第四話

 古志加こじかを襲い、三虎の矢で絶命したおのこは、今回、上毛野君かみつけののきみの屋敷を襲撃した賊の首領だったと、賊の生き残りが証言した。

 名は知怒麻呂ちぬまろ

 流れ者で、陸奥国みちのくのくにから来たと言っていたらしい。

 それ以外は、生き残りの誰も知らぬ。




    *   *   *




 古志加はその後、丸一日寝込んだ。


 衛士団全員で、賊に燃やされたところの修理と、塀の点検を行い、卯団うのだんの衛士舎近くに、木が腐ったあとを利用して巧妙に塀の抜け穴が作られていたところを発見した。

 即刻、穴は塞いだ。



 あと、医務室に日佐留売ひさるめがやって来て、


「三虎、勝手に古志加を秋間郷あきまのさとに送るなんて、許しません。

 あの子は難隠人ななひとさまの、お気に入りでもあるんですよ。

 それと、あの子の望まない婚姻は、あたしがさせません。

 絶対、絶対、絶対よ!!」


 と息巻いて帰って行った。


(オレは怪我人だが……。)


 と思ったが、かえって良かったのかもしれない。

 怪我がなかったら、あの姉の剣幕だと、頬をはられるか、つねられるか、何をされたかわかったものじゃない……!



 花麻呂には、


「おまえの虫の知らせで助かった。

 だがすまない……。

 オレは魂呼たまよびに失敗した。」


 と素直に伝えた。


「良かったですよ。

 オレの虫の知らせは、なかなかのもので、もし三虎が行ってくれなかったら、オレは腹を壊して、今頃、かわやで黄泉行きでしたよ。」


 と花麻呂が爽やかに笑うので、思わず三虎もつられて笑って、


「そいつは相当だな。」


 と言ってしまった。

 なぜか花麻呂は顔をそらした。




    *   *   *





 翌日、巳の刻。(午前9〜11時)


 古志加は福益売ふくますめとなぜか手を繋いで、布多未ふたみと一緒に医務室に来た。

 古志加は三虎の寝台のそばの、簡易な倚子に座る。

 福益売の手を離さない。

 目が覚めて良かった、と思ったが、表情がどこか、ふわふわしている。

 自信なさげに目を伏せ、隣に立つ福益売にそっと身をすりよせている。


 女官姿で、髪も女官の髪型──左右の頭の上で美豆良みずらを二つ結い、左右の肩につく髪も、二つ、丸く縛る───に結い上げていたが、口もとは傷があり、両頬は青あざで腫れ上がり、額には……、オレがつけた土師器はじきの傷跡があった。


 だが三虎が何か言う前に、古志加が何か言う前に、布多未が口火を切った。


「古志加は衛士をやめさせねぇぜ。

 おまえは見てないが、今回の賊の退治でも、良い働きぶりだった。

 卯団うのだんを出すってんなら、酉団とりのだんで引き受ける。」


 高らかに布多未は言い、寝台で上半身を起こす三虎に、すっと近寄り、耳打ちした。


「でも、おすすめしねぇぜ?

 古志加の身をどうしようと、文句は言うなよ。

 おまえに言ったことはないが、オレは親父とは違う。」


 それだけ言い、布多未は三虎から離れ、ニヤッと笑った。


(……なんだそれは。)


 三虎は思いきり顔をしかめる。

 だが三虎が何か言おうと口を開く前に、古志加が細い声で、


「三虎、それより、あたし、もうたない。

 怖い夢を見るの。

 今朝は福益売があたしの名を呼んでくれたけど、もう今夜寝たら、明日起きられるか自信がない。

 秋間郷あきまのさとに行くも、酉団とりのだんに行くも、……もう魂がちそうにないの。

 体にとどめておけない。

 今夜一緒に寝て。魂呼たまよびをして。」


 と言った。

 まわりで聞いていた怪我人がざわざわとし、


「そんなことしたら……!」


 と三虎は目をいた。

 当然、福益売ふくますめが止めるはずだ。

 と思って古志加のかたわらの福益売を見るが、止めない。

 福益売は目の下にくまを作り、目にいっぱいの涙をためて、何も言わず、悲しそうにこちらを見てる。

 ……相当、古志加は、酷いうなされかたをしたんだろう。

 この女官に、明日の魂呼びの自信を無くさせるほどの。


(オレが魂呼びに失敗したせいだ。)


 それを思うと胸が痛んだ。

 だが……、一緒に寝るとは。

 三虎が逡巡しゅんじゅんしていると、布多未が、


「いいぜ! オレのところに来いよ。

 オレは強いから、魂呼たまよびなんて一発だぜ。

 古志加よ。

 オレはもとの元気なおまえの方が好きだなあ。」


 とあっけらかんと言い、


「もとに戻して、この前の続き、やろうぜ?

 また腰砕けにしてやるよ。」


 と言い、古志加に向けてバチンと片目をつむった。


(オイ! どういう意味だ!)


 とまたまた三虎は目を剥き、古志加はさっと顔を赤らめ、困ったように口もとをすぼめたが、すっと席を立ち、布多未の方に手を伸ばし、歩き出した。


「お……。」


 と三虎は声をだしたが、それにかぶせるように花麻呂が大きな声で、


「古志加! こっち! 魂呼びならオレがしてやる。

 こっちに来い!」


 とイライラしながら言った。

 古志加は向きを変え、花麻呂の方に手を伸ばし、歩き出す。


「待……。」


 と三虎は言いかけたが、それにかぶせるように、見舞いに来ていた阿古麻呂あこまろが、


「古志加! 花麻呂は怪我してる。

 オレの方が元気。オレの方においで。

 大丈夫、ちゃんと魂呼びしてあげる。」


 と言ったものだから、古志加はちょっと首をかしげ、阿古麻呂の方を見、阿古麻呂の方におずおずと歩き出す。


「バカ───ッ!

 おまえは誰でも良いのかあ!」


 とうとう三虎が大声で叫んだ。

 古志加がひっ、と肩をすくめ、泣き出しそうな顔で三虎を見て、


「ああ……!」


 すぐに細い声をあげて泣き出した。

 力なく、顔に手をあて、泣きじゃくる。

 力のないわらはか、か弱いおみな

 そうとしか見えない。

 いつもの気の強さも、衛士としての凛々しさもがれ落ち、そこにいるのは、傷つき、心細さに震える女……。


 花麻呂と阿古麻呂が戸惑い、顔を見合わせている。

 当然だ。

 二人とも、この古志加を見たことはない。

 明るく元気で、何事にもめげない古志加の、隠された内側の顔。

 これも古志加自身だ。


 オレは知っている。

 でもこれは、卯団に拾ってきてから見せていた、下人げにんとして立ち働く古志加の顔とも、違う気がする。

 キョロキョロと自信なさげにまわりを見ながら、勤倹力行きんけんりっこうし働き、時々、明るく笑っていた……。

 では、夜、悪夢にうなされていた古志加?

 たしかに夢の恐ろしさに絶叫していたが、ここまでふわふわとはしていなかった。

 違う。

 ではどこ、上野国かみつけののくにに置いて行くと言った時の顔、

 卯団の衛士舎えじしゃから姉のところへ移されると聞き、


「捨てないで!」


 と泣いた顔……。

 いろいろな古志加の顔を思い出し、やっと一つの顔に思い当たる。

 初めて会った日。

 古志加の母刀自ははとじがもう死んでると、教えてやった時の古志加。

 あれと同じだ……。


(やはり、うらぶれしかかっている。)


 そこまで短い時間で思いを巡らせ、胸にこみあげる苦さを感じていると、


「お、大声を出さないで下さいまし!

 お願い、今のこの子は、もう、もう……。」


 と涙声で福益売が言い、


「古志加、いらっしゃい。日佐留売のところに行きますよ。」


 と福益売が古志加に手を差し伸べた。

 古志加は、とととと、と福益売に歩き、手を握り、


「ふえ……。」


 とまだ弱く泣きながら、福益売に身を擦り寄せようとする。

 福益売は古志加に寄り添い、涙をにじませながら三虎を見て、


「もう、もう、頼みません。この子は女官部屋の皆で面倒を見ます。でも……、でも……。」


 そこで福益売は苦しそうに言葉を切り、皆を見て、


「もし、ちゃんとこの子を救えると思う方がいらっしゃるなら、あたし達は日佐留売の部屋にいます。」


 としっかり言った。

 そして、すう、はあ、と一つ息をして、感情の昂ぶりを落ち着けてから、礼の姿勢をとった。


「皆様。たたら濃き日をや(良き日を)。さ、歩くわよ、古志加……。」


 福益売は優しく古志加を促した。古志加は泣き止んでうなずいた。

 布多未が気軽に、


「福益売、大変だろ。送ってく。」


 と言い、ひょいと古志加を両腕で抱き上げた。

 わっ、とまわりがざわめくが、古志加はどこかぼんやりとした表情で布多未を見上げ、大人しく布多未の胸にことんと頭をくっつけた。

 されるがまま、目はどこも見ていない。


 三虎をもう見ようともしない……。


 布多未は三虎の方を見て、バチンと片目をつむり、


「たたら濃き日をや。」


 颯爽さっそうと古志加を腕に抱き、部屋を出て行った。


「……!」


 三虎は無言で目を閉じ、己の額にバシリと手を当てた。己の胸に、

 苦さ、

 無力さ、

 あさましさ、

 焦燥感が、

 次々と飛来し、

 己の心を表現しきることができない。









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