第九話  三虎、正述心緒、了。

「きっと、大川さまなんでしょ!

 あの金のかんざしを机に打ちつけたのだって、あたしと大川さまを疑ったんでしょ。

 バカみたい。そんな事あるわけないのに。」


 と古志加こじかが強い口調で言うので、三虎は、ぎょっ、とした。


(そんな事あるわけない、とおまえは言うが、実は、比多米売ひたらめの次に、大川さまが興味を示したおみなは、おまえだった。

 おまえは知らないだけだ……。)


 三虎は無言で目をそらしてしまった。

 古志加は首をすこしかしげて、黙ってしまった三虎を不思議そうに見た。


「三虎? 本当にバカバカしいことです。

 大川さまは、あたしなんて相手にしないし、あたしだって、その……、恋したりしない。

 三虎の方が格好いいんだから。」


 三虎の心臓しんのぞうが強く打った。

 無言で、目をみはり、古志加の顔を覗き込んでしまう。


(嘘を? オレを喜ばせようと……。)


「ええと……。大川さまはおみなのように美しいですが、三虎の方が、格好良くて、素敵です。

 あたしは、大川さまと三虎が一緒にいる時も、いつも、三虎だけを見ていました。」


 古志加は少し頰を染めて、普通のことのように言う。

 美しい瞳が、生命の光をたたえて、きらきらと輝いている……。


 嘘ではない……。


 三虎は無言で、古志加の両肩に手を置く。


「三虎は、格好良くて、強くて、全てが凛々しくて、素敵です。

 そして誰よりも優しい……。

 あたしは知ってます。まだわらはだったあたしを、夜、抱きよせてくれた三虎の手は、すごく優しかった。」


 古志加は花がこぼれるように笑う。

 三虎の心臓しんのぞうは高鳴り続け、全身が熱く脈打つ。

 三虎は、古志加の顔をじっと見ながら、胸が苦しい、と思いながら、


「オレの顔は怖くないのかよ。」


 と訊いた。

 古志加がどう思ってるのか、ちゃんと聞きたい。

 古志加の口から。

 古志加は、あはっ、と陽気に笑った。


「怖いです! 不機嫌そうな顔も、無表情な顔も、いたずらっぽい顔も、たまに見せる笑顔も、すごく優しい顔も、全部、大好きです。

 全部、恋しい。

 三虎が魅力的すぎて、あたしはいつも、クラクラします……。」


 三虎は古志加をかき抱いた。


(うわああああ! これ無理だああ!)


 全身が熱く震え、目頭が熱い。泣かされる。


(本当に全部かよ!)


 古志加に全部を持っていかれる。

 海の波が砂をさらっていくように、何一つ残らず、古志加にむかってサラサラと、己の全てが引き込まれていくのを感じる。

 もう元には戻れない。

 古志加はオレの全てが欲しいと言い、オレも、オレの全てを与えよう、と言いはしたが、本当に全部、持っていきやがった……!

 口にできる言葉は、一つしかない。


「古志加、オレのいも。」


 強く強く抱きしめた腕のなかで、古志加は、


「三虎、あたしの愛子夫いとこせ。」


 と嬉しそうに、はっきり言った。


「う……!」


 熱く震え続ける胸に、響神なるかみ(カミナリ)のように強い喜びが走り、その強さにうめき声がでる。


 唐でも、古志加の面影を忘れたことはなかった。

 だから、きっとこれがいもなのだと。

 生きて上野国かみつけのくにに帰れたら、そう呼んでやろう、と思っていたが、さ寝の前に口にした「オレのいも」と、今、口にした「オレのいも」は、言葉の重みが違うのが分かる。

 もう、いもとしか呼べない。






 ────失ってはいけないいもは、たった一人。





 今こそ、その言葉が分かる。父上。

 いも愛子夫いとこせ

 そう呼び合うだけで、こんなに嬉しいとは。


 おまえこそ、オレのたった一人のおみないも

 オレこそ、おまえのたった一人のおのこ愛子夫いとこせ


 もう古志加を失っては、生きていけない。


(どうするんだ、これ……!)


 こんなに恋しくて。

 と三虎が想いの強さに戸惑っていると、


「三虎、あたし、もう一度、さ寝してほしい。まだ、夢を見てるみたいで……。」


 と古志加が願った。


「よし、わかった!」


 とそのまま寝床へ倒れ込む。





    *   *   *




 三虎の熱い口づけを全身に受けながら、あたしはうっとりと息を吐く。

 もう、ひゃっ、とか、ひぇっ、とか、変な声はでない。

 普通に、女らしい、甘い声が、身体の歓びのままにれいでる。


 だってもう、ちゃんと女だもん。

 ぜーんぶ、ちゃんと女だったんだよ、あたし。

 えへへ……。


 三虎の口づけを、手を、嬉しい、と思いながら快く身を任せていると、あたしの頭付近をしげしげと見ていた三虎が、


「どこだ、古志加。」


 と訊く。


「へ……?」


 さすがに頭に穴は空いてませんが?

 とパチパチ目をしばたたく。



     *   *   *



「前に、父親に消えない傷を頭に負わされた、って言ってたろ。どこだ。」


 実は、壬子みずのえねの年(772年、7年前)、古志加はいくつも傷を抱えてる、と知った時より、三虎が一番、古志加にしたかったこと。

 口づけとか、さ寝とか、そんな事ではない。


 傷に、そっと触れてやりたい。


 そう思っていた。

 卯団うのだん衛士の鍛練の傷ではない。

 古志加の心までも傷つけたような、そういう傷痕。


「えっ……、良く知ってますね。あたし、話しましたか?」


 と古志加は驚きながら、


「ええと、ここです。」


 と、頭の後ろの一箇所を指差す。

 目立たぬように髪を結い上げているが、良く髪をどかすと、


「これだな。」


 たしかに、髪の生えていない、うっすらとした小さな傷痕があった。

 三虎は、そっと、指でその傷をなぞり、


「ふぅっ。」


 と吐息を吹きかけた。


「ひゃ……。」


 と古志加がくすぐったさに肩をすくませる。


「な……、なんです?」


 三虎は口元にゆるやかな笑みを浮かべ、


「これで少しでも、おまえの心の傷が、辛い思いが、オレに癒せれば、と思っている。

 ほんの気休めだが、少しでも、おまえが楽になれば良い。」


 古志加はその言葉がくすぐったい、というように、


「えへへへ……。」


 と両肩をすくませ、笑う。


「嬉しいです。でも、必要ない。

 そんなことしなくても、もう、さっきのさ寝で、あたしは三虎に癒やされました。

 あたし、時々、無性むしょうに寂しくなって、泣きたくなることがあるんですけど、多分、もう、それは無い。

 三虎のおかげです。

 三虎は沢山、あたしにくれたんですよ。」

「へぇ……。」


 いつの間に。


「オレ、何もしてねぇけどな……。」


 いや、したか。

 何もどころか、ついさっき手折たおったばかりだ。

 おかしさが込み上げる。


「もう、辛い思いは、楽になったのか?」

「はい。」


 古志加が輝くような微笑みを浮かべる。




     *   *   *




「そうか、良かったな。」


 と三虎が破顔した。

 目を細め、口が優しく笑い、顔の全部が笑った。

 めったに見られない、心から嬉しそうな笑顔……。


(なんて魅力的なの……。)


 見ているだけで、うっとりと、ため息をついてしまう。

 そしてあたしは、そんな笑顔を独り占めして。

 頬に手を伸ばして。

 そっと顔を寄せて。

 口づけをしたって良い……。

 三虎は、あたしの愛子夫いとこせなんだから。

 あたしは、幸せに涙ぐみながら、


「あたしの愛子夫いとこせ。」


 と、三虎に唇を重ねた。





     *   *   *




(さつらふいも。スミレの花妻はなつま

 オレの古志加……。)


 三虎は甲寅きのえとらの年(774年。5年前)を思い出す。


 夏。


 滅多めったにお目にかかれないような美女に、たはむれの一夜を誘われた。

 その美女はひどく傷ついていたので───あれも滅多にお目にかかれないような悲惨な現場だった。傷ついて当然だ───では、慰めてさしあげよう、と思った。


 その美女は、浄酒きよさけをあおっても寝付けないようだったので。

 波が寄せて打ち返すように。

 何度も優しく、何度も丁寧に、何度も熱く。

 波を打ちつけて。

 身体をさらって。

 みぎわに深く沈めて。

 何も考えられないほどにして、良く眠れるようにしてやれば良かった。


 実際、その美女が求めているのはそのことで、それ以上のことは求められていなかった。

 では、と思った時、




 さっ、と古志加の顔が心に浮かび、大きな潤んだ目で見つめられた気がした。

 その頬は赤く、唇は小さく震え、


 ────三虎。


 と、たしかに古志加の声が聞こえた気がした。




 その美女の方に行きかけた足は止まり、


「あなたは酔っている。佐久良売さくらめさま。必ず後悔なさるでしょう。

 ───そしてオレも。

 心に決めた、たった一人のおみながいるので。」


 驚くほど、すらすらとそんな言葉が出た。

 美女は興ざめ、という顔をして、怒りと羞恥をにじませながら、部屋に戻って行った。

 さらに傷つけて申し訳ない、と思いつつ、


 なぜ、何度も肌をあわせ親しんでいる莫津左売なづさめではなく、化粧っ気のない古志加の顔が浮かんできたのだろう、と不思議に思った。


 心に決めた、たった一人の女……、なんて、よくもまあすらすらと出てきたものだ。


(ちっ……。)


 心がざわついた。

 そして、そうなのかよ。

 と気がついてしまった。



 古志加を抱くと、胸が高鳴り、甘くうずくことがある。

 莫津左売なづさめとさ寝すると、胸が高鳴るが、甘く疼きはしない……。

 莫津左売は、良いおみなだ。文句のつけようがない。

 だがオレは遊浮島うかれうきしまから莫津左売を出す気がない。

 毎夜通いたいという熱がない……。



 心がざわつき、粟立あわだち、イライラとする。

 今さらおみなが欲しくなる。

 莫津左売以外のおみなは知らないが、せっかくあれだけの美女から誘いを受けたのだ。

 ありがたくあの美女を抱き上げていれば良かった。

 惜しいことをした、と少なからず心を乱しながら、大川さまのもとに戻ったものだった。





 オレは、莫津左売より、古志加を想っているのかもしれない……。


 それでも、父上が言ったようないもだとオレには確信が持てない。

 そう二の足を踏んでいた。


 どうしても踏み出せなくて。


 衛士として生き生きと剣を振るおまえを、このまま、卯団うのだんちょうとして、可愛がっていたくて……。


 でも、おまえがもし、夜忍んできたら。

 恋してます、とオレを望んだなら。

 ……こばみはしない、とオレは。






 ずっと、待っていた。






 もう、いつからとわからないほど、前から。

 おまえに恋していた。

 古志加。

 心に決めた、たった一人のおみな

 オレのいもよ。











 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659577893893


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