第四話  あたし鼻血でそう。

 三虎は変わらない。

 ムッと不機嫌そうな顔か、無表情でいつもいる。


 でも、変わったところもある。


 あたしといる時、口元がほころぶことが多くなった。

 そしてその控えめな笑顔は、驚くほど柔らかく、優しい。

 あたしを見つめる時、その瞳を覗き込むと、たしかな輝きがあって、目が、


「おまえを恋うてる。」


 と教えてくれる。

 もうそれだけで嬉しくて、あたしはうっとりと恋しい人の顔を、いつまでも見つめてしまう。



 三虎は優しい……。



 口が悪くて、不機嫌そうな顔をいつもしてるけど。

 夜。

 どこまでも優しい。

 あたしは知ってる。

 三虎の中に、果てのない優しさと、誠実さがあることを。

 あたしはたっぷりと、その優しさを享受する。





     *   *   *




 二日後。三虎に、福益売ふくますめと一緒に柿の木の屋敷へ未はじめの刻(午後1時)に来いと言われた。


「これからの新しい住まいね!」


 と浮足立つ福益売と柿の木の屋敷の門をくぐると、そこにいたのは三虎と、四十を過ぎた、白髪交じりのおみなだった。


「ああ……!! 母刀自ははとじ……!!」


 福益売が駆け出し、


「福益売……。かわいいあたしの娘!」


 とおみな二人は抱き合った。


「許してね……。この母を許してね……。」


 と女は泣き、


「母刀自、あたし、恨んでなんかない。

 これで、一年は食べていける、って言ってたじゃない。

 だからあたし、あたし……、うわあああ!!」


 と福益売は母の肩で泣き声をあげた。

 それを見ていた古志加も涙ぐみ、手が三虎を求めてしまう。

 三虎の中藍なかあいの衣をつかみ、よりそい、


「ありがとう、三虎。」


 と顔を見上げた。

 三虎の口元が満足そうに笑う。

 そのまま、顔を三虎の胸に埋める。

 三虎は、ふっ、と笑い声をもらし、優しくあたしの背中に手をあててくれた。


(あたしの母刀自も……、生きていたら。)


 どうしてもその思いが込み上げ、三虎の胸に顔を押しつけてしまう。


「ん?」


 古志加の力の強さに三虎が不思議そうな声をあげるが、福益売が、


「三虎、古志加、ありがとうございます。どんなお礼を言えば良いか……。」


 と涙声で言うのが聞こえたので、顔を三虎から引き剥がし、まだ母刀自と抱き合う福益売に、


「良かったね、福益売。

 母刀自と会えて……。

 あたし、福益売を大事なお姉さんって思ってる。

 だから、あたしも嬉しい。」


 と笑顔で言うと、三虎にぎゅうと力強く抱きしめられた。

 あたしは、えへへ……、と笑いながら、頰を三虎の胸にぴったりとくっつける。

 三虎のかぐわしい浅香に包まれる。


 恋しい三虎。

 ありがとう。





    *   *   *





 白梅の香りが夜気にのり、部屋に滑り込み、ほのかに漂う。

 衣を肩から滑り落としても、三虎の肌からは浅香あさこうの残り香が、仄かに匂い立つ。

 汗をかくと……、もっと。

 三虎はあたしの額に口づけ、頬に、唇にしっとりと口づけ、肩、腕に丁寧に口づけ、柔らかく足にも沢山口づけをする。

 あたしは気づいたことがある。


(……これって、傷のある場所だ。)


 やっぱり、傷だらけなの、嫌なのかな。

 傷跡、醜いかな……。

 莫津左売なづさめの玉のような肌には、きっと、こんな刀傷、一つもついてないに違いない。

 消えたら良い、って、三虎は思ってるのかな……。


 怖くて訊けない。


 でも、今、訊かないと、あたしは後悔するだろう。


「み、三虎、あの……。」


 赤い顔で、おずおずと訊く。


「なんだ。」


 と三虎は顔をあげる。


「あの……。どう見えてますか? 体が傷だらけなの……。あたし……。」


 と上手く言えずに口ごもると、三虎が、


「あん? あちこち傷だらけだな。」


 とたんたんと言う。目がいたずらっぽい光を宿している。


「もう! だから……!」


 ちゃんと分かってよ! と古志加がむくれると、


「くっ、くっ。」


 と三虎が喉で笑い、唇を重ねられた。

 唇はおし包むように動き、舌も……。

 古志加はうっとりとなり、さっき感じた怒りは全て三虎に吸い上げられてしまう。

 本当に三虎はずるい……。


「オレだって、傷はある。嫌か? 古志加。」


 軽く笑って三虎は言う。


「そんなこと、あるわけありません。」


 鍛練や、戦場で勇壮に戦った傷跡を誇りこそすれ、嫌だなんてあるわけがない。

 目をパチパチして答えると、


「そういうことだ。

 おまえがわらはの頃、父につけられた傷には同情するが、衛士の鍛練でついた傷に、同情はない。これは……。」


 三虎が古志加の腕をとり、長い傷の箇所を、古志加に見せつけるようにゆっくり舐め上げた。


(そんな顔ぉぉぉ……。)


 いたずらっぽい光を目に宿し古志加を見る三虎の表情が、色っぽすぎる。

 あたし鼻血でそう……。


「傷痕を巡っていると、ちょうど身体を一周できて良い。」

「な、なんですかそれ……、あ!」


 何が良いのかわからない、と思ったが、その思いはすぐに頭からかき消えた。

 大きな快楽くわいらくの波がやってくる。


 あ、


 としか言えなくなった古志加の顔を三虎は紅潮した顔で覗き込み、目をしっかり見て、


「恋いしい、古志加。」


 と言ってくれた。


「おまえは、どこもかしこも美しい。

 柔らかく巻いた髪も、花のような顔も、

 色っぽい首筋も、丸い肩も、

 しなやかな腕も、豊かな胸も、

 細い腰も、弾力のある尻も、

 力強い足も、オレのための場所も、

 余すところなく美しい。

 本当に、玉にして、手の中に納めてしまいたい。」


 と三虎は言った。


「…………っ!」


 三虎と深く繋がっていなければ、あたしは、


「ひぇぇぇぇぇ!」


 と悲鳴をあげたに違いない。


 なんて言葉。


 恥ずかしいよぉ。


 あたし、あたしの……。


 あたし、そんなに、美しいの? 三虎。


「う、嬉しい……。」


 絶対、言い過ぎだ。

 でも、三虎がそう言ってくれるなら。

 三虎にはそう見えてるなら。


「あっ、三虎……。」


 あたしは、きっと三虎にとって美しいのだ。


「あ、あたしの、愛子夫いとこせ……。」


 この現し世におのこは沢山いるけれど、恋しいのは、三虎だけ。

 その三虎から、美しいと見てもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。

 嘘じゃないんだよ。

 だって、こんなに、今も、あたしに、教えてくれてるもん……。


「三虎、あ……。」


 身体のあちこちで歓喜が弾け、気持ちの良い、温かい清い水に全身が浸されているように感じながら、


 心の中も、清い透明な水に、しっとりと満ちているのを感じる。


 あたしは泣く……。


「おまえ、今夜は夜番よるばんだな。」


 と三虎は口元だけで笑い、


「見送りは、この屋敷の門までで良い。夜番を終えた者は眠れ。」


 と古志加を見下ろしながら、すこし仕方なさそうに、笑った。






 ああ、そうか。

 もう卯団うのだん衛士ではない。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷から、奈良へ行くのを見送りもできないのか……。







 三虎と大川さまは、奈良へ行ってしまった。









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