秘密の吾妹子、其の一

 古志加こじかを抱き上げた布多未ふたみに、日佐留売ひさるめが鋭く声をあげた。


「布多未! その子は三虎を……!」

「姉上。三虎が悪い。」


 日佐留売に最後まで言わせず、布多未はピシャリと言う。


「三虎がさっさと吾妹子あぎもこにしていれば、こいつはここまでになってなかった。

 オレはちゃんと三虎に機会は与えたぜ?」


 本当だ。


「おすすめしねぇぜ?」


 とちゃんと言ってやった。

 日佐留売もぐっと言葉につまる。


「大丈夫だ、姉上。オレの強さは知ってるだろ? 魂呼たまよびなんて一発だぜ。楽勝。」


 そう笑ってみせると、日佐留売は真剣な顔で、


「ちゃんと、頼みますよ、布多未。」


 と布多未を見送った。

 ぼんやりとされるがままの古志加を抱き、日佐留売の部屋をあとにする。




     *   *   *




 布多未にはいもがいる。

 鏡売かがみめ

 ちゃんと愛し、大事にしている。

 ではそれで、他のおみなに全く目が向かないか、というと、ほぼ目が向かない、が正解だ。

 時々はそういう衝動もある。

 だが、鏡売を泣かすことはしない。

 それゆえ、吾妹子あぎもこ(愛人)は作ってこなかった。

 父の八十敷やそしきは、吾妹子あぎもこを作らず、母刀自ははとじ鎌売かまめ一筋で、幸せそうに笑っている。

 オレもおみなに関しては同じ道を歩きながら。

 ……だが、父とは違う。




 久しぶりに、そそられるおみなに会った。

 目の輝きが強く。

 剣の腕も強く。

 おのこ相手に一歩も引かず。

 まあ顔の作りも良いのだが、そんな事より、剣で仕合ってる時、紅潮した頬で笑顔を浮かべ斬りこんでくる姿が、信じられないくらい色っぽい。


 こんな女は、上野国かみつけのくにどこを探してもいない。


 だが、三虎に恋してると、姉に事前に釘を刺されてもいるし、すすんで吾妹子あぎもこを作ろうとも思わなかった。


(少々惜しいな。三虎もバカなヤツ……。)


 と思っていたら、とことん三虎がバカだった。





 そして今、古志加はふわふわした表情で、布多未の部屋に立っている。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷のなかの、布多未の部屋だ。

 上毛野君の屋敷の外の、鏡売がいる石上部君いそのかみべのきみの屋敷とは別。


 あたりには薄く、布の防虫のための、すっきりとしたくすのきの香りが漂う。

 布多未は香りにこだわらない。

 机、倚子、唐櫃からひつ二階棚にかいだな、寝床は、黒檀こくたん

 黒揃えが布多未は落ち着く。

 だが、細工は凝ったものではない。

 家具に布多未はこだわらない。


 今、身支度を整える鏡立かがみたて(人の背丈の高さの木に、鏡をたてかけたもの。)には、布がかけられ、その隣の二階棚にかいだな(背の低い棚)の上にも、布がかけられている。

 布の下には、鳥、馬、兎、ねずみをそれぞれかたどった、少々不格好な、だが心のこもった、可愛らしい土の焼き物と、姉上の部屋に行く前に外した、男物の、華美ではない、翡翠ひすいかんざしがある。

 その翡翠の姉妹石しまいせきは、細工の良い女物のかんざしとなっている。

 布をかけておく必要があった。


(姉上は、オレがかんざしを外していた事に、気がついたろうか?)


 姉上にどう思われても別にかまわない、と思うのに、どうでも良い細かいことが、なぜか気になってしまう。


 この部屋で贅沢なものといえば、ねやに張られたとばりだ。

 壁際に設置した寝床に四本の柱を立て、白く薄いしゃを柱の上から床まで垂らし、寝床全体をしゃで覆っていて、風が吹けばサラサラと優しく揺れる。

 集中して良く眠れるようにだ。


()良い眠りは身体のために必要だからな……!)


 部屋に入ってすぐ、目立つ一角には、広瀬ひろせさまからたまわった宝剣が飾ってある。

 つか夜光貝やこうがいめ込んだ、立派なものだ。

 

 古志加はこの部屋で布多未の腕から降ろされ、床に立った時は、部屋をふっと見回したが、そのあとはどこを見るというわけでもなく、一言も喋らない。

 ずっと黙っている。

 衛士だったら、誰でも目を輝かせ、興味津々になるであろう、立派な剣も、まったく興味を示さない。

 本当にうらぶれしかかっている。


 布多未は、古志加の、両頬を青あざで腫らした、だが元の作りは良い、若い瑞々みずみずしさに満ちた顔を眺め、


(まあ、こうなるよなぁ……。)


 と思う。

 これは魂呼たまよび。人助け。

 鏡売かがみめにばれたらどうしよう、と思いつつ、布多未は止まらない。




 本当に古志加は酉団とりのだんに移そうと思っている。

 時々布多未が稽古してやれば、もっと剣の腕を伸ばせる。


(それには、元のしゃんとした古志加に、早く戻さんといかんな。

 ……一発!)


 布多未は素早い動きで、隙だらけの古志加の唇を、さっ、と盗んだ。








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