桂皮の女、其の三

 三虎が大怪我をした。

 私をかばって。

 三虎は従者で、たった一人の私の乳兄妹ちのとだ。

 従者だから……。主の盾となるのも、務めの一つだ。

 だが三虎は私の無二の友だ。

 三虎を失ったら、私はなんとしよう……。

 三虎を死なせたくない。だから、


「死ぬな。」


 と言い、三虎は、


「はい。」


 と返事をしたが、またこの先、私に危険が及べば、三虎は迷うまい。

 また同じことをする。

 私はなんとしよう……。



   *   *   *



 心が重く、落ち着かぬ。

 大川おおかわが一人になれる時間は少ない。

 衛士が警邏けいらを終え、一人になれる深夜。


 の刻。(夜11時〜午前1時)


 こっそり一人で蘭陵王らんりょうおうを舞う。

 舞は良い……。

 動きが美しく、心が集中し、舞えば舞うほど、心が澄んでいく。

 をすすめ、飛び、沈み、くうを打ち。

 見ているものは、天上の十六夜いざよい月だけ……。




 人の気配を感じた。


「……誰だ!」


 鋭く誰何すいかする。

 石畳いしだたみの道の暗がりから、おずおずと困り顔で出てきたのは、


古志加こじかか。」

「はい。」


 夜着ではなく、女官姿の古志加が返事をした。


(古志加。ええと……。)


 賊の襲撃時に、やぐらで鐘を鳴らし続けた。

 褒賞を考えると、布多未ふたみが、


「あいつは今ダメです。屋敷の抜け穴から侵入した賊に、一人でかちあって、おみなとして手籠めにされかけました。

 心に傷を負ってます。」


 と言うので、褒賞を与えるのを先延ばしにした。


 ……可哀想に


 三虎は古志加を恋うてる。

 前に藤売ふじめと古志加がさらわれた時、


「古志加!」


 と叫んで助けに行き、古志加を抱きしめていた。

 後から少しからかったら、全身をピリリと緊張させ、顔は青ざめ、震えていた。

 ずべてに忠実なあの従者は、おみなに関してだけは、時々、大川に対してピリッとした雰囲気をまとう。


 十五歳のとき、すずを鳴らした、と遊行女うかれめの名を大川に明かした時も、


 ───おみなの話をオレも聞けますよ。


 という意味と、


 ───オレの遊行女うかれめに触れないで下さいよ。


 という牽制けんせいする鋭さを感じた。


(私が三虎の願いを無下むげにするわけがないのに。

 ……古志加が藤売ふじめに痛めつけられている時には、無下にしたな!

 あれは許せ。

 藤売が怖すぎた。)


 三虎は今回深手を負い、私は見舞いに行って、三虎が古志加に、賊の追撃に行くな、と言うところに出くわした。

 三虎はその後ずっと……。


 苦悩している。


 見てられないほど、思い悩み、傷ついている。

 だが三虎は、おみなの話を大川にすることを好まない。

 ゆえに大川は、何も言えない。




 


「こんな時間にどうした。たしか、その……。」


 と大川が言葉に迷っていると、揺れる可我里火かがりびに照らされた古志加が、明るく、困ったように、


うらぶれしかかっていましたが、もう大丈夫なようです。ご心配をおかけしました。

 湯殿に入りそびれたので、行きたくなっちゃいました!」


 と笑った。


「ふむ、それは良かったな。」


 と大川も笑顔を浮かべ、


「……それはそうと。」


 一人で蘭陵王らんりょうおうを舞っていたのを見られた。

 太鼓の音などもない、仮面もない、衣もただの夜着。

 これでは全然しまらない。

 誰にも見られたくなかったのに。


「見たな、古志加。」





     *   *   *





「それはそうと、見たな、古志加。」


 とこちらを睨みつけた大川さまが、唇をつきだし、ぷ──っと頬を膨らませた。

 ついぞ、見たことのない表情。


(大川さまも、そんな顔するんだ!)


 わ、と古志加は驚いた。

 頬を膨らませ、すねた表情の大川さまは、驚くほど難隠人ななひとさまにそっくりだった。

 古志加は危うく吹き出しそうになるのをこらえ、口に手をあて、


「その顔、難隠人ななひとさまにそっくりですよ。」


 と言ってしまった。大川さまは、


「ん。」


 と面食らった顔をし、その後、ぷっと笑い、


「あっはっは……!」


 と喉をのけぞらせて、大きく笑った。

 快活な笑い声。

 上機嫌で嬉しそうに、


「そうか、そうか、そう言われたのは初めてだな……。」


 と目を細めて古志加を見た。


(ひぃ……!)


 いつもの作り物のような優しい笑顔ではなく、生き生きとした笑顔でこちらを見られては、流石の古志加も背筋がゾクゾクしてしまう。


 汗をかいた大川さまからは、三虎と似て非なる、香木の甘く深く、かぐわしい香りがする。

 三虎の浅香より、もっと深い。

 さらに宇万良うまら(野イバラ)の、うっとりするような甘さがほのかに香り、香木の深遠な香りに華やかさを添えている。


(冷たい人かと思ってたけど、本当はもっと、感情が豊かな人なのかもしれない……。)


 と古志加は自分の決めつけを、心のなかで謝罪する。


「大川さまは、何をなさってたんです?」


 明るい笑い声につられるように、三虎より背が高い大川さまを見上げ、おずおずと訊いてしまう。





    *   *   *





「ああ、眠れなくてね……。」


 大川は答える。これは嘘。

 本当は一人の時間が欲しかった。


 大川は古志加を見る。

 大川のなかの古志加の認識は、難隠人のお気にいり。

 あと変わったおみな

 女なのに衛士になりたいと言うので、ダメじゃないよ、と言ってあげた。

 賊の追撃の時は、卯団長である三虎にくってかかって、最後まで言うことをきかなかった。


(それってどうなの……?)


 女官の姿はたしかに美人ではあるが、目を見張るほどではない。

 髪がちょっと無様ぶざまだし、もっと美人はごろごろいる。


(三虎が望めば、私はどんな美女でも、三虎の妻にしてやるのになぁ……。

 なんであんなに苦悩するほど、この女を恋うてるのか。

 さっぱりわからん。)


「私は三虎がいないと、調子がでなくてね。」


 三虎の名をだして、古志加の様子を見てみる。


(ポッと頬を染めたりする、可愛いところがあるとか、かな……?)


 ところが、目の前の古志加は、頬を染めるどころか、三虎の名に全く動じず、無言で食い入るように、じっと大川を見上げている。


(えっ、何、何……?

 全然可愛くないんだけど、三虎?)


 大きな目で、目の光が強い。

 ちょっと居心地悪いなぁ、と思っていると、古志加が突然、口もとに薄く笑みをき、獲物を狙うような目で笑った。




    *   *   *




 これは千載一遇の機会。

 あたしは運が良い。

 卯団うのだんの衛士は普通機会のない、布多未ふたみの稽古もつけてもらえたし、今、目の前には、すごく剣の強い大川さまが、一人でいる。

 まわりに誰かいたら、一衛士との稽古なんて、絶対止められる。

 あたしは、こんな機会を逃さない。




    *   *   *




 古志加は、


「うふ……。」


 と笑い、


「ねぇ、大川さま。寝られないんでしょ、

 あたしもなんです。ねぇ……。

 あたしに付き合って下さいよ。」


 とこびのある仕草で首をかしげた。

 大川は、すっと半目になり、まとう空気を冷たいものとする。

 どうやってこのおみなを追っ払うかを思案する。


(こりごりだ。こういういやらしい誘いは。)


 上毛野君かみつけののきみの屋敷では、まだ女官たちはここまで露骨ではないが、

 奈良に行き、「上毛野君の若さま」の立場に守られなくなると、おみなのふてぶてしさには反吐がでる。


 三虎がちょっと離れた隙に、一人、市でぼーっとしていると、いきなり年増の知らないおみなに手を引かれ、暗がりに連れ込まれそうになったこともある。

 おみなはなぜ皆、私のことを舌なめずりして見るのだろう?


「おい……!」


 と大川が叱りとばそうとするが、それより早く、


「あたし剣! 剣がいい!」


 とホクホク顔で、元気に古志加が右拳を前につきだした。


「……は?」


 わけがわからず、大川から声がもれる。


「本当は組み稽古でも良いんですけど、あたし左肩を怪我してまして……。

 多分、熱くなっちゃうと、左腕も使っちゃうんですよ、あたし。」


 と恥じらうように右手を自分の頬にそえ、


「あと、頭にもたんこぶあるんで、そこは避けてください。

 ねぇ───。身体動かしたいんですよ。

 大川さまの剣がどうしてもまた見たいんです。

 前に一度見た時、すごい強かったじゃないですか。

 お願いします、稽古つけて……!」


 と必死に古志加が嘆願した。

 おみなから、そんな誘いは初めてだ。

 思わず、ぷっ、と小さく吹き出し、


「いや古志加……。おまえ女官姿じゃないか。」


 と大川は苦笑した。


「そんなこと……。」


 古志加は薄い笑みを刷き、


「あたしはこの姿に慣れてますので、戦えます。他の衛士じゃ無理でしょうね。」


 と、獰猛どうもうな光を目に宿しながら笑った。


(変なおみな……。)


「くくくく……。」


 大川は我慢できず笑ってしまった。


「剣……、大川さまの部屋からで良いですよね?

 あたし、とってきて良いですか?」


 期待で顔を紅潮させながら古志加が言う。

 なんとなく……。このおみなを部屋にあげたくない。


「まったく……。この私に、一衛士が稽古をつけてほしいなんて言うとは思わなかったぞ。

 これきりだからな。」


 やれやれ、と首をふり、大川は自室へむかう。

 古志加が、


「ワ──ホ──イ!」


 と叫び、右拳を上につきあげた。







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