第二話  古志加、倒れる。

 朝起きると、三虎はもう先に起きて、倚子に座って机に左肘をつき、頬杖をついて、無表情にこっちを見ていた。

 三虎の寝床で、


(はぅあっ!! 見られている!)


 目が覚めてすぐ、緊張した古志加の顔を、しげしげと見て、


「良し。」


 と口もとが笑い、朝の挨拶もそこそこに、女官部屋へ連れて行ってくれた。




 そして三虎と別れた。




 古志加は女官部屋の皆と抱き合い、泣き笑いをしながら、お礼を言った。

 ゆっくり身支度をしていると、遅番の女官五人が、


「それで、どうだったのぉぉ?」


 と古志加に詰め寄った。


「どうやって大川さまの従者に、魂呼たまよびしてもらったの?」


 と、なぜか非常に嬉しそうに言う。


(あれ……。これは布多未ふたみに助けられて、内衣一枚で抱かれて移動した話と、同じ勢い……。

 なんでだろう?)


「名前を呼んでもらったよ。あと……、強いところが好き、って言ってもらったよ。」


(恋の言葉ではないけど、ちょっと照れるよなぁ、この言葉は……。)


 と古志加は顔を赤くし、モジモジしてしまう。

 女官の皆はますます、きゃあきゃあ盛り上がる。


「それで、他には何をされたの?」


(なんで分かるんだろう?)


 古志加は動揺し、目をあちこちに彷徨さまよわせ、


「額に……、ちょんって、口づけされた。」


 と小さい声で言うと、


 キャ──ッ! キャ──ッ!


 と口々に皆が悲鳴をあげる。

 皆、顔を赤くして、はち切れそうな満面の笑顔だ。


「それで?!」

「それだけだよ?」

「………………。」


 いきなり皆が静かになり、場がしらけた。


「え? なんなの? どうしたの皆?」

「おほん。古志加。魂呼たまよびの方法は知ってる?」


 顎がしゅっと尖った福益売ふくますめが、皆を代表して言う。


「魂が身体から離れかけた……、つまり、うらぶれした人の、名前を呼ぶ。

 さらに効果的なのは、その人の魂に強く響く言葉がけをする。」 


(ちゃんと知ってるよ?)


「そう、言葉でも魂呼たまよびはできるけど、おのこには、男にしかできない魂呼びがあるのよ。」

「?」


 古志加は、首をちょこん、とかしげる。


おのこが、うらぶれしたおみなの、身体と魂が結ばれますように、と、強く祈りながら、心を込めてさ寝をするの。

 その方法が、一番強力って言われているわ。」

「ひぃ……!」


 古志加は絶句した。


(それって……!)


 魂がふわふわしていた時は、己の感情が上手に働かなかったが、ちゃんと記憶はある。


(あたし、布多未ふたみと花麻呂と、阿古麻呂あこまろに、医務室で呼ばれて、行きかけて。

 三虎に、


 ───誰でもいいのかあ!


 って怒られた!)


 一昨日、夢でのうなされ方がひどくて、女官部屋の皆に迷惑をかけたから、昨日、女官部屋以外で寝かせてもらえるなら、どこでも良かった。


(布多未にはいもがいる。

 花麻呂は怪我がひどい。

 言葉による魂呼たまよびだろう。

 でも阿古麻呂は……。

 阿古麻呂は、きっと……。

 そしてあたしは、すすんで、阿古麻呂の手を取るところだった。

 あれは、まるごとあたしをお願いします、という意味になっていたのか!)


 ……魂をふわふわとさせた昨日の古志加だったら、阿古麻呂がどんな魂呼びをしてくれたとしても、きっと受け入れていただろう。

 きっと、嫌ではなかったはずだ……。


母刀自ははとじ、あたし、知らなかったよ……。)


 古志加は目をき。

 ガクッと膝をつき。

 そのまま前のめりにパッタリと倒れ込んだ。




    *   *   *




 その後、日佐留売ひさるめの部屋に行き、難隠人ななひとさま、浄足きよたりにもお礼を言い、抱き合った。

 皆喜んでくれたが、その後そっと日佐留売に奥の部屋に連れて行かれ、


「それで、どうやって三虎に魂呼たまよびしてもらったか、聞いて良いかしら?」


 とにっこり優しい笑顔で言うので、


(これは日佐留売もおのこにしかできない魂呼びを知ってるんだ。)


 と古志加は真っ赤になりながら、すべてを話した。

 母刀自の話をしたところで、日佐留売はいっそう微笑み、


「あたしきっと、あなたの母刀自のこと、好きだわ。

 あなたは本当に愛されていたのね、古志加。」


 と言ってくれたので、古志加は胸にこみあげるものがあり、


「ふぇん……。」


 と泣いてしまった。

 日佐留売は優しく古志加を抱きしめてくれた。


 大好き、日佐留売。




    *   *   *



 古志加は、日佐留売ひさるめの許しを得て、昼餉ひるげの時間に、卯団うのだんに顔を出す。

 八人の衛士がいた。


「おう、古志加こじか!」

「古志加じゃないか!」


 と口々に言いつつ、皆ちょっと驚いた顔をする。

 古志加の蘇比そび色の女官姿は見慣れないせいだ。


「あたし、戻ってきたよぉ。心配おかけしました。ありがとおぉ!」


 と、大志たいしである荒弓あらゆみに抱きつき、ひょろりと細長い薩人さつひとに抱きつき、近くの衛士に次々と抱きついていく。


 そして阿古麻呂あこまろのところに来たところで。

 古志加の抱きつこうとしていた腕が、ぴたっと止まった。


(あれ……?)


 古志加は両手を自分の胸の前で握りしめた。

 かーっと頬が熱くなり、下を向いてしまう。


(抱きつくのが恥ずかしい……?

 なっ、なんでかな……。)


 抱きしめてもらうのも、抱きつくのも大好きだ。

 それを恥ずかしいと思ったのは、初めてだった。

 とまどう古志加を、阿古麻呂のほうから、軽い力で抱きしめてくれた。

 古志加と阿古麻呂は背が同じくらいだ。

 古志加の肩のちょっと上に顔をだした阿古麻呂が、


「古志加、オレの夢は見た?」


 とつぶやいた。


「え? 見てないよ。」


 古志加は、きょとん、として答える。

 阿古麻呂は、ふ、と小さな笑い声をもらし、


「そう。」


 とすぐに離れようとした。そこを、


「古志加、オレも! 良かったな!」


 と他の衛士が、二人に覆いかぶさるように抱きついてきた。

 オレも、オレも、と次々に抱きついてきて、みるみる団子だんごのかたまりのようになった。


「うわっ!」


 と阿古麻呂が古志加を抱きしめたまま、ギュウギュウとまわりの圧に押され、驚いた声を出した。


「あはは!」


 古志加はきつい圧に楽しい笑い声をあげ、まわりの、


「良かったな!」

「心配したぜ!」


 の声に負けないよう、


「阿古麻呂、ありがとう!」


 と大きな声でお礼を言った。




    *   *   *




 あたしは、阿古麻呂が強引に口づけしたことに、あれだけ憤りながらも、心のどこかで阿古麻呂に甘えている。

 衛士の濃藍こきあい衣でも、女らしいと言ってくれた人。

 ただ一人、あたしを恋うてると言ってくれた人。

 

 大川さまの怒りを買ったことを三虎が知ったら、三虎はあたしを許すまい。

 日佐留売ひさるめはあたしをかばってくれるかもしれないが、大川さまの怒り、が理由では、日佐留売に迷惑をかけてしまう……。

 そしたら、あたしは阿古麻呂を頼ろう。

 そっと卯団うのだんを抜けて、阿古麻呂と夫婦めおととなり、良い妻となる努力をしよう。

 そしたらもう、阿古麻呂の口づけを嫌がらず、あたしは受け止めることができるはずだ。


 心は……。


 この恋があたしの心から消えて無くなる日は、来るのだろうか。

 わからない。

 でも、親無しのあたしは、卯団にいられなければ、どこにも行き場はないのだ。

 板鼻郷いたはなのさとの山の中腹の家で、たった一人暮らしていくのは、あまりにも寂しい。

 あてもなくどこかの郷を彷徨さまようのだって、あまりに寂しい。

 そうならないですむ、と思えた事であたしは、随分気が楽だ。



 阿古麻呂には、いろんな事を教えてもらった。


 阿古麻呂、ありがとう。




    

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