈良へ行ったのに、あなたが姿を見せなかったから。」
未の刻。(午後1〜3時)
あたしは、あたしの働き
日佐留売の娘、
「昼ですが、寝てました。」
とあたしが顔を
「あの……。夜が、疲れまして。」
「まあ!」
日佐留売がころころと笑った。
「もう弟の妻ね……。」
その言葉に、あたしは、九日前、三虎と日佐留売の
* * *
「
と三虎が本当にざっくりと言い、
「……!」
主である
「でかしたァァァ!」
と
声の大きさにあたしはびくっと肩を震わせ、三虎は苦い顔になり、
「あ、いや、
と言ったが、
「ええ、ええ、そういう意味で言ったわけではありませんよ。
とにかく、古志加……、良くやりました。
手を。」
と鎌売は両手をだした。
あたしがおずおず手を差し出すと、強い力で握られた。
「母刀自と呼びなさい。」
そう鎌売はいつもの厳しい調子で口にしたあと、
「でかしたわ……。」
と、驚くほど柔らかい、優しい微笑みをあたしにむけてくれた。
目に涙がにじんでいる。
ああ、日佐留売と、三虎に感じる優しさ……。間違いなく、親子なんだなぁ、とあたしは思った。
* * *
日佐留売が、
「いつでも、この部屋に遊びにいらっしゃい。
三虎によく頼まれたけど、それだけじゃなく、あなたのことが大好きよ。
遊びに来てくれたら、嬉しいわ。」
と温かい陽の光のような笑顔を浮かべた。
そう、もうあたしは、日佐留売にとってお客さんだ。
もう、
でもあたしは、十日に八日は卯団の稽古の時間に顔を出す。
* * *
巳の刻。(朝9〜11時)
「また来たのかあ。」
と
「皆の顔が見れないと、寂しくて。
稽古させてえ!」
スミレの花が散った
だが、おそらく心の持ちようが違うのだろう。
みるみる腕が落ちた。
もう花麻呂に勝ち越せない。
「はっは……! また勝ったな!」
と剣の稽古で花麻呂が嬉しそうに言うので、悔しくてたまらない。
心の中のどこかで。
───もっと練習しろ。
一日でも練習をかかすと、腕が落ちるぞ。
と声がし、あたしを責め立てるが、
(もう、いいんだよ。)
とあたしは自分に言い聞かせる。
たしかに、弱くなるのは怖い。
でももう、あたしは、三虎の
毎日、練習しなくても、弱くなっても、良いんだよ……。
あたしは、心の中で、不安がる
己を抱いてブルブル震える童の腕を、そっとほどき、解放する……。
* * *
しばらくして、花麻呂は卯団に二人いる
剣と弓の腕が、
「オレと、荒弓と、
と、少志である
花麻呂は得意満面で、
「オレは妻から文字を教えてもらうんだ……。」
とニコニコ笑う。
少志はともかく、
良かったね、と思いつつ、あたしは、
「えいっ!」
と、鋭い拳を下腹に見舞ってやった。
「なにすんだ!」
と怒る花麻呂に、
「良かったね! おめでとう!」
と言い、あたしはピュ───と逃げた。
あとから荒弓に、
「これ、花麻呂が少志になったお祝い、あたしから……。」
と
卯団長の妻からしてみれば少ないかも。
でもこれは、
「卯団の、一衛士として……。」
もしあたしが卯団の衛士のままなら、こうやって皆少しずつお代を出し合って、皆で花麻呂をお祝いしたはずだ。
「ありがとうな。」
と荒弓は
* * *
あたしは、月の印がきて、がっかりした。
福益売の二人の妹を郷の
顔に独り身の寂しさと、生活の疲れがにじんでいた。
一緒に暮らしはじめて、あたしは二人に沢山お礼を言われて、くすぐったい気持ちになった。
そして福益売は、この柿の木の屋敷の警護についている
「素敵な人よね……。この前、あたしが井戸の水を運んでいたら、重いだろ? ってかわりに運んでくれたのよ。」
と大事な秘密を打ち明けるように教えてくれた。
「うん、川嶋は良いヤツだよね。弓矢も上手。でも、
と、ついあたしは衛士の見方で言ってしまった。
福益売は驚き、
「かわいそうだわ……。
さぞや辛い思いをしたんでしょう。
でもあの人は、弱音を吐かず、優しくて、とても強そうよ。
川嶋がこの屋敷を守ってくれてると思うと、すごく安心して、夜、眠れるわ……。」
と頰を染めた。
「そうだね。矢傷があったって、川嶋は強い。
……福益売、かわいい!」
あたしは、福益売に抱きついてしまった。
夏を待たず、福益売と川嶋は
昼餉と夕餉は、福益売と
あたしも料理の心得はあるから、
(暇つぶしに手伝おうかな?)
と
あたしは、そっと引き返した。
(……いいな。良かったね、福益売。)
あたしは、あの中に入れない。
そして、飯売と、
老麻呂は四十四歳、飯売は四十五歳。
年の釣り合いも悪くないだろう。
老麻呂は、飯売を、優しく慈しむような目で、じっと見つめていることがある。
飯売は、その視線に気がつくと、まばたきを一つし、少しだけ頰を赤くし、はにかんでうつむく。
(かわいらしいんだなぁ。
あの年になっても、
と、あたしは思う。
だが、こちらの二人は、福益売のようにポンポンと進まない。
見つめ、はにかむ。
そこからなかなか進まない。
でもきっと、あたしが何か手出しをする必要は無いのだ。
見つめ、はにかんでいるだけで、二人だけの世界があるようだ。
時間なら、たっぷりとある。
二人とも、この屋敷に住んでいるのだから。
三虎の用意してくれたこの屋敷は、よくできていて、こじんまりとしているが、部屋数は多い。
今は、
* * *
「また来たのぉ?」
午はじめの刻。(午前11時)
あたしは、
あたしは卯団の午前中の稽古のあと、ちゃっかり湯殿を使わせてもらう。
そして柿の木の屋敷に戻り、昼餉を食べ、今度は
柿の木の屋敷で、お湯で身体を拭うのでも充分だ。
でも、もうあたしは、この湯殿の気持ちよさを知ってしまっている。
「えへへへ……。」
お湯からあがると、日佐留売に教えてもらった通り、身体が濡れたまま、少量の椿油を全身にすりこむ。
三虎に、
「おまえはもっと、肌の手入れをしろ。
もうおまえはオレのものなのだから。
もっと自分で、自分を慈しめ。
肌を磨いて、いい子にして、オレの帰りを待て。」
と言われた。
日佐留売曰く、一日、二日で結果はでないが、一夏続ければ、肌は見違えるほど柔らかく潤った肌になるそうだ。
あたし、頑張っちゃう。
福益売と、貴重な椿油を分け合う。
福益売は遠慮するが、幸い、三虎は椿油を沢山用意していってくれた。
たっぷり使える。
「福益売だって、一緒にがんばれば、川嶋が喜ぶよ。」
あたしがニヤニヤしながら言うと、
「あら……、あら……。」
と福益売が真っ赤になり、幸せそうに恥じらう。
それを見た
「あんたら、
と声をあげる。
(えへへへ……。すみません。)
あわてて、その
* * *
あたしは、変わらず、卯団の稽古に顔を出す。
荒弓は、馴染みの
もともと金はたまっていたのだが、なじみの
その
(良かったね。)
荒弓は幸せそうに笑っていた。
あたしは、花麻呂に抱きついたのを最後に、もう衛士の皆に抱きつかない。
皆もあたしに遠慮をするし、あたしも、もう、男の身体が、手が、どう動くのか知ってしまった。
無邪気に抱きつけない。
でも、三虎が帰ってきたら、三虎の目の前で、誰かに抱きついてみようかなぁ……。
そして、三虎に、コラァァァ! と怒られたい。
あたし、三虎の怒り顔、格好良くて好きなんだよね。えへへへ……。
でも、困らせちゃうか。
こんなこと思うなんて、あたしは、いけない子です……。
そして、ゆるやかに時は過ぎ。
七夕の宴。
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