第十五章   白梅の枝

第一話

 そろりそろり、と三虎の部屋に戻り、妻戸つまとを開けようとすると、タン、と内側から勢いよく開いた。

 すぐそこに三虎が立っている。

 無表情で、すごい怒っている。


「ひぃ……!」


 古志加こじかおののき、一歩、後退あとずさり、三虎は腕組みし、入り口にもたれかかり、黒光りする目で、古志加をじとっと見ている。


「あ、あの、あたし今夜はこのまま、女官部屋で……!」


 とジリジリ逃げようとすると、


「む。」


 と三虎は顔をしかめ、


「バカ、おまえ……。今夜はこっち。」


 と右手をとられ、さっと部屋の中に引き入れられてしまった。

 妻戸をタンと閉める。

 そして息つく暇もなく、三虎に抱きすくめられた。


(わああああ!)


 古志加の顔が真っ赤になり、体の中に熱が生まれ、それとは別に、……三虎の体が温かい。


「心配するだろ。どうした。」


 怒ったように、だが淡々と三虎は言う。


「湯殿に行って、ちょっと身体動かしてました。

 あの……、うらぶれはもう大丈夫です。

 三虎……、心配かけてごめんなさい。」


 と古志加が言うと、三虎が身体を離して、こちらの顔を覗き込んだ。

 あまりしげしげと見るので、


(……大川おおかわさまのせいで恥ずかしい!)


 いや、大川さまのせいにしてはいけない。

 やったのは知怒麻呂ちぬまろなんだから。

 うう……。


「夢に母刀自がでてきて……。それで全部、はらってくれたんです。」


 そう古志加が言うと、


「ん───?」


 と三虎が首を右にかしげ、まだ足りず、不思議そうに眉をゆがめ、


「ん───?」


 と左にもかしげた。


「あの、本当です。多分もう、毎日怖い夢を見ることはありません。」


 と言うと、


「じゃあおまえ、あのくるみ、食べたか。」


 と三虎が言う。


「はい。」


 と返事をすると、ちょっとニヤリと笑って、


「まさか、一人で一気に壺半分も食べねぇよなぁ? 十回分だぞ。」


 と言うので、古志加はブルブル震えて、


「あたし食べましたァァ!」


 と両手で顔を覆った。

 少し左肩が痛んだ。

 ふっと三虎が笑う声が聞こえ、優しく両手を顔からはがされた。


「オレ、何もしてないから拍子抜けだけど……。戻ってこれたのは本当みたいだな。……良かった。」


 と三虎が破顔した。

 目を細め、心から嬉しそうに、顔全体で、笑った。


(あっ……、三虎の滅多に見れない笑顔……!)


 じっくり見たいと思ったが、すぐ三虎が動いて、


 額に優しく、口づけされた。


 はっ、と古志加は息を呑む。


「良かった。」


 と三虎はもう一度言い、また、古志加をぎゅっと抱きしめた。


(ひぃぃぃぃぃ!)


 あたし、こんな甘々なの堪えられない……!

 甘すぎておぼれて、もう三虎なしじゃ生きていけなくなっちゃうよ。

 顔も赤く、心臓しんのぞうは早鐘を打ち、身体はふるふると震えてしまう。


「こ、こ、こ、この……、額の……。」


 と、やっとの思いで言うと、


「今は古流波こるはなんだから、いいだろ。」


 と三虎が声をひそめて言う。

 古志加は迷いつつ、目をしばたたきながら、


「十歳の頃も、されてませんでした。」


 と言ったら、ぱっと三虎が身体を離した。無表情で、


「バカなヤツ。」


 と無造作に左手を古志加の頭の上に伸ばし、ぐりぐりと頭をなでた。

 遠慮なくたんこぶにもあたり、


「ギャアアア!」


 古志加は目を見開いて悲鳴をあげた。




 その夜は三虎の隣で、三虎の浅香あさこうと、薬草の匂いに包まれて、三虎の夜着を指でつまんで、幸せな気分で眠りに落ちた。

 でももう、三虎は額に口づけはしてくれなかったので、あたしは、言うんじゃなかった、と思った。

 あと本当、寝顔から唇を奪ってしまったのは、ごめんなさい。

 もうしません……。




     *   *   *




 朝起きると、三虎はもう先に起きて、倚子に座って机に左肘をつき、頬杖をついて、無表情にこっちを見ていた。

 あたしの顔をしげしげと見て、


「良し。」


 と口もとが笑い、朝の挨拶もそこそこに、女官部屋へ連れて行ってくれた。

 そして三虎と別れた。


 あたしは女官部屋の皆と抱き合い、泣き笑いをしながら、お礼を言った。

 ゆっくり身支度をしていると、遅番の女官五人が、


「それで、どうだったのぉぉ?」


 と古志加に詰め寄った。


「どうやって大川さまの従者に、魂呼たまよびしてもらったの?」


 と、なぜか非常に嬉しそうに言う。


(あれ……。これは布多未ふたみに助けられて、内衣一枚で抱かれて移動した話と、同じ勢い……。)


 とちょっと困惑しながら、


「名前を呼んでもらったよ。あと……、強いところが好き、って言ってもらったよ。」


 魂呼たまよびは名を呼ぶ。

 さらに、その者の魂に強く響く言葉がけをする。


(恋の言葉ではないけど、ちょっと照れるよなぁ、この言葉は……。)


 と古志加が顔を赤くし、モジモジしていると、きゃあきゃあ盛り上がった皆が、


「それで、他には何をされたの?」


 と聞く。


(なんで分かるんだろう?)


 と動揺し、目をあちこちに彷徨わせながら、


「額に……、ちょんって、口づけされた。」


 と古志加が小さい声で言うと、


 キャ──ッ! キャ──ッ!


 と口々に皆が悲鳴をあげ、満面の笑みで、


「それで?!」


 と言う。


「それだけだよ?」


 と目をパチパチしながら言うと、


「………。」


 いきなり皆が静かになり、場がしらけた。

 わけがわからず、戸惑う古志加に、言葉でも魂呼たまよびはできるが、おのこには男にしかできない魂呼びがある、と皆は教えてくれた。


(それって……!)


 魂がふわふわしていた時は、己の感情が上手に働かなかったが、ちゃんとまわりの記憶はある。


(あたし、布多未ふたみと花麻呂と、阿古麻呂あこまろに、医務室で呼ばれて、行きかけて、三虎に、誰でもいいのか、って怒られた!)


 夢でのうなされ方が酷くて、女官部屋の皆に迷惑をかけたから、女官部屋以外で寝かせてもらえるなら、どこでも良かった。


 布多未にはいもがいる。

 花麻呂は怪我が酷い。

 言葉による魂呼たまよびだろう。

 でも阿古麻呂は……。


 そしてあたしは、すすんで、阿古麻呂の手を取るところだった。

 あれは、まるごとあたしをお願いします、という意味になっていたのか。

 魂をふわふわとさせたまま、あたしは阿古麻呂がどんな魂呼びをしてくれたとしても、きっと受け入れていたろう。

 きっと、嫌ではなかったはずだ……。


母刀自ははとじ、あたし、知らなかったよ……。)


 古志加は目をむき、

 膝をつき、

 そのまま前のめりにパッタリと倒れ込んだ。




    *   *   *




 その後、日佐留売ひさるめの部屋に行き、難隠人ななひとさま、浄足きよたりにもお礼を言い、抱き合った。

 皆喜んでくれたが、その後そっと日佐留売に奥の部屋に連れて行かれ、


「それで、どうやって三虎に魂呼たまよびしてもらったか、聞いて良いかしら?」


 とにっこり優しい笑顔で言うので、これは日佐留売もおのこにしかできない魂呼びを知ってるんだ、と古志加は真っ赤になりながら、すべてを話した。

 母刀自の話をしたところで、日佐留売はいっそう微笑み、


「あたしきっと、あなたの母刀自のこと、好きだわ。

 あなたは本当に愛されていたのね、古志加。」


 と言ってくれたので、古志加は目を見開き、


「ふぇん……。」


 と泣いてしまった。

 日佐留売は優しく古志加を抱きしめてくれた。

 大好き、日佐留売。








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