桂皮の女、其の三

 三虎が大怪我をした。

 私をかばって。

 三虎は従者で、たった一人の私の乳兄妹ちのとだ。

 従者だから……。主の盾となるのも、務めの一つだ。

 だが三虎は私の無二の友だ。

 三虎を失ったら、私はなんとしよう……。

 三虎を死なせたくない。だから、


「死ぬな。」


 と言い、三虎は、


「はい。」


 と返事をしたが、またこの先、私に危険が及べば、三虎は迷うまい。

 また同じことをする。

 私はなんとしよう……。




 心が重く、落ち着かぬ。

 大川おおかわが一人になれる時間は少ない。

 衛士が警邏けいらを終え、一人になれる深夜。


 の刻。(夜11時〜午前1時)


 こっそり一人で蘭陵王らんりょうおうを舞う。

 舞は良い……。

 動きが美しく、心が集中し、

 舞えば舞うほど、心が澄んでいく。

 をすすめ、飛び、沈み、くうを打ち、

 見ているものは、天上の十六夜いざよい月だけ……。




 人の気配を感じた。


「……誰だ!」


 鋭く誰何すいかする。

 石畳いしだたみの道の暗がりから、おずおずと困り顔で出てきたのは、


古志加こじかか。」

「はい。」


 夜着ではなく、女官姿の古志加が返事をした。

 古志加。

 ええと。

 賊の襲撃時に、やぐらで鐘を鳴らし続けた。

 褒賞を考えると、布多未ふたみが、


「あいつは今ダメです。屋敷の抜け穴から侵入した賊に、一人でかちあって、おみなとして手籠めにされかけました。

 心に傷を負ってます。」


 と言うので、褒賞を与えるのを先延ばしにした。


 ……可哀想に


 三虎は古志加を恋うてる。

 前に藤売ふじめと古志加がさらわれた時、


「古志加!」


 と叫んで助けに行き、古志加を抱きしめていた。

 後から少しからかったら、全身をピリリと緊張させ、顔は青ざめ、震えていた。

 ずべてに忠実なあの従者は、おみなに関してだけは、時々、私に対してピリッとした雰囲気をまとう。

 十五歳のとき、すずを鳴らした、と遊行女うかれめの名を私に明かした時も、

 ───おみなの話をオレも聞けますよ、という意味と、

 ───オレの遊行女に触れないで下さいよ、

 という牽制けんせいする鋭さを感じた。

 私が三虎の願いを無下むげにするわけがないのに。


 ……古志加が藤売ふじめに痛めつけられている時には、無下にしたな!

 あれは許せ。

 藤売が怖すぎた。


 三虎は今回深手を負い、私は見舞いに行って、三虎が古志加に、賊の追撃に行くな、と言うところに出くわした。

 三虎はその後ずっと……。


 苦悩している。


 見てられないほど、思い悩み、傷ついている。

 だが三虎は、女の話を私にすることを好まない。

 私に女の名を口にしてほしくない、とさえ思っている節がある。

 ゆえに私は、何も言えない。




「こんな時間にどうした。たしか、その……。」


 と大川が言葉に迷っていると、揺れる可我里火かがりびに照らされた古志加が、明るく、困ったように、


うらぶれしかかっていましたが、もう大丈夫なようです。ご心配をおかけしました。

 湯殿に入りそびれたので、行きたくなっちゃいました!」


 と笑った。


「ふむ、それは良かったな。」


 と大川も笑顔を浮かべ、


「……それはそうと。」


 一人で蘭陵王らんりょうおうを舞っていたのを見られた。

 太鼓の音などもない、仮面もない、衣もただの夜着。

 これでは全然しまらない。

 誰にも見られたくなかったのに。


「見たな、古志加。」





     *   *   *





「それはそうと、見たな、古志加。」


 とこちらを睨みつけた大川が、唇をつきだし、ぷ──っと頬を膨らませた。

 ついぞ、見たことのない表情。


(大川さまも、そんな顔するんだ!)


 わ、と古志加は驚いた。

 頬を膨らませ、すねた表情の大川は、驚くほど難隠人ななひとにそっくりだった。

 古志加は危うく吹き出しそうになるのをこらえ、口に手をあて、


「その顔、難隠人さまにそっくりですよ。」


 と言ってしまった。大川は、


「ん。」


 と面食らった顔をし、その後、ぷっと笑い、


「あっはっは……!」


 と喉をのけぞらせて、大きく笑った。

 快活な笑い声。

 上機嫌で嬉しそうに、


「そうか、そうか、そう言われたのは初めてだな……。」


 と目を細めて古志加を見た。


(ひぃ……!)


 いつもの作り物のような優しい笑顔ではなく、生き生きとした笑顔でこちらを見られては、流石の古志加も背筋がゾクゾクしてしまう。


 汗をかいた大川からは、三虎と似て非なる、香木の甘く深く、かぐわしい香りがする。

 三虎の浅香より、もっと深い。

 さらに宇万良うまら(野イバラ)の、うっとりするような甘さがほのかに香り、香木の深遠な香りに華やかさを添えている。


(冷たい人かと思ってたけど、本当はもっと、感情が豊かな人なのかもしれない……。)


 と古志加は自分の決めつけを、心のなかで謝罪する。


「大川さまは、何をなさってたんです?」


 明るい笑い声につられるように、三虎より背が高い大川を見上げ、おずおずと訊いてしまう。





    *   *   *





「ああ、眠れなくてね……。」


 大川は答える。これは嘘。

 本当は一人の時間が欲しかった。

 大川は古志加を見る。

 大川のなかの古志加の認識は、難隠人のお気にいり。

 あと変わったおみな

 女なのに衛士になりたいと言うので、ダメじゃないよ、と言ってあげた。

 賊の追撃の時は、卯団長である三虎にくってかかって、最後まで言うことをきかなかった。


(それってどうなの……?)


 女官の姿はたしかに美人ではあるが、目を見張るほどではない。

 髪がちょっと無様ぶざまだし、もっと美人はごろごろいる。


(三虎が望めば、私はどんな美女でも、三虎の妻にしてやるのになぁ……。)


 なんであんなに苦悩するほど、この女を恋うてるのか。


(さっぱりわからん。)


「私は三虎がいないと、調子がでなくてね。」


 三虎の名をだして、古志加の様子を見てみる。

 ポッとか頬を染めたりする、可愛いところがあるとか、かな……?


 ところが、目の前の古志加は、頬を染めるどころか、三虎の名に全く動じず、無言で食い入るように、じっと大川を見上げている。


(えっ、何、何……?

 全然可愛くないんだけど、三虎?)


 大きな目で、目の光が強い。

 ちょっと居心地悪いなぁ、と思っていると、古志加が突然、口もとに薄く笑みをき、獲物を狙うような目で笑った。




    *   *   *




 これは千載一遇の機会。

 あたしは運が良い。

 卯団うのだんの衛士は普通機会のない、布多未ふたみの稽古もつけてもらえたし、

 今、目の前には、すごく剣の強い大川さまが、一人でいる。

 まわりに誰かいたら、一衛士との稽古なんて、絶対止められる。

 あたしは、こんな機会を逃さない。




    *   *   *




 古志加は、


「うふ……。」


 と笑い、


「ねぇ、大川さま。寝られないんでしょ、

 あたしもなんです。ねぇ……。

 あたしに付き合って下さいよ。」


 とこびのある仕草で首をかしげた。

 大川は、すっと半目になり、まとう空気を冷たいものとする。

 どうやってこのおみなを追っ払うかを思案する。


(こりごりだ。こういういやらしい誘いは。)


 上毛野君かみつけののきみの屋敷では、まだ女官たちはここまで露骨ではないが、

 奈良に行き、「上毛野君の若さま」の立場に守られなくなると、女のふてぶてしさには反吐がでる。

 三虎がちょっと離れた隙に、一人、市でぼーっとしていると、いきなり年増の知らない女に手を引かれ、暗がりに連れ込まれそうになったこともある。

 女はなぜ皆、私のことを舌なめずりするような目で見るのだろう?


「おい……!」


 と大川が叱りとばそうとするが、それより早く、


「あたし剣! 剣がいい!」


 とホクホク顔で、元気に古志加が右拳を前につきだした。


「……は?」


 わけがわからず、大川から声がもれる。


「本当は組み稽古でも良いんですけど、あたし左肩を怪我してまして……。

 多分、熱くなっちゃうと、左腕も使っちゃうんですよ、あたし。」


 と恥じらうように右手を自分の頬にそえ、


「あと、頭にもたんこぶあるんで、そこは避けてください。

 ねぇ───。身体動かしたいんですよ。

 大川さまの剣がどうしてもまた見たいんです。

 前に一度見た時、すごい強かったじゃないですか。

 お願いします、稽古つけて……!」


 と必死に古志加が嘆願した。

 女から、そんな誘いは初めてだ。

 思わず、ちょっとぷっと笑いつつ、


「いや古志加……。おまえ女官姿じゃないか。」


 と大川は苦笑した。


「そんなこと……。」


 と古志加は薄い笑みを刷き、


「あたしはこの姿に慣れてますので、戦えます。他の衛士じゃ無理でしょうね。」


 と、獰猛どうもうな光を目に宿しながら笑った。


(変なおみな……。)


 くくくく……、

 と大川は我慢できず笑ってしまった。


「剣……、大川さまの部屋からで良いですよね?

 あたし、とってきて良いですか?」


 期待で顔を紅潮させながら古志加が言う。

 なんとなく……。この女を部屋にあげたくない。


「まったく……。この私に、一衛士が稽古をつけてほしいなんて言うとは思わなかったぞ。

 これきりだからな。」


 やれやれ、と首をふり、大川は自室へむかう。

 古志加が、


「ワ──ホ──イ!」


 と叫び、右拳を上につきあげた。













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