第四話 かぎろひ
三虎は、
広瀬さま。
大川さま。
次代の跡継ぎ、
父上、
姉上、
姉上の息子、
姉上の娘、
前に会ったのは二歳。
今は六歳なのだから、当たり前か。
「三虎……。」
左頬に刀傷のある大男が……。と言っても、三虎と同じくらいの背なのだが……、三虎以上の無表情でこちらに近づいてくる。
早くも昼餉を食べ終わった
まだ、この男は
「
と言ってやり、
「多知波奈売は、この
と
「ここは
と
「たしかにそうだなぁ。」
三虎は苦笑し、興味津々の多知波奈売の通訳を務めてやる。
ようやく満足した多知波奈売に解放され、
「三虎、あとで届けたいものがあります。
「え……。今、戴くわけにはいきませんか?」
面倒だ。
「仕込みがあるのよ!」
姉がくわっ、と歯を剥き出しにした。怖い。
三虎はため息をつき、姉に従う。
「わかりました。
それはそうと……、留守中、変わりはありませんでしたか?」
特に
四年も留守にしていたから、
姉ならきっと知ってるはずだ。
「全員、息災ですよ。喜ばしいことね、三虎……。」
ほほほ……、と笑いながら姉は去り、
「む……。」
つい三虎はしかめっ面になってしまう。
姉は、きっと全部わかってて、何も言わず去った。
腹立たしい。
* * *
「ふふ……。綺麗にできたわ、古志加。」
日佐留売が化粧を終えて、あたしに微笑んでくれた。
「ありがとうございます。」
あたしは、いつもの
これで随分見た目は華やかになるはず。
耳には紅珊瑚の耳飾り。
髪も日佐留売に結ってもらった。
日佐留売は、贅沢に
この
本来なら、大豪族の妻である
あたしが十五歳の時に、
「あなたはきっと今に、誰よりも美しい、この金の
三虎の心を捕らえられるほどの。
それまで待つのよ。
そして時が来たら、迷わず三虎の胸に飛び込むのよ、いい?」
と日佐留売がくれた物だ。
今宵、初めて髪にさした。
前に三虎に歌垣の歌をうたったときは、郷の
それに金の簪は似つかわしくなかったので、つけられなかった。
……半分は嘘だ。
この金の
日佐留売くらい美人だったら、よく似合うだろう。
でも、あたしには似合わない。
そう思って、つけられなかった。
あたしは、この金の簪をつける勇気がでなかったことを、ずっと胸の片隅で後悔した。
今でも、この簪がしっくりくるほど、あたしは美人じゃない、と思う。
でも、この簪は、あたしの物だ。
この簪をつけたい。
思いを遂げたい。
三虎の心を捕らえたい。
そしたら、三虎は……
三虎に、
(………無理かなぁ。)
ふっと弱気が心をかすめる。
(ううん、頑張る。)
と即座に心の中の弱気を打ち消す。
前に、歌垣の歌をうたった時、三虎は、唐に行くから駄目、と言ったように聞こえた。
では、唐に行くのではなかったら、どうだったの?
……あたしを受け入れたくれた?
……それとも、あたしを突き放すことに変わりはない?
淡い期待が胸から消えない。
このままでは、ただ三虎に抱きついて、背中をポンポンしてもらえば満足の古志加に戻れない。
今日、三虎が卯団の広庭に顔を出し、皆が三虎に抱きついて喜びを表してる時、あたしはじっと遠くから三虎を見てるだけだった。
……もし抱きついたら、あたしは何をしでかすかわからない。
あたしは泣きながら、三虎の両頬をつかまえて、三虎の許しを得ることもせず、皆が見てることも忘れ、口づけをしてしまいかねなかった。
花麻呂に、
「行かないのか?」
と気軽に訊かれたが、
「うん、いいの。ここからで。」
としか答えられなかった。
それ以上、気持ちを上手く伝えられない。
この静かな高揚を。
……野に
陽の光が野に燃え立つように見え───それを
華やかに燃え上がる恋の炎より、もっと下の大地の燃焼範囲のほうが広い。
焦げて、焦げて、熱さが大地を広がり続けている。
それがあたしの恋だ。
燃え立ち、同時に、見えない果てまで大地を焦がす。
あたしの胸をずっと焦がし続けてる恋だ。
だから行くしかない。
あたしはもう一度、仕掛ける。
三虎が生きて平城京についたと聞いた後から、この夜を入念に準備してきた。
あたしは行く。
「行ってきます!」
あたしは、フン! と気合を入れ、日佐留売が用意してくれた
「頑張って。」
と日佐留売はふくよかな笑みで見送ってくれた。
* * *
「三虎、入れて下さい。」
と古志加の声がした。
「入れ。」
と声をかけ、
外は明るい小望月。白梅が匂う。
古志加はしずしずと、盆を掲げ持ち、部屋の中へ入ってきた。
古志加は女官姿だ。
……今日は、衛士として務めている日のはずだが。
わざわざ着替えたか。
「日佐留売から、
「そこの机の上に。ご苦労だったな。姉上によろしく伝えておけ。」
そうキビキビ三虎は返し、また
だが、机の上に盆を置いた古志加が、出ていくそぶりを見せない。
「あの……、珍しい飲み方で、日佐留売が三虎と一緒に飲ませてもらったら良い、と……。」
三虎はため息をついて古志加を見る。
姉も、花麻呂も、変な気をまわしすぎだ。
「おまえなぁ……。姉上に言われたからって、こんな時間にホイホイと……。」
言葉が途中で消えた。
ある物に目が止まったからだ。
高価そうな
古志加が髪にさしている金の
金の簪……。
三虎は厨子棚の引き出しを閉め、さっと古志加に歩み寄った。
「あの……。」
見上げる古志加の髪から、乱暴に簪を一気に引き抜いた。
「痛ぁっ!」
髪の毛を二、三本抜かれた古志加が悲鳴をあげ、びっくりした顔が涙目になる。
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