第二話
八人の衛士がいた。
「おう、
「古志加じゃないか!」
と口々に言いつつ、皆ちょっと驚いた顔をする。
「あたし、戻ってきたよぉ。心配おかけしました。ありがとおぉ!」
と荒弓に抱きつき、近くの衛士に次々と抱きついていく。
そして
(あれ……?)
頬が熱い。
下を向いてしまう。
抱きつくのが恥ずかしい。
抱きしめてもらうのも、抱きつくのも大好きだ。
それを恥ずかしいと思ったのは、初めてだった。
とまどう古志加を、阿古麻呂のほうから、軽い力で抱きしめてくれた。
古志加と阿古麻呂は背が同じくらいだ。
古志加の肩のちょっと上に顔をだした阿古麻呂が、
「古志加、オレの夢は見た?」
と
「え? 見てないよ。」
と告げると、阿古麻呂は、ふ、と笑い声をちょっともらし、
「そう。」
とすぐに離れようとした。そこを、
「古志加、オレも! 良かったな!」
と他の衛士が、二人に覆いかぶさるように抱きついてきた。
オレも、オレも、と次々に抱きついてきて、みるみる
「うわっ!」
と阿古麻呂が古志加を抱きしめたまま、ギュウギュウとまわりの圧に押され、驚いた声を出した。
「あはは!」
と古志加もきつい圧に楽しい笑い声をあげ、まわりの、
「良かったな!」
「心配したぜ!」
の声に負けないよう、
「阿古麻呂、ありがとう!」
と大きな声でお礼を言った。
あたしは、阿古麻呂が強引に口づけしたことに、あれだけ憤りながらも、心のどこかで阿古麻呂に甘えている。
衛士の
ただ一人、あたしを恋うてると言ってくれた人。
大川さまの怒りを買ったことを三虎が知ったら、三虎はあたしを許すまい。
そしたら、あたしは阿古麻呂を頼ろう。
そっと
心は……。
この恋があたしの心から消えて無くなる日は、来るのだろうか。
わからない。
でも、親無しのあたしは、卯団にいられなければ、どこにも行き場はないのだ。
あてもなくどこかの郷を
そうならないですむ、と思えた事であたしは、随分気が楽だ。
阿古麻呂には、いろんな事を教えてもらった。
阿古麻呂、ありがとう。
* * *
その後、三虎の部屋に向かう。
三虎は……、どうだったのかな?
あたしに、
日佐留売は、する、と思っていたようだ。
(どうなの? どうだったの───?)
そう思うと、赤面し、
三虎の部屋につく。
三虎は寝床で上半身を起こし、
皆に挨拶とお礼を言ってきました、と言うと、
「良かったな。」
と口もとに柔らかい笑みを作った。
「ホラ。こっち来て顔を見せてみろ。」
と平坦な声で三虎が言い、寝床のそばに行くと、じっと古志加の顔を見上げる。無表情。
(三虎は、あたしをどうするつもりだったの……?)
三虎の
三虎は、言葉の魂呼びで、押し切るつもりだったのかもしれない。
でも違うかもしれない。
あたしは、寝てる三虎から唇を奪う必要はなかったのかもしれない。
訊きたい。
(だけどこんな事、どうやって訊けと……?!)
そうめまぐるしく考え、
フンフン鼻息を荒くしてると、
「もうちょっと……。」
と左手で手招きをされ、顔を下に下げるよう指示された。
大人しく従うと、三虎の左手が額に伸びてきて、ビシッと額を指で弾かれた。
「あ!」
古志加が驚いて目を
「おまえ、さっきから変な顔!
まあ、元に戻って何よりだな!」
と三虎が目を細めて、おかしそうに、意地悪く笑った。
「うう……。」
古志加は情けない声をだしてしまう。
それはどんな顔ですか。
「もう行け。
「わかりました。」
しおしおと古志加は部屋を出る。
* * *
日佐留売が、左肩の怪我が治るまでは、女官として働くように、と言ってくれた。
女官の仕事の合間に、時々、三虎の部屋に顔を出す。
三虎の怪我はあたしより治りが遅い。
大川さまから、褒賞を塩十壺いただいて、とても嬉しかった。
大川さまは、本当に普通。
何事もなかったみたいだった。
そして年が明けた。
一月。
辰の刻。(朝7〜9時)
あたしは今、三虎の部屋にいる。
耳には紅珊瑚が輝く。
「んで、何だったの、アレ。」
自分のぶんもちゃっかり白湯を入れ、日佐留売の持たせてくれた米菓子をつまみつつ、
「アレとは?」
と古志加は言う。
「兄の。
と少しイライラして三虎は言う。
「うっ。」
古志加はうめき、顔を赤らめ、うつむいてしまう。
「い、言いたくありません。」
三虎が少し目を見開いて、
「言え。」
と言い、だがすぐに、机の上に米菓子を持って残された古志加の腕を掴み、
「聞きたい。」
と平坦な声で言った。
(……そんな言い方、三虎がするなんて。)
と古志加は驚き、顔をあげ、まばたきをする。
三虎は無表情な、でも真面目な顔で古志加を見、
「聞きたい。」
ともう一度言った。
古志加は口もとをきゅっと一回すぼめてから、
「あ……。」
と声をもらした。
「あの……、
それが終わってから、その……。」
一回古志加は息を吸い、
耳まで真っ赤にしながら、
「布多未がいきなり耳元で、おまえ仕合ってる時すげぇ色っぽい、と言って、あたし、びっくりして腰が抜けました。
あ、あれは、何だったんでしょう?」
三虎は掴んだ腕を離し、
「ふうん……。」
とだけ言った。
沈黙が流れた。
あれは何だったんでしょう、に、答えてくれる気はないみたいだ。
まだ少し顔を赤くして、古志加は静かにもぐもぐと米菓子を頬張る。
三虎は今、こちらを見るでなく、遠い目をして、白湯をすすっている。
「三虎はどんなお菓子が好きなの?」
そうだ。あたしは三虎のことを全然知らない。
三虎はこっちを見て、
「そうだなあ、豆菓子。」
と言った。
「へえ。どういうところが?」
と古志加が笑顔で言うと、
「大川さまがお好きだから。」
と無表情に言う。
すごい理由だ、と古志加は力が抜ける。
「
それをもらうと、大川さまは嬉しそうに、必ず、一緒に食べようと言ってくださった。
本当に時々、一年のうち、四回くらいさ。
そもそも広瀬さまは、大川さまに物を下さる方ではなかった。
あんなに、物にあふれているのに、心が……。」
そこで三虎は言葉をのみ込み、
「とにかく、そんな貴重なものを、必ず、大川さまは一緒に食べさせてくれた。
だから、豆菓子が、大好きだ。」
と静かに三虎は言った。
本当に、大川さまが大好きなんだね、
と古志加はそっと微笑む。
また静かな時間が流れる。
三虎は黙って白湯を飲む。
二人きり。
目の前には穏やかな三虎がいる。
薄く
(ああ、良いなぁ。)
と思う。
手にとる
ただの
細かく、少しざらりとしてる土の口触りを楽しみながら、古志加もちびりちびりと白湯を飲み、三虎の顔を見る。
ちょっと神経質そうな眉。
いつも不機嫌そうな目。
意地悪そうな唇。
なんて格好いいんだろう。
武に秀でたものらしく、雰囲気が凛々しい。
今なら訊けるだろうか。
まさか、さ寝するつもりだったんですか、なんて訊けない。
そうではなく、訊いてみたいことがあった。
女官部屋の皆の話で知っている。
慕い合う男女が、同じ夢を同じ時間に見る不思議。
素敵だ。
皆顔を赤くして、きゃあきゃあ言うが、
「じゃあ、その夢見たことある人……?」
と聞くと、すっと静まり、皆下を見る。
そんなに良くある話ではないようだ。
あたしだって、三虎の夢なら、時々見る。
十六歳の三虎。
二十二歳の三虎。
いろんな年の三虎……。
でもその中で、一つ、明らかにいつもと違う夢を見た。
去年の七月。
阿古麻呂に強引に口づけされて、ずっと泣きながら寝た夜だ。
その夜見た夢は、夢の手触りが違った。
自分が風になったように雲間を滑り、三虎を求め、三虎を見つけた。
その夢で会った三虎は、いつもの三虎より、本物っぽかった。
なんというか、ふてぶてしさが。
そしてなんと……。
三虎の方から、あたしに口づけしたのだ。
夢を見たあとも、ずっとそのことを覚えていて、あたしはポ───ッとした気持ちになった。
最初から最後まで、不思議な夢だった。
あの夢を三虎も見ていた、なんて事はないだろうか。
まさか、と思いつつ、あまりに不思議すぎて、もしかしたら有り得る、と感じる。
あの夢を、三虎も見ていたら、いいな。
そしたら、あたしは……。
白湯を飲み終えた
「三虎、あたし、夢を見たことがあるんです。
あの……、三虎の……。その夢は……。」
そこで三虎は一回まばたきをし、目をそらし、唇をちょっと突き出し、むくれたような顔をした。
(えっ?)
驚いて古志加は話を中断してしまった。
これはこれで、
というより、
そして、三虎の顔に、少し朱がさした。
(こ、これはどういう表情……?)
古志加が
「夢といえば、おまえの
と、ぱっと倚子から立ち、奥の
手には小さな、ちょうど片手におさまる白い貝が載せられている。
二枚の貝で、ぴったりと
「これをオレから、おまえの母刀自に。オレからの礼だ。夢で朱色の麻袋を持っていたんだろ。きっとこれも喜ぶ。
大川さまに使うものと同じ、貴重な、
そのまま墓に埋めてやっても良いが、あまり貴重なので、一年かけておまえが使って、残りを埋めたらどうだ?
おまえにやるから、好きにしたら良い。」
と平坦な声で言った。
そして無表情に、白い貝に
(何だったんだろう、今の見たことのない表情は……。)
「ありがとうございます。」
とぴったり重なった白い貝の、上の貝を持ち上げ、中を開くと、黄色い練り香油があり、ふわっと
そう、大川さまは、この宇万良と、香木の奥深い香りが入り混じった、とても良い匂いがする……。
自分で使うか、そっくり母刀自の墓に埋めてあげるか、迷っていると、
「三虎、入りますよ。」
と部屋の外から
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