第二話

 戊午つちのえうまの年。(778年)十二月。


 十一月中に、大川さまと三虎は、平城京に無事戻った、と上野国かみつけののくにに使いがもたらされた。


(無事……!)


 ちょうど女官として、穎人かいひとさまと一緒にその知らせを聞いた古志加こじかは、


「ああ……!」


 十二歳の穎人かいひとさまと抱き合って泣き崩れた。

 浄足きよたりが。日佐留売ひさるめが。優しく二人を包み込むようにいだく。

 六歳になった多知波奈売たちばなめが、遣唐使船無事帰還の報を皆で待っていたのは知っているが、皆のようが普段とあまりに違うので、不安になり、


「どうしたの? どうしたの?」


 と大声を出してしまう。

 福益売ふくますめ多知波奈売たちばなめを抱きしめ、


「大丈夫、皆嬉しいんですよ。命の心配をして、それが晴れた時、人は泣くんですよ。」


 と優しく言いきかせる。その福益売も泣いている。

 多知波奈売たちばなめ以外は皆泣いている。

 ひときわ、古志加が大きな声で泣いている。


「わあ……! わああん……!」


 膝立ちになった古志加が夢中で穎人さまに抱きついている。

 穎人さまは古志加をしっかり抱きしめ、泣き、浄足は穎人さまに寄り添い、抱きしめ、泣き、日佐留売が、古志加を、穎人さまを、浄足を包むように抱きしめ、泣いている。


「……あたしも、あっち!」


 と多知波奈売は大好きな穎人さまに背中から抱きついた。


「うん……、来い。多知波奈売。」


 赤い顔で涙を流す穎人さまが、片手をほどき、多知波奈売も一緒に輪の中に入れてくれた。

 涙がうつった。

 多知波奈売も一緒に、泣く。




     *   *   *




 己未つちのとひつじの年。(779年)二月。


 上毛野君大川かみつけののきみのおおかわ石上部君三虎いそのかみべのきみのみとらは、上野国かみつけののくにに帰国した。


 乙卯きのとうの年、(775年)十一月に上野国かみつけののくにを発ってから、実に四年の月日が流れていた。


 古志加は二十三歳となり、三虎は二十九歳となっていた。




 さるの刻。(午後3〜5時)


 白梅の花咲く広庭で。


 古志加は卯団の衛士として、大川さまたちの帰還を遠巻きに迎えた。


(三虎……。三虎……。)


 わああ、と皆が喜びの声をあげる。

 いた。

 先頭は大川さまの馬。

 おみなが乗った馬のあとに、

 三虎も続いて、上毛野君かみつけののきみの屋敷の門をくぐった。


(無事だ……!)


 生きてる。


 珍しく、顔が華やかに破顔して、出迎えの皆を見回している。

 本当に、三虎も、帰ってこれて、嬉しいんだ。

 よく見たい。

 なのに涙があふれて、あふれて、良く見えない。

 古志加は鼻をすすり、涙を袖で拭った。

 大川さまが下馬し、すぐ後ろのおみなが馬を降りるのに手を貸す。


(おや……?)


 その女は、肌が白い。雪のように白い。

 大川さまも白いが、もっと白い。

 顔色が悪いとかではなく、あんな白さの女は見たことがない。

 それに、今、ちらっと遠目に見えた、目。

 色が、青くなかったか?




     *   *   *




 その夜は祝宴となり、朝まで酒がふるまわれた。

 なんと大川さまが妻を唐から連れ帰ってきた。

 名を可須美かすみと言う。

 大川さまが月なら可須美は明星。

 二人並ぶと煌煌こうこうとあたりを照らすように美しい。

 その事実は上毛野君かみつけののきみの屋敷を震撼しんかんさせた。




     *   *   *




「帰ったぞぉぉ!」


 翌日、たつの刻。(朝7〜9時)


 三虎は大声を出し、卯団うのだんの広庭に足を踏み入れた。


「お帰りなさ───い!」


 もう、昨日の宴で挨拶はすませたが、皆もちゃんとまた、帰還の言祝ことほぎをする。

 そして、ほいほいと皆、三虎に抱きつく。

 あっという間に団子になる。圧がきつい。


(はっは……! これも生きて帰ってこれたからだな。)


 そう思うと、むしろ愛おしい。三虎はしみじみとしてしまう。だが、


(あれ……。)


 古志加の、おみなにしては低い、だがおのことはまったく違う声が今日は団子に入ってない。

 荒弓あらゆみが整列の号令をかけ、団子がほどけ、三虎はあたりを探してしまう。


 いた。


 団子から遠いところで、じっとこちらを見ている。

 となりに花麻呂はなまろが立ち、何か話しかけ、笑顔で二言、三言、交わしている。

 花麻呂の方を向いたので、古志加の耳元で紅珊瑚が、チカっ、と赤く光った。

 そして古志加は笑みでこちらをチラリと見て、そのまま荒弓のもとに整列しに向かう。

 三虎の方に来ない。


(なんだよ……。)


 昨日の祝宴の時にも、他の卯団の衛士と一緒に挨拶に来て、皆と同じようにニコニコしていたが、そのまま、他の衛士と一緒に引き上げていった。

 別に抱きついて困らせるとかは、ない。

 なんだか、今までの古志加からすると、肩すかしだ。



 ……おまえ、前に上野国かみつけののくにを発つ前に、オレに歌ったよな。

 たしかに四年たったけど。

 せっかく帰ってきたんだから、もっと、何かあるんじゃないの。

 オレが、誘われても何もしなかったから? 

 オレは、


ふね(遣唐使船)で死ぬかもしれない。無事唐についても、一生帰ってこないかもしれない。そんなおのこに歌うんじゃない。」


 と言ったんだが。

 オレは帰ってきたんだが……!


「三虎!」


 荒弓に呼ばれた。おっと、いけない。

 立ち止まっていたようだ。




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