心のひだ魂の深く、其の五

 古志加こじか薬湯くすりゆを淹れてやろう。


 三虎はそう思い、お湯を炊屋かしきやにもらいに行く。

 簀子すのこ(廊下)の途中で女官を捕まえて、お湯を自分の部屋に持ってくるよう伝え、自分は部屋に引き返す。

 本当はお湯をもらいに行くなど、女官の仕事だ。

 古志加こじかにやらせるべきで、多分、言えば、


「はい。」


 と古志加は、お湯をもらいに行くぐらいはできたろうが、


(途中で布多未ふたみ阿古麻呂あこまろとバッタリ会ったら、どうする!

 阿古麻呂はともかく、布多未はあれ、なんなの。

 いつの間に古志加にちょっかいを。

 あんたはいもがいるだろうが。

 全く。自重しろ。)


 イライラとしつつ、なるべく早く部屋に戻る。

 あまり古志加を一人にしたくない。




   *   *   *




 部屋に戻ると、古志加が三虎の寝床で、仰向けに寝ている。

 まださるの刻。(午後3〜5時)

 寝るには早い。

 起こすか迷いつつ、ふすま(掛け布団)をかけてやる。

 そのまま寝床に腰掛け、古志加の顔を見る。

 両頬の青あざが痛々しい。

 唇のはしにも瘡蓋かさぶたがあるし、額の真ん中には、オレがつけた傷跡もある。

 ボロボロだ。

 手を伸ばし、古志加の目刺めざしの前髪にふれる。


(……古志加を元に戻し、オレの怪我も馬に乗れるくらいまで回復すれば、おそらく一月中に上野国かみつけののくにを発つ。

 次に戻ってくるのは、また十二月だろうか。

 古志加も来年は十八歳。

 そしたら、もう目刺し髪じゃないはずだ。

 わらはらしい、可愛らしい目刺し髪も見納めだ。)


 手を離そうとしたら、


「ん……。」


 と眠る古志加の唇が動き、


「三虎……。」


 と寝言をつぶやいた。胸が詰まったように感じ、


(バカだな、コイツ。)


 と言葉が浮かんだ。


(そうやって夢でオレを呼ぶくせに。

 バカ、古志加、バカ。

 ちゃんと呼べって言った時に、なぜ呼ばない。)


 胸の苦しさに押され。

 左手を寝床につき。

 ゆっくり、三虎は身体をかがめる。

 ………古志加の顔に。

 唇に。

 吸い寄せられる。


(オレは何を……。)


 三虎は目を細め、細め、頬が緊張し、戸惑うが、古志加の唇を求め、息をひそめ、ゆっくり、顔を近づけてしまう。


(わああ、止まんね───!

 止まれ───!)


「………。」


 己の唇に、古志加の唇からもれた、ふ、という寝息を感じたところで。

 どたどたどた。

 と簀子すのこ(廊下)をこちらにむかって駆けてくる足音を感じた。

 三虎は止まった。

 さっと身体を起こし、目を見開き、は───っと肩で息をついた。


(危ねええ! 助かった……。)


 


「三虎よぉぉ! ここかあ! 入れてくれぇ。」


 と大げさに泣き叫ぶような声を妻戸つまとの外であげるのは、薩人さつひとだ。


「入れ。」


 三虎は妻戸つまとを開けてやる。


「オレ、もう、嫌だぁぁぁ!

 大川さまがこっちむいて、頬を指さして、ここって言うんだぁぁ!」


 薩人は、怪我をした三虎のかわりに、大川さまの従者をしている。

 三虎が推した。


「そんでその後に、あ、三虎じゃないか、ここに練り香油を、って言うんだよぉぉ!

 もう練り香油使いきっちまった!」


 部屋に入れた薩人が、ひょろりと細長い身体をプルプルさせながら、そう言うので、


「落ち着け。古志加が寝てる。

 練り香油なら五番の厨子棚ずしだなの、上から四段目の右の引き出しに、次のものが入ってる。

 そう言ったろ?」


 と三虎がたんたんと言うと、


「あ……、そう。」


 と薩人の声がしぼみ、三虎の身体に隠れた古志加を、細い糸みたいな目で、ひょいと覗き見た。そして、


「寝てる。」


 と一言だけ言い、だがすぐこっちを見、声をひそめつつ、


「それだけじゃねぇんだよ、やっぱオレには無理だ、明日の衣は白だな、って大川さまが笑顔でこっちむいて、それしか言わねぇんだよ。

 オレに何を用意しろと……!」


 と泣き言を言う。


「落ち着け。内衣の色を聞け。

 浅紫なら、高麗錦こまにしきの白。

 くれないなら、白妙錦しろたえにしきの白だ。

 高麗錦なら四番、白妙錦なら六番の唐櫃からひつだ。

 白妙錦は照多閉てるたえ明多閉あかるたえがあるから、そこだけ気をつけろ。そう言ったろ?」


 ううう、と薩人はうつむいた。


「大丈夫だ。おまえはおみな好きぐらいしか穴がない。

 武の腕も良いし、よく気がつくし、頭も良い。

 オレは自信を持って、おまえを大川さまに推したぞ?

 ほら、今、宇万良うまらの練り香油の予備を出してやるから……。」


 三虎は、練り香油を取りに部屋奥の厨子棚ずしたなへ歩く。

 声をひそめ、あとをついてきた薩人が、


「それだけじゃねぇんだよ、昨日の夜も、大川さまに白湯さゆをだしたら、こっちを見て、三虎じゃないからなぁ、って仕方なさそうに笑うんだよ。」

「いつもは白湯だが、今日は疲れたなぁ、とおっしゃったら陳皮ちんぴを白湯に入れろ。

 口寂しいなぁ、と仰ったら蜂蜜をひとたらし入れろ。

 疲れたなぁ、の言葉のあとに、二回ため息をついてたら、陳皮と蜂蜜を両方入れろ。

 そう言ったろ?」


 薩人はプルプル震えた。


「おまっ……、おまえはぁぁ!

 大川さまを甘やかしすぎだ……!」


 三虎は顔をしかめる。


「む。何を言う。そんなことはない。」







 言うだけ言って満足した薩人が、古志加の顔を見に寝床に行く。


おみなの顔をこんなにするなんざ、許せねぇ。」


 と怒りをこめてつぶやいた。全く同意だ。

 そこで薩人がこっちを振り向いて、


「早く楽にしてやって下さいよ。古志加は嫌がりませんよ。」


 と真面目に言った。

 三虎は少し迷い、


「考えてはいる。」


 と目をそらし、机の上に練り香油の予備を置いた。


 魂呼たまよびは名を呼ぶ。

 その者の魂に響く、強い言葉を言う。

 怪我のひどい花麻呂が、


「魂呼びならオレがする。」


 と言ったのは、その方法をとるはずだ。

 だがおのこには、男にしかできぬ方法で、おみなの魂呼びをすることができる……。

 もっと簡単に、早く、体と魂を結び直せる。

 薩人はそのことを言っている。

 姉上にはああ言ったが、やろうと思えば、肩を怪我していようが、多少発熱しようが、やる事はできる。


 だが三虎は思う。

 心のひだに潜む、古志加を苦しめている影を一つ一つ丁寧に全部取り除いて、元の明るい笑顔を取り戻す方法を取りたい。

 そっちの方が良いではないか。

 額に軽く口づけしただけで狼狽し。

 己が出した声にさえ傷つくようなおみなに、そのような方法はとりたくはない……。





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