心のひだ魂の深く、其の二

 古志加こじかは、三虎の部屋の倚子に座らされた。

 三虎も、ムッと不機嫌そうな顔で、机を挟んで倚子に座り、左手で頬杖をついた。

 

「オレの顔は怖いか、古志加こじか。」


(そんなこと……。)


 古志加はくすりと笑った。

 怖いといえば怖い。

 いつも不機嫌そうなムッとした顔か、無表情だ。

 だが、たまに見せる笑顔が、すさまじく魅力的だ。

 それが三虎だ。


(そしてあたしは、その不機嫌そうな顔も、笑顔も、恋いしかった。)


 目線を下に、物思いに沈んでしまう。


 (恋いしくても、あたしはそれを口にすることはない……。)


 恋いしいと伝えたい気持ちも、今は、がらんとした古志加の身の内から失くなってしまった。

 このように人は、あったはずの感情を失くしながら、黄泉に旅立つ準備をするのだろうか……?



 三虎がため息をついたので、古志加は目線をあげた。


(いけない。無言になってしまった……。)


「その傷、すまなかったな。」


 三虎が謝る。

 古志加は目をさまよわせる。


(何だっけ……。)


土師器はじきを投げつけたのは、やりすぎた。」


 古志加は右手で額を触った。


(そうだった。)


 ……何も感じない。


 三虎は謝った。返事をせねば。


「はい。」


 返事をする。


「誰かをつまとしろ、と言ったのも無し。おまえの好きにしていい。」


 ……何も感じない。


「はい。」


 返事をした。


卯団うのだんを出てけと言ったのも、秋間郷あきまのさとに送ると言ったのも無し。卯団にいていい。」


 ……何も感じない。


「はい。」


 返事をした。

 三虎はため息をつき、頬杖をはずして、左手の指先でトントンと机をたたいた。

 そして倚子を立ち、唐櫃からひつをあさり、艶のある黒い釉薬のかかった壺をとりだし、トンと机の上に置いた。

 フタを外すと、沢山のくるみが入っていた。

 あのくるみだ。

 蜂蜜と桂皮(けいひ)の匂いもする。


「おまえ、これ好きだったろ。」


 と三虎がすすめてくれる。

 古志加は壺を見つめるだけで、動かない。


(……このくるみと同じくるみを。

 朱色の麻袋に入れて胸に抱き、母刀自ははとじは今もあの墓に眠っている。

 首にはまざまざと締められた跡が……。)


「ほら。」


 三虎は一つ、くるみをとり、古志加の口に入れた。コリ、とくるみを食べながら、


 ……丙午ひのえうまの年(766年、7年前)……。


(このくるみを口に入れられ、三虎に助けられなければ、あたしは雪道で行き倒れ、死んでいた。

 叶わぬ恋に苦しみ。

 怖い夢と憎しみにもがく、今のような思いをせずに、黄泉でもっと早く、母刀自に会えていた。)


 たまらず、涙が一粒、無表情な古志加の頬を伝った。


「泣くな、バ……!」


 バカと言いかけた三虎が言葉を呑み込んだ。


「ふ。」


 古志加は鼻から大きく息を吸い、涙を止める。

 それ以上泣かない。


「あたし、ちゃんと言うことききます。」


 これでも、時々、三虎の言うことをきかないのは、悪いとは思っているのだ。


(でもあたしは、きけないと思ったことは、きけない。

 自分でもそこは変えられない。

 だから、その他のことは、ちゃんと言うことをきこう。)


「お。」


 三虎がニヤリと笑う。


「じゃあ、こっち。」


 そう言って倚子を立った三虎は、部屋奥の寝床の方へゆっくり歩き、左肩を下に寝床に寝そべり、寝床に古志加の寝れる空きを作り、左手でポンポンと、ここに来い、という仕草をした。

 古志加はくるみの壺にフタをし、倚子から立ち上がり、だが寝床のそばに来て、流石に躊躇ちゅうちょする。

 ふっと笑った三虎は、真剣に古志加を見た。


「オレとて、七年前、わらはだったおまえと寝た夜を、忘れたわけではない。

 今だけは、あの頃のように。

 古志加、望むなら、今だけは、古流波こるはと呼ぶ。」


 その言葉は、古志加のなかに熱を生んだ。


 三虎は、幼い古志加をおみなと気付かず、一緒に寝ワラで寝ていたのが、よっぽど恥ずかしかったのだろう、あの頃のことを口にしたことは、今までなかった。


 古志加は、頬に熱があがってくるのを感じながら、


「古志加でいい。」


 と告げ、左肩をなるべく動かさないよう、三虎の隣に寝そべった。

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