心のひだ魂の深く、其の四

「あのおのこ小田知怒麻呂おだのちぬまろは、七年前、郷長さとおささらわれた母刀自ははとじを殺した犯人だったんです。

 あたしの母刀自が舌足らずで、何を喋ってるかわからなくて、腹が立って首を締めて殺したって……!

 三虎が郷長の家族を捕まえた時、一人、隠し納戸なんどで全て見ていたって言ってました。

 あたしを母刀自と同じ目にあわせてやるって、あたしにのしかかってきたんです。

 むごい。

 あまりに酷い。

 母刀自の最後があまりに可哀想だ……!」


 わあああ、と古志加こじかは大声をだして泣いた。

 三虎はしっかりと古志加を抱きとめる。


「それであたし、やっと分かったんです。

 十歳のあたしは幼くて、母刀自が死んだのは悲しかったけど、郷長の家って大きくて、広くて、一回しか行ったことがなくて、山といちしか知らなかったあたしは、母刀自が大きな郷長の家に飲み込まれて、プッと吐き出されたら、動かない姿になって帰ってきたように感じられて……。

 でも違った。

 おのこにのしかかられて、あたし、すごい怖かった。

 やぐらで炎にまかれそうになってる時より、ずっと……!

 母刀自がどんなむごいことをされて、怖い思いの中で殺されたか。

 やっと分かった。

 憎い。

 母刀自を攫ったおのこが。

 殺したおのこが。

 もう三虎が下人げにんに落として、矢で射殺してくれたおのこが。

 まだまだ憎くて、百回でも体を引き裂いてやりたい!

 こんな憎しみ、どうしたらいいの!」


 三虎は無言で古志加を抱きとめる。


「怖い、怖い夢は……、怖い夢は、母刀自とあたしが、かわるがわる、ずっと……、最後は首を締められて、あああ! いや────ッ!!」


 とうとう古志加は絶叫した。


「古志加! 落ち着け! オレを見ろ!」


 三虎の鋭い声が飛んできて、強い力で顎をとらえられ、上をむかされた。

 すこし、青あざの頬に手が触れて、ビリリとしみる痛みが来て、古志加の意識にチカっと白い光を灯した。


「オレはおまえの、強いところが好きだ、古志加!」


 間近で古志加を見下ろす三虎が、しっかりと言い切った。

 あっ、と古志加は息を呑み込んだ。


「古志加、オレがちゃんとついてる。落ち着け。」


 はあ、はあ、と荒い息をつきながら、急速に古志加は大人しくなった。

 かわりにみるみる顔が赤くなる。


(そ、そんな言葉で魂呼たまよびするの、ずるい……!)


 どっと疲れが来て、三虎の言葉が効きすぎて、身体の力まで抜けてしまう。

 三虎は落ち着いたのを見計らって、


「それで全部か。

 心にわだかまるものがあれば、全部話せ。

 一糸一毫いっしいちごう残したら許さない。」


 と力なく三虎の胸にしなだれかかる古志加にむかって言う。

 古志加はぎょっとして目をく。


(あ、あれまで言わねばダメなのか……。)


 三虎は容赦ない。知ってる。


(あれを言うのかぁ……。)


 古志加は顔を赤くしてイヤイヤと首を振る。


「古志加。」


 と三虎が半目になり怖い顔になるが、


「ま、待って……、時間を下さい。

 さすがのあたしも恥ずかしいです。」


 と困って言うと、ぴしっと額を指で弾かれた。


「なぁにが恥ずかしい、だ。古流波こるはのくせに。」


 とニヤリと笑いながら三虎が言う。


(あっ、本当、意地悪───!)


 古志加は赤い顔で目をつむり、はあ、と熱いため息をつく。

 言葉の甘さと意地悪さが目まぐるしくて、くらくらする。

 三虎の魅力におぼれて、もう地に足がつかない。

 思考力が奪われる。


(……あたしは、三虎を恋うてる。)


 そう思うと同時に、危機感を覚える。

 きちんと心の奥深いところまで見せてしまわねば、三虎に見透かされる。

 容赦のない三虎は、うっかり、古志加の恋心まで、白日のもとにさらしてしまいかねなかった。


 三虎におみなとしてなんとも思われてないのに───だって誰でも良いからつまを持てって言われた───こんな形で、恋心をさらされるのは、嫌だった。


(よし、言う、言うぞぉ……。)


「あたしは、はじめに頭を岩で殴られて気を失いました。

 後ろをとられるまで気がつかなかった。不覚です。

 意識が戻ったとき、まだ身体の痺れはありましたが、反撃しようとしました。

 手足が自由であれば、素っ裸にされようが、あたしは戦えます。

 だけど、思いもよらぬ母刀自の話をされて……。」


 そこで古志加の身体がガクガクと震えはじめた。

 三虎がしっかりと抱きとめる。


「驚いて、悲しくて、とにかく、身体が全く動かなくなりました。

 そこで初めて、本当に怖くなって、何より、何より嫌だったのは……。」


 涙がしみだしてきた。

 言葉にするのが辛い。

 古志加は泣きながら首をふり、


おみなを奪われる、って思った時に、初めて、あたしの中から、おみならしい声を聞きました。

 今まで自分でも聞いたことのないような声。

 そんな声を、初めて聞かせたのが、あんなおのこだなんて……。

 それが何より、本当に、嫌です。」


 古志加は悲しく涙を落とした。

 

「なんて言った。」

「………。」


 古志加は言葉に詰まる。


「オレに聞かせろ。オレが聞く。」

「なんて口走ったかは、あまり……。

 それに、同じような声は、うまく出せません。」


 本当のことだ。


「いい。覚えてる限りで。」


 困りつつ、古志加は三虎の胸に顔を押しつけ、


「あ……。」


 と声を出してみる。


「いや……。」


 もっと高い声だった気がする。


「やぁ……。」


 もっと細い声だった気がする。


「やぁ……。」


 もっと震える声だった気がする。


「三虎……。」


 たしかにあたしは三虎の名を呼んだ。

 それだけは確かだ。


「バカ野郎……!」


 三虎の胸が震え、腕が震え、声が震えた。


(え?)


 と思って三虎の顔を見上げようとしたら、それより早く、ことんと三虎が古志加の髪の生え際に顔を押しつけた。

 これでは顔が見えない。

 三虎の胸は震え続けて、


「なんでそれで、オレの声が届かねぇの……!

 オレは、オレの名を呼ばせて、魂呼たまよびしようとしたんだぞ……!

 それで失敗した。

 ちゃんと呼べよ、オレの名を。バカ……!」


 三虎の左腕にきつく抱きしめられ、髪の生え際に押しつけられた顔からは、熱い息が、細い温かい涙が。


(……泣いてるの? 三虎。)


「オレ、今回、すげぇ怖かった。間に合わないかと。矢が、それた矢が当たってたら、どうしようかと……。

 魂呼たまよびに失敗するなんて、思いもしなかった……!

 バカ、古志加、バカ。」


 そこで三虎が顔を離し、さっと右手で目もとを拭き、すん、と鼻をすすった。


(あれ? 右肩怪我してるから、右腕使っちゃ痛いんじゃ……。)


 もう胸は震えていない。

 でも目は赤く、頬も鼻も赤い。


(泣き顔……。)


 表情はいつものムッとした不機嫌顔だ。


(三虎の泣き顔……。)


 今見てるものが信じられず、古志加は頬を染め、口を緩く開け、三虎の顔をまじまじと見てしまう。

 自分の心臓しんのぞうが、とくん、とくん、と脈打っている。


 心が……温かい。


 三虎も古志加をじっと見つめた。


「間に合って良かった。いや、違う。

 うらぶれしたままじゃダメだ。

 ちゃんと、元に戻す。」


 表情はいつもの不機嫌顔だけど、見つめあうと、目の奥に……、揺らめく熱を感じる。

 その熱はなんだろう。

 古志加にはつかめそうで、掴みきれない。

 はあ、と息を吸い込みながら、ゆっくり三虎の顔に顔を近づけるが、三虎がちょっと顔を引いて、


「あとやっぱ、オレ、無理だぁ──。

 どうしてもバカって言っちまう……!」


 と苦々しげに目をつむって首をふった。さらに、


「怖くしないのも無理……!」


 そう言って、くわっと目を見開いた。


(そ、そんなに無理……?)






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