桂皮の女、其の三
三虎が大怪我をした。
私をかばって。
三虎は従者で、たった一人の私の
従者だから……。主の盾となるのも、務めの一つだ。
だが三虎は私の無二の友だ。
三虎を失ったら、私はなんとしよう……。
三虎を死なせたくない。だから、
「死ぬな。」
と言い、三虎は、
「はい。」
と返事をしたが、またこの先、私に危険が及べば、三虎は迷うまい。
また同じことをする。
私はなんとしよう……。
* * *
心が重く、落ち着かぬ。
衛士が
こっそり一人で
舞は良い……。
動きが美しく、心が集中し、舞えば舞うほど、心が澄んでいく。
見ているものは、天上の
人の気配を感じた。
「……誰だ!」
鋭く
「
「はい。」
夜着ではなく、女官姿の古志加が返事をした。
(古志加。ええと……。)
賊の襲撃時に、
褒賞を考えると、
「あいつは今ダメです。屋敷の抜け穴から侵入した賊に、一人でかちあって、
心に傷を負ってます。」
と言うので、褒賞を与えるのを先延ばしにした。
……可哀想に三虎。
三虎は古志加を恋うてる。
前に
「古志加!」
と叫んで助けに行き、古志加を抱きしめていた。
後から少しからかったら、全身をピリリと緊張させ、顔は青ざめ、震えていた。
ずべてに忠実なあの従者は、
十五歳のとき、
───
という意味と、
───オレの
という
(私が三虎の願いを
……古志加が
あれは許せ。
藤売が怖すぎた。)
三虎は今回深手を負い、私は見舞いに行って、三虎が古志加に、賊の追撃に行くな、と言うところに出くわした。
三虎はその後ずっと……。
苦悩している。
見てられないほど、思い悩み、傷ついている。
だが三虎は、
ゆえに大川は、何も言えない。
「こんな時間にどうした。たしか、その……。」
と大川が言葉に迷っていると、揺れる
「
湯殿に入りそびれたので、行きたくなっちゃいました!」
と笑った。
「ふむ、それは良かったな。」
と大川も笑顔を浮かべ、
「……それはそうと。」
一人で
太鼓の音などもない、仮面もない、衣もただの夜着。
これでは全然しまらない。
誰にも見られたくなかったのに。
「見たな、古志加。」
* * *
「それはそうと、見たな、古志加。」
とこちらを睨みつけた大川さまが、唇をつきだし、ぷ──っと頬を膨らませた。
ついぞ、見たことのない表情。
(大川さまも、そんな顔するんだ!)
わ、と古志加は驚いた。
頬を膨らませ、すねた表情の大川さまは、驚くほど
古志加は危うく吹き出しそうになるのをこらえ、口に手をあて、
「その顔、
と言ってしまった。大川さまは、
「ん。」
と面食らった顔をし、その後、ぷっと笑い、
「あっはっは……!」
と喉をのけぞらせて、大きく笑った。
快活な笑い声。
上機嫌で嬉しそうに、
「そうか、そうか、そう言われたのは初めてだな……。」
と目を細めて古志加を見た。
(ひぃ……!)
いつもの作り物のような優しい笑顔ではなく、生き生きとした笑顔でこちらを見られては、流石の古志加も背筋がゾクゾクしてしまう。
汗をかいた大川さまからは、三虎と似て非なる、香木の甘く深く、かぐわしい香りがする。
三虎の浅香より、もっと深い。
さらに
(冷たい人かと思ってたけど、本当はもっと、感情が豊かな人なのかもしれない……。)
と古志加は自分の決めつけを、心のなかで謝罪する。
「大川さまは、何をなさってたんです?」
明るい笑い声につられるように、三虎より背が高い大川さまを見上げ、おずおずと訊いてしまう。
* * *
「ああ、眠れなくてね……。」
大川は答える。これは嘘。
本当は一人の時間が欲しかった。
大川は古志加を見る。
大川のなかの古志加の認識は、難隠人のお気にいり。
あと変わった
女なのに衛士になりたいと言うので、ダメじゃないよ、と言ってあげた。
賊の追撃の時は、卯団長である三虎にくってかかって、最後まで言うことをきかなかった。
(それってどうなの……?)
女官の姿はたしかに美人ではあるが、目を見張るほどではない。
髪がちょっと
(三虎が望めば、私はどんな美女でも、三虎の妻にしてやるのになぁ……。
なんであんなに苦悩するほど、この女を恋うてるのか。
さっぱりわからん。)
「私は三虎がいないと、調子がでなくてね。」
三虎の名をだして、古志加の様子を見てみる。
(ポッと頬を染めたりする、可愛いところがあるとか、かな……?)
ところが、目の前の古志加は、頬を染めるどころか、三虎の名に全く動じず、無言で食い入るように、じっと大川を見上げている。
(えっ、何、何……?
全然可愛くないんだけど、三虎?)
大きな目で、目の光が強い。
ちょっと居心地悪いなぁ、と思っていると、古志加が突然、口もとに薄く笑みを
* * *
これは千載一遇の機会。
あたしは運が良い。
まわりに誰かいたら、一衛士との稽古なんて、絶対止められる。
あたしは、こんな機会を逃さない。
* * *
古志加は、
「うふ……。」
と笑い、
「ねぇ、大川さま。寝られないんでしょ、
あたしもなんです。ねぇ……。
あたしに付き合って下さいよ。」
と
大川は、すっと半目になり、
どうやってこの
(こりごりだ。こういういやらしい誘いは。)
奈良に行き、「上毛野君の若さま」の立場に守られなくなると、
三虎がちょっと離れた隙に、一人、市でぼーっとしていると、いきなり年増の知らない
「おい……!」
と大川が叱りとばそうとするが、それより早く、
「あたし剣! 剣がいい!」
とホクホク顔で、元気に古志加が右拳を前につきだした。
「……は?」
わけがわからず、大川から声がもれる。
「本当は組み稽古でも良いんですけど、あたし左肩を怪我してまして……。
多分、熱くなっちゃうと、左腕も使っちゃうんですよ、あたし。」
と恥じらうように右手を自分の頬にそえ、
「あと、頭にもたん
ねぇ───。身体動かしたいんですよ。
大川さまの剣がどうしてもまた見たいんです。
前に一度見た時、すごい強かったじゃないですか。
お願いします、稽古つけて……!」
と必死に古志加が嘆願した。
思わず、ぷっ、と小さく吹き出し、
「いや古志加……。おまえ女官姿じゃないか。」
と大川は苦笑した。
「そんなこと……。」
古志加は薄い笑みを刷き、
「あたしはこの姿に慣れてますので、戦えます。他の衛士じゃ無理でしょうね。」
と、
(変な
「くくくく……。」
大川は我慢できず笑ってしまった。
「剣……、大川さまの部屋からで良いですよね?
あたし、とってきて良いですか?」
期待で顔を紅潮させながら古志加が言う。
なんとなく……。この
「まったく……。この私に、一衛士が稽古をつけてほしいなんて言うとは思わなかったぞ。
これきりだからな。」
やれやれ、と首をふり、大川は自室へむかう。
古志加が、
「ワ──ホ──イ!」
と叫び、右拳を上につきあげた。
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