第五話  

 古志加こじかが泣き止んでから、衣を肩からかけてやり、自分も衣を肩からはおる。


「あの金のかんざしは大川さまのものだ。オレが手にとって大川さまに渡した。間違いない。」


 と告げると、古志加が、


「えっ!」


 と目をみはった。


「あれは日佐……。ああ……。うう……。」


 としばらく逡巡しゅんじゅんしたあと、


「黙ってられないよね? あのかんざしは、日佐留売ひさるめにもらったの。

 十五歳のとき。

 ただ、誰からいただいたのか、訊いてはいけない、日佐留売から譲られたことも口外してはいけない、って約束したよ。」


 と言った。

 三虎は遠くを見る目で、


「そうか……。他には何か言ってなかったか。」


 と訊いた。


「うん。つまから貰ったものではない。多知波奈売たちばなめに譲ることもできないかんざし、って言ってた。

 あと、簪を見るだけで慰められるから、あの……。」


 古志加は頬を赤くして、両手で己の頬をおさえて、


「あたし、その時、日佐留売に初めて、三虎に恋してる、どうしようって相談したんです。

 そしたら日佐留売が、あたしがこの金の簪が似合うくわに、何年かしたらなるから、それまで大切にこの金の簪を持っておきなさい、って簪をくださったんです。」


 と言った。

 姉と大川さまに何があったのだろう?

 全く知らなかった。

 そう、姉はたしかに大川さまを一途に恋い慕っていた。

 遠くから見てるだけの儚い恋だったが……。

 十五歳で大川さまが奈良に行き、帰ってきたらもう、姉は浄嶋きよしまの妻となっていた。


 いつ……。


 いや、詮索はするまい。

 今は大川さまも姉もおさまるところに納まっている。

 詮索したとて、何もならない……。


「大事な簪をすまなかったな。」


 盛大に折り曲げてしまった。

 苦笑しながら、古志加の頭を撫でる。


「よしよし。」


 そう言ってでてやると、古志加が気持ち良さそうに目を細め、


「本当ですよ。」


 と文句を言い、


「ん。」


 と唇を突き出し、目を閉じた。


(おや? どうしようかなぁ。)


 とニヤニヤしながらその顔を見ていると、古志加が赤い顔で目を開けた。

 三虎をキラキラ光る目で見つめ、


「三虎、頭を撫でてくれるのも、抱きしめてくれるのも、優しく背中を叩いてもらうのも大好きです。

 でもあたしは、もうそれだけじゃ、満足できません。

 もっと欲しい。

 あたしに三虎の全部を下さい。」


 そうはっきり言った。

 三虎からにやけ顔が剥がれ落ち、後悔の念が浮かび上がる。

 さっきは随分怖い思いをしたはずだ。

 古志加から目をそらし、


「無理はしなくても……。」


 と言うと、


「無理じゃないです。は、入らないかもしれないけど……。」


 と、情けなさそうに言った。


「ふっ。」


 愛おしすぎて、口元がつい笑ってしまう。


「では、オレの全てを。おいで、古志加。」


 そう言って、両腕を広げると、


「うん!」


 と満面の笑みを浮かべて、古志加が飛び込んできた。

 衣が肩から滑り落ちる。

 抱きとめ、


「ふふ……。」


 また口元が笑い、

 こうやって古志加が飛び込んでくるのを抱きとめるのは、久しぶり……。

 やはりこうでなくちゃな、と思う。

 古志加の日なたとスミレの花の匂いを楽しみ、しばし身を右に左に揺らし、抱擁ほうようを楽しむ。そして、


「猫はここを撫でると、ごろごろ言う。ごろごろ言ってみろ。」


 と顎下をちょいちょいとくすぐる。


「ひゃん!」


 くすぐったさに古志加が面白い声をあげるが、


「だめ、ごろごろ。」


 と三虎は全く表情を動かさず言う。

 古志加は顔を真っ赤にし、ぷるぷる震えだすが、


「ご……、ごろごろ。」


 と三虎に首をくすぐられながら言った。


「くっ、くっ、くっ。」


 と三虎は満足そうに喉をならして目を細めて笑い、その笑顔の柔らかさに、はっと古志加は目を見開く。

 三虎は古志加の顔を覗き込み、


「オレはどうも、おまえを可愛がりたくなっちまう。

 おまえに願われると、叶えたいと思っちまう。」


 ……まったく、しょうがないよな。


「恋うてる。古志加。」


 と両頰を包み、口づけを降らす。

 上唇、下唇をそれぞれ軽くついばみ、口のはじにも口づける。


「ん……。」


 古志加の口からようやく、初めて聞く甘い声が、小さくもれた。


「ふ……。」


 三虎の口からも、小さな小さな笑いがもれる。

 オレはさっきから、口元が笑いすぎではないか。


 ……この声を聞くまで、長かったな。


 そう思うと、やはり胸が疼き、自然と口元に笑みが浮かんでしまうのだから、しょうがない。


 三虎は古志加の額の中央、もう跡は残っていないが、自分が土師器はじきで傷を負わせた箇所を、親指でなぞり、ひときわ優しく口づけをする。

 古志加は目を気持ち良さそうに細めた後、三虎を不安そうに見上げ、


「あたしも、三虎を恋うてる。

 三虎じゃなきゃイヤ。

 だけど、やっぱり入らなかったら、あたしのこと、キライになる……?」


 と口にした。

 頬が赤く、唇も濡れて赤い。

 なんて顔。

 そんな顔で言われて、嫌いになる、なんて言える男がいるのか。

 また三虎は、くっ、くっ、と喉を鳴らして笑い、


「ならない。バカなヤツ。」


 と口づけし、


「不安に思う必要はない。さっきのはオレが悪かった。

 もっとちゃんとやれば、入る。

 オレに任せれば良い。

 ……おいで。」


 と古志加を抱き上げる。

 古志加は両腕を三虎の首にまきつける。

 寝床に運ぶ。

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