第十八章   あらたまの年月かねて

第一話  恋者流露 〜れんじゃりゅうろ〜

流露りゅうろ……奥底まで表し示すこと。




    *   *   *



 十一月、大川と三虎は奈良へ発った。


 そのまま、唐への旅路となるだろう。


 十二月となり、花麻呂はなまろ日佐留売ひさるめに呼び出された。

 巳三つの刻(朝10時)、一人で来い、と。

 何だろう?


北田花麻呂きただのはなまろです。」


 おとないを告げると、


「部屋へ入りなさい。こちらへ。」


 と日佐留売が返事をする。部屋には日佐留売一人。

 多知波奈売たちばなめも、女官の姿もない。


「人払いをしたから冷めてるけど、淡竹葉たんちくようのお茶をいれたわ。」


 と日佐留売はおっとり言いつつ、笹の葉のお茶と米菓子をだしてくれた。

 すすめられるまま倚子に座り、米菓子をいただく。


「ありがとうございます。」


 甘いものはありがたい。

 花麻呂は爽やかに笑いつつ、礼を言う。だが、落ち着かない。

 何の用件だろう? 早く言ってほしい。

 怒られることも、褒められることも、心当たりはない。


「今日は古志加のことで、お礼と、軽いおしゃべりがしたかったのよ。

 あまり構えなくて良いわ……。」


 日佐留売がくすくすと笑う。


「そうですか。」


 笑うとますますお綺麗ですね!

 余計なことまで言いたくなってしまう。

 もう良い年で、三人の子を育てているようなものだが、日佐留売は落ち着いた、しっとりした美しさがある。


 きっとつまが花に水をあげるように、丹念に日佐留売を潤わせているのだろう。

 と、本当に余計なことまで考えてしまう。


「古志加に、いろいろ聞いてるのよ?

 古志加と一緒に墓参りに行った時に、三虎のことを色々教えてくれたそうじゃない?

 弟は態度がわかりにくいし、古志加も鈍い子だから、あなたみたいにハッキリ言ってくれる人がいてくれて、あたしは嬉しいのよ?

 これは、あたしの気持ちです。」


 と日佐留売は、机の上に置いてあった、白い紗の包みを花麻呂に渡した。


「ありがとうございます。」


 と花麻呂が受け取り、中身を取り出すと、ころんと大きな琥珀の裸石が出てきた。

 なんと花麻呂の親指の爪よりまだ大きい。


「ワ──ホ──イ……。」


 なんて高価なものを、気軽に渡すんだ。

 花麻呂はごくりと唾を呑み込み、


「ありがとうございます。」


 と少し顔をひきつらせながら、お礼を言った。

 日佐留売は穏やかに、


「あなたは本当に古志加に良くしてくれてるわね?

 どうしてかしら?

 何回か古志加の命を助けてくれたことを言ってるんじゃないのよ。ほら、二人きりで桃生ももうに行って、帰ってきたでしょ……。

 行くだけで十日以上かかるじゃない。

 あの子はあまり自覚してないようだけど、古志加は綺麗なおみなだわ……。」


 と何でもないことのように笑って言った。

 花麻呂は愛想笑いを浮かべながら、


(キャ────ッ!)


 と頭の中で悲鳴をあげた。

 古志加があの夜のことを話したとは思えない。

 この人見てたんですか。お見通しですか、

 怖ぇ───っ!

 いや本当、あそこで踏みとどまって良かったな、オレ……!

 いやはや、いやはや、と花麻呂は気まずい笑いを、頬を赤くしながら浮かべた。


「たしかに、古志加は綺麗なおみなです。」


 卯団うのだん皆知ってる。

 見てて楽しい。ポンポン抱きついてくるのも、また良し。

 オレにいたっては、白昼、古志加の白い胸を見ちゃったし、湯殿ゆどのでは内衣一枚で合わせを手で押さえただけという刺激的な姿を見、下袴したばかまをはかない古志加を抱き上げたりもした。

 あの時は胸の感触が最高に刺激的であった。

 髪を下ろした古志加も、ちょっと忘れられない刺激的な……。

 あれ? 刺激って、何のことだったっけ?


 花麻呂は瞬時、錯乱した。


「ん! ん!」


 二回、わざとらしく咳払いをする。


「わかっていただきたいんですが、卯団皆で、あいつを可愛がってるんです。

 たった一人の女の衛士で、健気に卯団長に恋してる。

 皆、三虎も古志加も大好きだ。応援してる。」


 花麻呂は米菓子をつまみ、笹の葉のお茶を飲み、口をしめらせる。


「ええ。」


 日佐留売はおっとりと笑っている。


「オレは一人息子で、ずっと同母妹いもうとが欲しかったから、多分……、古志加がまっすぐ慕ってくれると、嬉しいんだと思います。

 でもオレが恋してるおみなは別にいる。

 古志加への思いは、恋とは全く別です。」


 花麻呂は照れて頭をかいた。


 そう、古志加はおみなだから。

 同じ衛士ではあるが、おのことして守ってやらなきゃいけないだろ、と花麻呂は思う。

 あの不思議な虫の知らせがあってもなくても。

 またやぐらで組の時に襲撃があったら、オレは全く同じことをして、古志加を守ろうとするだろう。

 それは、卯団の他の衛士でも、多くのヤツが同じじゃないかな? と思う。

 古志加は特別扱いだと怒るかもしれないが、こちらは男なので。

 そういうものだ。

 恋ではない。


「そう……。わかったわ。話してくれてありがとう。」


 日佐留売がにっこりと笑う。

 花麻呂も微笑みつつ、


「日佐留売こそ、オレには不思議だ。

 なんでそんなに、古志加をかわいがってやるんです?」


 と訊いた。

 卯団衛士うのだんえじにとっては、古志加はいるだけで可愛い。

 だが、同じおみなの日佐留売の目は、そんなに甘いものじゃないはずだ。

 たしかに親ナシは哀れだが、そんな女官は古志加一人ではないはずだ……。


「ふふ……。」


 日佐留売が目を細めて笑った。

 大人の女の色香が濃い。


(濃い! 濃いなぁ……。)


 花麻呂は爽やかに笑いつつ、薩人さつひとにも見せてやりたかったぜ、と思う。

 あらゆる女に心惹かれてしまう薩人は、この美しい笑顔をありがたがって喜んだに違いない……。

 と、しょうもないことを考えてしまう。

 日佐留売が優雅な仕草で米菓子をつまみ、口に運ぶ。

 花麻呂は、あせらず待つ。




     *   *   *




 日佐留売は、癸丑みずのとうしの年(773年、2年前。)の古志加との会話を思い出す。




「三虎が、誰でもいいからつまを得ろ、って……。」


 と破れた恋にぼろぼろ泣き、


「あたし、一生、つまを得ない。このまま衛士として、一人で生きる。ここで遠くからでも三虎を見て、衛士として過ごす。」


 と口にする古志加に驚き、このままでは、古志加は一生、おのこを知らず、子を持つ幸せも知ることはなくなってしまう、と思った。

 あたしが、今、この子に言ってあげねば。

 母刀自ははとじから言われた、


おみなには、自分が恋うていなくても、むこうが恋うてくれているなら、それを受け入れて、己をその方のいもとする。

 それが必要な時があるのよ、どうしても。」


 との言葉を、この子に言ってあげねば、と思った。


 できなかった。


 代わりに出てきたのは、


「あなた、三虎を諦めていないの?」


 という言葉だった。


「流石に、手をとってもらうのは諦めます。

 でもあたしが恋いしいのは、三虎だけ。」


 と古志加はしっかりと答えた。


「これからも、ずっと、ずっと、この恋しさを胸に抱いたまま、生きます。」


 と……。あたしはますます泣いた。

 それは、あたしが本当は言いたかった言葉。





 あたし、一生、つまを得ない。

 ここで、遠くからでも、あの方を見て、女官として過ごす。

 あたしが恋しいのは、あの方だけ。

 これからも、ずっと、ずっと、この恋しさを胸に抱いたまま、生きます。




 そう言えていたら……。



 言っても、母刀自は受け入れなかったろう。

 でも、あの方への恋しさを手放さず、ずっと遠くから見て一生を過ごす。

 あたしは、

 本当は、

 そうしたかった……。




 古志加と抱き合い、あたしはそんなことを考えていた。

 でも、奥の部屋から出て、浄足きよたり難隠人ななひとさまを抱きしめた時、かわいい子供たちへ、愛おしさがあふれでた。


 あたしはやっぱり、浄嶋きよしま愛子夫いとこせとして良かった。


 母刀自のすすめに従い、この早さで浄足きよたりを得ていなければ、難隠人ななひとさまの乳母ちおもとなることは叶わなかった。

 つまを得たから、今、難隠人さまを母代わりとして腕に抱くことができる。

 浄足だって、多知波奈売たちばなめだって、つまはあたしに与えてくれた。

 この幸せを、独り身を通していたら、得ることは叶わなかった。


(だから、これで良かった。)


 母として、子供たちへの愛しさは、あとからあとから溢れ出て、日佐留売の心の全てを満たした。




 日佐留売はふくよかな笑みを口元に浮かべつつ、


「古志加は本当に、健気に弟へ恋してるわよね。

 前に、弟へ思いが通じなくても……、これからも、ずっと、ずっと、この恋しさを胸に抱いたまま生きます、とあの子は口にしたわ。

 だからあたしは、あなたは、それで良いわ。

 誰がなんと言おうとも、あたしはあなたを応援するわ、と言ったのよ。」


 そこで日佐留売は目線を花麻呂から外し、遠くを見、


「あの子は、あたしの見れなかった夢を見せてくれる。だからよ。」


 と言った。そしてまた、にっこりと花麻呂に笑いかけ、


「この話はここまでよ。古志加は、卯団では普通にしてるのかしら? 聞かせて。」


 と言った。


「はあ……。」


 花麻呂は頭の後ろをポリポリかきつつ、


「ちゃんと務めは果たしてますよ。

 本人の心のうちは知りませんが、表向きは普通にしてるんで、オレたちも普通に接してます。」


 と言った。




      *   *   *




 花麻呂は思い出す。


 十一月のうちに、夜番で古志加と組んだ時、うしの刻(午前1〜3時)の警邏けいらで、


「あたし、歌垣うたがきの歌をうたった。でも駄目だった。」


 と古志加がポツリと言った。


「そうかよ。おまえがおのこだったら、パ───ッと遊浮島うかれうきしまに誘って、慰めてやるのになぁ。

 よし古志加、おまえ、明日一日、男になってみろ。」


 と言ってやったら、


「ぷっ……、無理だよ。」


 と小さく笑ってた。


「そうだよなぁ……。まあ、何かして欲しいことがあったら言え。」


 と花麻呂は肩をすくませて言った。

 そう言うぐらいしかできない。


「ありがとう。」


 古志加はうつむいてそう言った。

 会話はそれで終わった。




     *   *   *




「そう、わかったわ。これからも今まで通り、あの子に良くしてやってちょうだい。」


 と日佐留売は帰り際、干し柿を沢山くれた。

 卯団に戻ったら、昼餉の前に皆と食べてしまおう。皆喜ぶ。

 花麻呂は礼を述べ、挨拶をし、日佐留売の部屋をあとにした。




     *   *   *




 年明けて。


 丙辰ひのえたつの年。(776年。)四月。


 博多から遣唐使の船は出航したそうだが、風に恵まれず、船は博多に戻ってきたそうだ。

 その後も船は博多にあり、


 一年たった丁巳ひのとみの年、(777年)四月、


 遠く渤海ぼっかいという国から海を渡ってきた使節しせつが、嵐にあい、半分以上が死んだ、という噂が上野国かみつけののくににもたらされた。

 それを荒弓から聴いて、古志加は気が遠くなりかけ、近くにいた花麻呂に支えられた。


 そしてその年の六月。


 遣唐使は博多を出航した。


 もう三虎は秋津島にいない。













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