第四話  膺懲

 膺懲ようちょう……征伐してらしめること。



     *   *   *





 恐ろしい顔で金のかんざしを凝視した三虎が、みるみる青ざめ、目に本気の怒りがひらめいた。


(怖い……!)


 古志加は涙目のまま、すくみあがった。


(どうして……?)


「これを誰に貰ったか言え。」


 三虎が怒りをたぎらせながら古志加を睨み、抑えた口調で言った。

 日佐留売から貰ったことは秘密だ。

 言えない。

 古志加は口を閉ざし、首を振る。

 三虎の目に怒りの炎が燃え上がり、右手に持ったかんざしを思いきり机の上に打ち付けた。

 ガァン、と音がして、かんざしがグニャリと曲がる。


「ひぃ……。」


かんざしが!!)


 あれではもうかんざしとして使い物にならない。

 古志加は口をあんぐりと開け、細い悲鳴をもらした。


「ひどいっ!」


 何するの、と言おうとして、最後まで言えなかった。

 かんざしを放り投げた三虎が古志加の両肩を掴んで、強引に口づけをしてきたからだ。


(え……?)


 口を開け、閉じ、唇をあわせ、息を吹き込まれ、間違いない、今、三虎に口づけされている。


(三虎の唇だぁ……。)


 と頭がくらくらするが、ちょっと勢いが怖い。

 口づけをしながら、三虎が古志加を後ろに押すので、古志加は一歩引き、二歩、三歩と引き、とん、と背中が壁にあたった。

 やっと顔が離され、息をすることができ、


「み、三虎……。」


 ほぅっと息をつきながら、三虎を見つめようとするが、三虎の頭はすぐ下に動いてしまい、乱暴に首筋に吸い付き、


「わ……!」


 真っ赤になる古志加に目もくれず、高麗錦こまにしきの飾り帯に手をかけた。

 強引に引っ張ったので、ぐっ、ぐっ、と腰が強く引かれ、


「わああ! 自分で! 自分でやります!」


 と慌てて古志加は声をだした。

 破かれてはたまらない。

 三虎が古志加を睨みつけながら、すこし身を引いた。

 急いで古志加は飾り帯をほどいた。

 身をすくませ、困り顔で三虎を見上げると、背子はいしを下から上に一気に脱がされた。

 三虎は首に吸い付き、胸元に吸い付き、ほうの合わせを猛々しい勢いでかき広げた。

 古志加の上半身があらわになったところで、強い力で身体を押しつけてきた。


「ひ、ひぇぇ……!」


 背中が木の壁にあたり、ドン、と音をたてる。

 これは何がおこっているんだろう?


(なんか想像と違う───!)


 とにかく扱いが乱暴だ。

 三虎が嵐のようで、古志加は身をすくませることしかできない。


「み……。」


 三虎、と言おうとして、乱暴に唇を奪われた。

 顔を離した三虎の顔が、半蔀はじとみ(釣り上げ窓)から差し込む小望月に照らされて見えた。

 眉が歪み、

 目が辛そうに細められ、

 苦しさを必死に耐えているような顔だった。

 口づけのあとに唇が濡れ、月の光をしっとり吸い込んでる。

 あまりの色っぽさに、

 瞬時、時を忘れる。


(何をそんなに苦しんでるの、三虎……?)


 と思い、もう、自分の早鐘を打つ心臓しんのぞうが、


 三虎との共寝への期待か、

 乱暴に扱われてる戸惑いか、

 苦しそうな三虎への疑問か、


 そのどれで早鐘を打っているのかわからない。


「い、痛……!」


 三虎の扱いの荒々しさに、小さな悲鳴がもれる。




     *   *   *




 あれは大川さまの金のかんざし

 間違いない。

 オレが間違えようはずがない。

 あんな昔のものがどうして。

 大川さまに求められたか古志加。

 古志加の立場では、求められれば、拒めようはずがない。

 あかしとして、大川さまの手で髪にさしてもらったのか。

 もしくは。

 大川さまに歌ったのか。

 誘ったのか。

 いつだ。……わかる。

 乙卯きのとうの年、(775年、4年前)おまえが山吹の衣でオレに歌ったあと、上野国かみつけののくにを発つまでに三日ほどあった。

 秋間郷あきまのさとに住む祖父母とゆっくり語らうために、一日、秋間郷に泊まった日があった。

 大川さまを一人にして……。

 あの日だ。

 オレに歌って、オレに袖にされて、大川さまに歌ったか。


 

 大唐だいとうへ渡る前、奈良で、


「秋津島のおみなとさ寝しておきましょう。

 奈良の遊行女うかれめは美女ぞろいと聞きます。

 上野国かみつけのくにの奴らには黙っておきます。

 何も思いわずらわず、遊びましょう。」


 と必死に大川さまに言いつのったら、あっさり大川さまが、


「いいだろう。」


 と言ったので、むしろこっちが拍子ひょうしけした。

 そしてすずを鳴らした後、


「ど……、どうでしたか。」


 とオレは訊いてしまった。

 大川さまは何も言わず、こちらを見て笑った。

 その顔は、何か言いたいことがある時の顔だ……。

 三虎にはわかる。

 大川さまはずっと無言。オレと二人きりなのに。


 言いたいことがあって、でも言わない……。オレに……?


 なぜかオレの身体に、嫌な緊張が走った。

 大川さまはやがて、ふっと笑みを濃くし、


「良かったよ。」


 とだけ言って、その場は終わりとなった。

 あの時の違和感。

 おまえが、上野国かみつけのくにで、大川さまとさ寝したからか。

 だから大川さまをあのように変えたのか。




 自ら帯を解く古志加を見て、苦い悔恨が胸を貫いた。

 そうやって大川さまにも自ら帯を解いたのか。

 肌を許したのか……。

 オレは大事に、しまいこむようにおまえの手を離したのに。

 おまえはあっさりと、大川さまに肌を許したのか。





「い、痛……!」


 と小さな声をあげる古志加にむらむらと怒りがいた。

 大川さまが可須美かすみさまを連れ帰ってきて、さぞやおまえはがっかりしたろうな!

 もう大川さまは可須美さま以外見向きもしない。

 それでオレのところに来たのか。

 オレと大川さまの味の違いでも比べようってのか。


「お願い、もっと優しく……!」


 と古志加が哀れっぽい声を出すが、

 三虎は赤い怒りの衝動に突き動かされるまま、


「それはできねぇ、これがオレだ。とくと味わえ。」


 と言い捨て、古志加の右肩に噛み付いた。


「ぎゃん!」


 と古志加は悲鳴をあげ、涙を流し、


「や、やめ……、やめ……。」


 と首をふり言うが、その両頬を鷲掴みにし、締め上げ、何も言えなくする。


「泣くのは構わないが、やめてはナシだ。

 夜、おのこの部屋に一人で来たのはおまえだ。わかってるだろ?」

「ひん……!」


 古志加は泣き声を呑み込み、三虎が右手を離すと、黙って顔をそむけて目をギュッとつむった。

 いっそう身体を固くする。

 罠にかかった乎佐藝をさぎ(兎)のように、古志加が緊張と恐怖で身体を強張らせているのがわかるが、三虎は怒りと凶暴さを抑えることができない。




 三虎は結局、莫津左売なづさめと、大川さまにつきあって奈良で一度遊んだ遊行女うかれめしかおみなを知らない。

 奈良でも唐でも、土産を買い求めるようにおみなを求めるのは簡単だし、そそられないわけではないが、莫津左売ほど熱くさ寝してやろう、という気がおきないので、別に求めなかった。

 無論、おみなを乱暴に扱ったことなどない。

 なのに。

 よりによって。

 古志加にこれかよ。


(チックショオ……!)


 だから大川さまだけは駄目だぞ、って言ったじゃないか!



 三虎によって壁に背を押しつけられ、指によって身体をビクリと震えさせられた古志加が、


「いやぁ。」


 と声をだしたが、かまわず、


膺懲ようちょうしてやる……!) 


 と古志加の身体を膺懲ようちょうしようとし、三虎は派手に滑った。

 三虎は、


「うっ。」


 と言い、古志加は、


「あっ?」


 と真顔になる。すぐ三虎は指でたしかめ、再度試み、……膺懲できない。


(た、盾……!)


 ここに盾がある。バカな。

 三虎は、無言になった古志加を壁から引き剥がし、机の上にぽいっと仰向けに寝かせた。

 ガチャン、と何か割れた音がして、古志加は身をすくませる。

 足を開かせ、もっと限界まで大きく開かせたので、


「う……。」


 と古志加は顔を歪め、恥ずかしそうな声を出したが、試みても、膺懲できない。

 何度も盾の上を滑るだけだ。

 とうとう、三虎は顎に手をあて、


「あれ……。おっかしいなぁ……。」


 とひとちてしまった。

 古志加がパッと目を見開き、突如両手で三虎をドンと押した。

 それまで抵抗らしい抵抗がなかったので、三虎はよろけた。


「あたし、駄目なんだぁ!」


 と机の上をさっと降りた古志加が三虎の横をすり抜け、衣を拾い、部屋を出ていこうとした。


「あ! オイ……!」


 つい足払いが出た。

 きれいに足払いは決まり、両手で衣を抱えていた古志加は頭から木の床に着地した。

 ゴン、と音がし、


「ひっく……。」


 起き上がりながらしゃくりあげた古志加は、座り込み、衣を抱えたまま、


「わあああん!」


 と大泣きを始めた。



 あたし、おみなじゃないんだぁ。

 穴開いてないんだぁ。指しか入んない。

 なんでおのこのそれってそんな大きいの。

 怖いよ。

 指と同じ大きさでいいじゃん……。




 とわぁわぁ泣きながら古志加が言うので、仕方なく三虎はしゃがみ込み、

 こんな事は言いたくねぇ! と思いつつ、


「なに、おまえ、月の……、おみなの印、来てねぇの?」


 と訊くと、


「……来てる。」


 と言うので、


「じゃあ、おみなだろ。」


 と三虎がため息をついて答えると、


「でも入んない。あたし、きっとおかしいんだ。おみなじゃないんだ……。

 だから親父はおのこみたいに育てたし、板鼻郷いたはなのさとおみなにも、男童おのわらは? って訊かれるし、三虎だって、ずっとおみなだって気づかなかったし、頑張って着飾ったって猪だって言うし……。」


 古志加がブチブチと泣きながら言う。

 おまえそれ!

 もう済んだことだろ……。


「まだわらはおのこの格好をしていたから、分からなかっただけだ。

 日佐留売ひさるめに預けた後だったら、見間違わない。

 猪って言ったのだって、謝ったろうが!」


 つい声を荒げてしまうが、古志加はむうっとむくれて唇をつきだした。


「口が悪いって謝られただけだもん。」


 泣き、赤い顔で頬をふくらませ、言う。


「はぁ?! ちゃんと首飾りも衣も似合ってる、って言ってやったろ!」


 四ツ船に乗る前に、心残りとならぬよう、言ってやったじゃないか。


「それだけだもん……。

 綺麗とか、おみならしいとか、一度だって言ってくれたことない。」


 古志加が悲しそうな顔になり、うつむき、立ち上がった。


「ごめん。」


 そう古志加は言い、くるりと背を向け、外に出ていこうとする。

 いや待て待て!

 ごめん、はおまえじゃなく、こっちが言うことじゃないのか。

 三虎は慌てて立ち上がり、


「行くな。」


 と右腕を掴んだ。

 古志加はきっと振り返り、涙を流し、腕を振り払った。


「もういいよ!

 ずっと、ずっと、恋しくて、ほんの気まぐれでもいいから、一夜、呼んでくれないかな、って待って、ずっと妹になりたい、って思い続けて、三虎が唐から帰ってきたら、って期待して待って、勇気だしたって、金の簪つけたって……。

 あたしはこうだよ!

 おみなとして欠けてるんだ。

 挙句の果てに、無理に綺麗だって言わせようとして……。」


 聴いてられない。

 なので古志加を引き寄せ、口づけをした。


「う!」


 古志加が怒った声を出し、肩に力をこめる。


(怒るな、怒るな……。)


 優しく、甘く、心のこもった口づけをする。

 重ねた唇から、さっきまでの乱暴さとは違うと、感じ取れ、古志加。

 まだ古志加の身体から力は抜けない。

 だが逃げない。

 唇を離し、剥き出しの肩に腕をまわし、優しい力で抱きしめ、


「茜色の衣も、赤い錦石の首飾りも、良く似合っていて、綺麗だった。

 舞う姿は、しっとりとして、女らしかった。これで良いか?」


 そう耳元でささやくと、古志加はうつむき、


「無理に言おうとしてくれなくても……。」


 とねたように言う。信じてないようだ。


「無理ではないさ。口にするのは恥ずかしいから言わなかったが、本当にそう思ってる。

 十一歳の、初めて女官姿のおまえを見た時には、スミレの花のようにかわいい女童めのわらはだと思ったし、十六歳を迎えたおまえは、笑顔を浮かべるとはっとするほど美しい。そう思っていた。」

「ほ、本当……?」


 古志加が顔をあげた。


「本当。恋しいおみなだからな。さっきは乱暴にしてすまなかった。」


 目を見て、言う。


「あ……!」


 古志加が震え、身体から力が抜け、胸にかかえた衣を落としそうになる。

 衣を抱えなおし、ポロポロと泣きながら、


「本当……?」


 とこちらに身体の重さを預ける。


「本当。実はずっと……。おまえが恋してるって言ってくるのを待ってた。」


 とうとう白状した。


「あたし、十六歳の母刀自の墓参りの時、恋してます、って言おうと思ってた。

 十七歳の時も。でも、三虎が奈良に行くとか、誰かつまを得ろ、って言うから、言えなかった。」


 そうかよ。

 本当にずっと慕っててくれたんだな。


「なんで、他のつまを得ろ、なんて言ったのよぉぉ……。」


 ひっく、ひっく、としゃくりながら古志加が言う。

 あれはあれで本心なのだが、どう説明しても古志加は怒りそうだ。


「すまなかった。」


 そう一言謝ると、


「あたしがいもと呼んでほしいのは三虎だけ。

 あたしが愛子夫いとこせと呼びたいのは三虎だけ。

 三虎、妹って呼んで。」


 衣を取り落として、古志加が抱きついてきた。


「オレのいも。」


 とささやくと、古志加が、ふぅっと震える息を吐き出し、


「あたしの愛子夫いとこせ。」


 と大きな声で叫び、


「もう一度言って。」


 と言うので、


「オレの妹。」


 と頬に頬を擦り寄せ、耳元にささやくと、


「うわああん!」


 と古志加が泣き崩れた。

 古志加をしっかり抱きしめ、泣かせてやる。


「唐で、おまえの美しい姿を思い浮かべない日は、一日たりともなかった。」


 と告白したら、ますます泣かせた。






 本当に、古志加の面影を忘れられなかった。

 茜の衣の姿も。

 山吹の衣で舞う姿も。

 濃藍こきあい衣で剣をふるう姿も。

 蘇比そび色の衣で、額の口づけに落ち着きなく目をしばたたく姿も。

 一夜、わらはのように一緒に寝たときの、あどけない寝顔も。


 花のように、満月のように笑う姿も……。


 三虎は、何一つ欠けることなく、思い出せる。

 そしてもう、忘れることはなく、

 唐の地で一人、月を見上げ、毎日、古志加を思っていた。






     *   *   *






 著者いいわけ。


 ここまで書くと、ご不快になる方もいらっしゃると思います。

 お許し下さい。

 話は全て繋がっております。

 日佐留売ひさるめかんざし、三虎、そして莫津左売なづさめへと繋がっているのです。

 著者も、「やめなさい三虎───!」と呻吟しんぎんしながら書きました。

 信念を持って書いております。

 この後は深く愛されていくだけなので、どうぞこの後もお見限りなきよう、お願いします。







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