心のひだ魂の深く、其の一

 怖い、怖い夢を繰り返し見る。


 昨日は泣き、恐ろしい叫び声をあげ、何回も起きた。


古志加こじか!」


 と福益売ふくますめも泣きながら、一晩中、あたしの名を呼び、抱きしめてくれた。他の女官も。

 皆には、本当に迷惑をかけて申しわけない。


 でもあと、一日か二日。


 あたしはそう踏んでいる。

 あんな夢を見続けては、魂がもうたない。

 散り散りになり、体は生きていても、魂は体を離れてしまうだろう。

 三虎に魂呼たまよびをお願いした。

 三虎は成功させるだろう。

 なにせ、三虎だ。

 でも……。


 それでも、一日か二日。


 なぜなら、生きながらえて、あたしに何が残るだろう?


 この恋は、恋うても恋うても、届かない。


 三虎は、あたしを恋うてない。

 はっきりと、母刀自ははとじの墓の前でわかった。

 阿古麻呂が、恋うてる相手ならどうするのかを、教えてくれた。


 いや、もっと前から……。

 あたしは、本当はわかっていた。


 恋うてもいないあたしを、慰めるために、無造作に抱きしめる人。

 三虎は優しくて、冷たい。

 それでも、あたしは、三虎に恋することをやめられない。

 もう、苦しい。

 生きながらえるより、今のあたしは、もっとしたいことがある。



 母刀自ははとじに会いたい。

 母刀自の手を握り、抱きしめあい、泣きあいたい。

 母刀自を助けられなかった許しをい、一緒に泣くのだ。

 母刀自に会いたい……。


 だから、一日か二日。


 あとそれぐらいすれば、あたしの魂も黄泉に行ける。

 怖い夢を見るのは、本当に嫌だけど、黄泉で早く、母刀自に会いたい。

 もう、秋間郷あきまのさとに送られようが、酉団とりのだんだろうが、あたしには大差ない。




     *   *   *




 巳の刻。(午前9〜11時)

 

 三虎は額から手を離すと、険しい顔で花麻呂を見、


「ダメ。」


 と一言、言った。

 花麻呂は無言で肩をすくめ、じゃあどうするんです? というような顔で三虎を見た。


 三虎は阿古麻呂あこまろの方もにらみつけ、


「ダメ。」


 と一言、言った。

 阿古麻呂は不愉快そうに三虎を睨み返してきたが、三虎はとりあわない。


「オレは、オレの部屋に移る。今日の分を、今済ませてくれ。」


 と医者に治療の催促をする。


「古志加の魂呼たまよびはオレ。他の誰にもさせない。何も言うな。以上。」


 そうイライラと言うと、向こうをむいた花麻呂が小声でぼそっと、


「やれやれ。」


 と言った。


(今、おまえ、やれやれ、って言ったかあ!)


 と三虎は歯をむいて、無言で花麻呂を睨みつけた。




    *   *  *





 昼餉をすませた、未の刻。(午後1〜3時)


 日佐留売ひさるめの部屋に三虎があらわれた。

 まだ右肩の傷が痛むのだろう。

 動きがゆっくりだ。


布多未ふたみは帰りましたか。」


 と三虎は日佐留売に問う。


「え? ああ……。古志加を連れてきてくれて、すぐ帰りましたよ。

 もしかしたら、また来るって言ってたけど……。」


 と言ったら、三虎がギリ、と唇を噛み締めた。


(あら? 喧嘩でもしてるの……?)


 日佐留売は首をかしげる。

 三虎は、難隠人ななひとさまと貝あわせをして、はかなげに微笑んでいる古志加を見て、


「オレは医務室からオレの部屋に移りました。すぐ、古志加を連れて行きます。」


 ときっぱりと言った。

 日佐留売は戸惑う。


「ええ? あなた、まだ怪我がひどいんじゃないの? あと、古志加を……。」

「大丈夫です。今夜はオレが古志加の魂呼たまよびをします。」


 三虎はキリリとした顔で言い、その後、日佐留売を見て顔をしかめた。


「オレも古志加も怪我してる。変なことはしませんよ。」


 おや。つい顔がニヤニヤと笑ってしまっていたようだ。


「ん。」


 日佐留売は軽く咳払いをし、ニッコリと笑った。


「あたしは今回、古志加に命を助けられました。助けてくれたのは、衛士団の皆もだけど……。

 必ず、古志加を救ってちょうだい。」

「もちろんです。」

「古志加、貝あわせはそこまでにして、三虎の部屋へ。」


 古志加は貝から顔をあげ、ふわふわした笑顔で日佐留売を見た。


「三虎の部屋へ? 夜まで?」

「そうよ。」


 と日佐留売が答えると、貝あわせを片付け、


「難隠人さま……。」


 と古志加は笑いながら、難隠人さまにむけて膝立ちになり、両腕を広げた。

 求めに応じて、難隠人さまは古志加に歩き、古志加の両腕に抱かれた。

 古志加はしっかり長い時間かけて、難隠人さまを抱きしめたあと、立ち上がり、浄足きよたりの頭を撫で、


「日佐留売……。」


 と日佐留売を、やはりはかなげな笑顔で、しっかりと抱きしめた。

 日佐留売は、胸に不安がこみあげた。

 いつもと違いすぎて、こんな古志加は見てられない。



 無言で古志加を見つめる三虎に、難隠人さまが、ててっ、と駆け寄り、


「えいっ。」


 三虎の足を蹴り飛ばした。浄足きよたりが近くで、


「はわわ。」


 とオロオロする。

 三虎は無言でジロリと難隠人さまを見下ろす。


(顔! 顔が怖いわ、三虎……。)


「古志加は今、弱ってるから、優しくしてやれ! 三虎は顔が怖い。態度も怖い!」


 難隠人さまが三虎を指差しながら言い切った。

 三虎の眉がピクリと動き、ついでその場にしゃがみこんでしまった。

 はあ、と下を向き、難隠人さまにむけ、上げた顔は、微笑していた。


「わかった。ありがとう。」


 と、しゃがんだまま、無造作に左手を伸ばし、難隠人さまの頭を撫でた。

 殴られるかと一瞬身構えた難隠人さまは、肩から力を抜き、ちょっと照れて、


「おう。」


 と言った。



 古志加が福益売ふくますめの手を、きゅっと握って離さない。日佐留売は、


「福益売、送ってあげて。」


 と三虎と古志加と福益売を、部屋から見送った。




    *   *   *




 古志加は無言で福益売と手を繋いで、簀子すのこ(廊下)を歩き、三虎の部屋の前で、


「福益売……。」


 と福益売を抱きしめた。

 ずっと、長い時間をかけて、抱きしめた……。





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