終章  あたしの愛子夫

第一話  夢を教えて

 三虎が、上毛野君かみつけののきみの屋敷のすぐ側に、二人で暮らせる屋敷を見つけると言い、それが見つかるまでは今のままで良い、と言った。



 三虎は三日で見つけた。

 古志加こじかは、三虎からもらった新しい桃色の衣に袖を通し、三虎が見つけてくれた新しい屋敷に来た。



 の刻。(朝9〜11時)



 その屋敷は、こじんまりとしているが、門があり、庭があり、井戸があり、炊屋かしきやと住居は別になっている。

 庭には柿の木が植わっている。


「大川さまは、また奈良へ行く。

 一年に何日か、上野国かみつけのくにへ戻ってくる生活だ。

 待てるか。古志加。」


 三虎は柿の木を見上げ、淡々と言う。


「はい。」


 古志加は微笑んで答える。

 寂しくないと言えば、嘘だ。

 でも、あたしはもう、三虎のいもで、三虎はあたしの愛子夫いとこせだ。

 なら、待てる。


「ふ。」


 こちらを見た三虎の口元が優しく笑う。


「おいで。」


 と三虎が両腕を広げた。


「うん。」


 と迷わず、恋しい人の胸に飛び込む。


上野国かみつけのくにへ戻れば、必ず、おまえのもとに戻ってくる。

 おみなはおまえだけだ、古志加。

 オレのいも。」

「はい。」


(……莫津左売なづさめは?)


 と思うが、訊かない。

 三虎はこう言ってくれている。

 素直に、嬉しい。




     *   *   *




 古志加が顔を己の胸に擦り寄せてくるのを愛おしい、と思いつつ、三虎は言わなければいけないことを口にする。


「おまえに言っておくことがある。

 オレは生まれた時から大川さまの従者だ。

 オレは、大川さまが避けられない刃があれば、必ず盾となり死ぬ。

 残されるおまえは辛いだろう。

 オレが死んでも、大川さまを恨むな。」


 古志加は、ばっ、と身体を離した。

 きっ、と三虎の顔を見上げる。


「そんなこと分かってる!

 もう始めからずっと、ずっと……。

 あたしだって衛士だ。覚悟はある。

 大川さまを恨んだりしない。

 ただ、三虎をそんな目にあわせた奴は、必ず、黄泉に送ってやる!」


 顔に怒気を閃かせながら、古志加が言う。


「期待している。」


 三虎はふっと笑い、


「古志加……。」


 名を呼び、頭に手をやり、古志加を抱きしめなおす。


(おまえは、良いおみなだな。

 そして、良い衛士だ。

 オレは、おのこの中で負けまいと命の炎を燃やし、強い衛士であろうとするおまえの姿を、愛しんでいた。

 だがもう、いもとしてしまった以上、オレは衛士としてのおまえを手折たおる………。)




     *   *   *





「準備が整い次第、ここに住め。」


 と三虎が言うので、古志加は心臓しんのぞうが、ドン、と脈打った。


卯団衛士うのだんえじは、辞めるんですか……?」

「古志加。衛士は夜番がある。

 夜、二人きりで組を務めるのか。

 おまえが良くても、組になった衛士の気持ちを考えろ。」

「……夜番だけ、ナシ、とか……。」


 小さな声で古志加が言うと、


「おまえ、夜番だけやらないヤツを仲間と思えるか?」


 とビシリと三虎が言った。

 古志加は黙り込む。


 一月ごとにまわってくる夜番は、辛い務めだ。

 とくに、初日は頭が切り替わらず、体調を崩しやすい。

 たしかに、夜番だけやらないなんて特別扱いのヤツ、嫌だ。


「……わかった。」


 気持ちが果てしなく沈む。

 三虎が腕をほどき、古志加の手をとり、


「ほら。」


 と室内へいざなう。

 庭へと続いた部屋は、一面に葦簾よしずあしの茎を編んで作ったすだれ)が大きくかけられていて、贅沢だ。

 もう、机、倚子、和櫃わひつ(大きな物入れ)が室内には備えられている。


「そこの和櫃わひつの中を見てみろ。」


 と三虎が言うので、和櫃の蓋を開けると、


「あっ……!」


 見慣れた衛士の濃藍こきあい衣が入っていた。

 でも、少し違う。

 取り出し、さっと広げてみると、肩から胸にかけて。背中にも。紫のスミレの花がいくつも綺麗に刺繍されている。


「まったく行くなとまでは言ってない。

 時々、遊びに行くぐらいなら、いいだろ。

 その時は、これを着ろ。もうおまえはオレのものなんだから、一目で分かるように。」


 三虎がちょっと唇をつきだして、照れたように言う。


「嬉しい! ありがとう!!」


 古志加は濃藍こきあい衣を机の上にいったん置き、三虎に抱きつく。


「よしよし。」


 と三虎は古志加の背中をぽんぽんと叩く。



 古志加は倚子に座って、部屋からの眺めを確かめてみる。

 庭の柿の木が良く見える。


(あたしがここの女主人だなんて。

 贅沢だ……。)


はたらも一人か二人、置くつもりだ。」


 と三虎が言うので、


「あたし、福益売ふくますめが良い!」


 と即座に言うと、


「構わないが、本人にもう話したのか?」


 と三虎があっさりと言う。


「まだ。話してみる。」


 と古志加はため息をついた。

 机に頬杖をつく。

 本当に、まだ夢を見ているみたいだ。

 長い長い夢……。


「三虎……。あたし、前に、夢を見たんです。

 不思議な夢で、忘れられなくて。

 癸丑みずのとうしの年。(773年。6年前)

 三虎が奈良にいて、あたしは上野国かみつけのくににいた頃です。

 あたしは羽衣をまとって、空を駆け、雲間から三虎を見つけました。

 三虎は暗い黄緑色の衣で立ってて、あたしに……。」


 そう言い、三虎を見る。

 立ったままの三虎は、ぎょっとした顔をした。




    *   *   *




 三虎は思う。

 暗い黄緑。それは青丹あおにの衣だ。

 奈良で買い求め、奈良の屋敷に置いてある。

 古志加は見てないはずだ……。



 古志加は倚子を立ち、頬を赤く、三虎の前に立つ。

 差し込む二月の陽光が、二人を優しく照らす。

 どこからか、白梅の香りが柔らかく香る。


「三虎も、同じ夢を見ていた、なんてこと、ありませんか?

 その夢では、三虎の方から、あたしに……。」


 三虎はムッと不機嫌そうな顔になった。


「知らんな。夢にでてきたおみなが何をされたかなんて。

 おのこの夢にのこのこやって来るほうが悪い。」


 と、さっと古志加の唇を盗んだ。

 甘く柔らかい感触を楽しみ、唇を離したら、古志加が目を見開いて、


「えええっ!」


 と間抜けな声をだした。

 構わずさっさと庭の方へ降りる。


「ま……、待って、三虎。」

「ふん。」


 夢で表れるなんて、どんな命の危機かと肝を冷やしたが、上野国かみつけのくにに戻ってみれば、なんのことはない、阿古麻呂が妻問つまどいに失敗した頃合いの夢だった。

 そんなんで魂を飛ばしやがって!


「三虎。」


 古志加が慌ててあとをついてくる。

 手にはスミレの濃藍こきあい衣をしっかり持ってる。

 三虎は右手を差し出してやる。

 古志加の手をとり、


「帰るぞ。」


 と上毛野君かみつけののきみの屋敷へ歩いて帰る。


 もう堂々と、古志加の手をひいて歩いて良い。



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