心のひだ魂の深く、其の三

 三虎の無表情な顔が近い。

 古志加こじかは思わず、三虎の顔に静かに見入ってしまう。


「顔を見せてみろ。」


 じっと古志加の額を三虎は見つめ、そっと、もう瘡蓋かさぶたになった額の傷に指で触れた。


「傷つけるつもりでは……。」


 とつぶやき、


「いや、土師器はじきを投げつけておいて、言うことじゃないな。」


 とため息をついた。

 その言葉が、古志加の喉奥の体の内側を、白絹がサラサラと触れていくように、なで上げていった。


「あたし、平気です。親父が土師器を投げつけてくるなんて、しょっちゅうでした。」


 と古志加は顔をぐっと歪めながら言い、すぐ顔の力を抜いて、


「でも三虎の投げた土師器だったから、避けられたけど、避けなかったんです。見事に額の真ん中に命中しましたよ。」


 と言った。

 すこし口もとに笑みをくこともできた。


「はは……。強いな。オレはおまえの、そういう強いところが好きだ。」


 と三虎は口もとに軽い笑みを浮かべて言った。


(えっ!)


 古志加は目を見開き、息をつめた。


(今、なんて……。)


 いきなり心臓しんのぞうがばくばくしはじめた。


「花麻呂も、そういうところに惹かれるのかもな。

 オレは今回、花麻呂に助けられた。

 あと、しかられたぞ。

 古志加をやぐらで必死に守ったのに、そんなに簡単に傷つけられちゃたまりません、ってな。」

「ひぇ……。」


 驚きのあまり、心臓しんのぞうのばくばくが引っ込んだ。


(花麻呂、三虎にそんなこと言ったの……?!)


 あたしなら、きっと言えない。


「花麻呂はいいヤツだな。古志加。

 やぐらではどうだったんだ。話してみろ。」


 軽い笑みのまま、三虎が言う。


「はい、花麻呂がまず、伏せろって、

 嚆矢こうしやからあたしをしゃがませて、守ってくれました。

 あたしはすぐやぐらかねを鳴らして、火矢が飛んできました。

 花麻呂はいくつかを消して、水をあたしにかけて、あたしのそばに水桶を一つ置いてくれました。

 賊が六人はしごから上がってきて、花麻呂が一人で全員倒しました。

 そこで燃え落ちた天井の木が、花麻呂に当たって倒れたので、あたしは鐘をつくのをやめ、花麻呂に水をかけ、花麻呂の身体を紐でしばって、櫓から降りました。」


 そこで古志加は口を閉じ、口を湿らせ、


「おかげで、櫓ではあたしは無傷です。花麻呂に、うんと褒賞ほうしょう弾んで下さい……!」


 フン、と鼻息荒く言った。


「はは……。」


 とうとう三虎は大きな声で愉快そうに笑った。


「うんうん。大川さまによく伝える。

 期待してろ。」


 と古志加の頭を左手でグリグリなでた。

 その力は優しいものだったが、


「つっ!」


 古志加は痛みで顔をしかめた。

 頭には、あのおのこ知怒麻呂ちぬまろに岩で殴られたたんこぶがある。

 三虎はすぐ手を引っ込め、


「おまえ、ボロボロだなぁ。」


 とあきれ、ひょいと首を動かし、


 古志加の額の傷に、軽く口づけをした。


「あっ!」


 と古志加は息を呑み、真っ赤になり、口もとをふるわせながら、右手で額を押さえ、


「い、い、い、今の……!」


 と言ったが、


「今のは良い。なにせ、今のおまえは、オレにとっては古流波こるはだからな!」


 と三虎が意地悪くニヤリと笑った。

 古志加は、うう、と泣きそうになる。


(ずるい……!)


 ずるすぎる。胸の鼓動の早鐘が止まらない。

 一瞬の、優しい口づけ……。

 唇の触れたあとが熱い。

 あたしは三虎を恋うてる……。


「やっぱ、古流波なら、こっちだな。」


 と三虎が、もっと下に下がれ、と手で合図する。

 素直に従い、顔が三虎の肩より下のところに自分の寝そべる身体をずらすと、


「わ!」


 三虎の左手に抱きとめられた。

 顔が三虎の胸に埋まる。

 今日は、浅香あさこうの匂いより、傷口の薬草の匂いの方が勝っている……。


「今夜は、朝までこうしといてやる。

 どんな夢を見ようとも、オレが必ず夢から引き上げる。

 どんなに魂を散り散りにしようとも、オレが必ずうつつにおまえを引き留める。

 お前をどこにも行かさない。

 だから安心しろ。

 安心して……、オレに全部話せ。」


 と固く古志加を抱きしめながら、三虎は言った。

 古志加は身体を硬直させる。


(話せって、何を……?!)


「おまえは強い、古志加。

 おのこに襲われ、どんなにか怖かったろう。

 嫌な思いもしたろうが、まだ体は清いはずだ。

 それで魂を散らすほど傷つくとは、オレの中のお前の姿と一致しない。

 何があった。何かがあったな。話せ。」


 三虎は揺るぎなく言うが、古志加は三虎の腕の中で、ガタガタと震え始めてしまう。


「古志加。」


 怖い。

 思い出すのも、形にして口に出すのも怖い。

 なのにずっと、古志加の心の中に重くあり、出て行ってくれないもの。


「うっ……!」


 震え、涙がせりあがり、顔を強く三虎の胸に押し付けてしまう。

 三虎は無言で待っている。


「三虎。さっきの、もう一度、言って下さい。強いって。」


 古志加は声を絞り出す。


「おまえは強い。古志加。」


 三虎はこたえてくれる。


「その、もうちょっと前……。あたしの、そういう強いところが、って。」


 震えつつ、三虎にお願いする。


「オレはおまえの、そういう強いところが好きだ。」


 三虎は低い声でささやく。


「ふぅぅ……。」


 古志加は目を閉じ、心から湧き上がってくる熱いため息をもらす。



 あたしに勇気を。






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