第四話
名は
流れ者で、
それ以外は、生き残りの誰も知らぬ。
* * *
古志加はその後、丸一日寝込んだ。
衛士団全員で、賊に燃やされたところの修理と、塀の点検を行い、
即刻、穴は塞いだ。
あと、医務室に
「三虎、勝手に古志加を
あの子は
それと、あの子の望まない婚姻は、あたしがさせません。
絶対、絶対、絶対よ!!」
と息巻いて帰って行った。
(オレは怪我人だが……。)
と思ったが、かえって良かったのかもしれない。
怪我がなかったら、あの姉の剣幕だと、頬をはられるか、つねられるか、何をされたかわかったものじゃない……!
花麻呂には、
「おまえの虫の知らせで助かった。
だがすまない……。
オレは
と素直に伝えた。
「良かったですよ。
オレの虫の知らせは、なかなかのもので、もし三虎が行ってくれなかったら、オレは腹を壊して、今頃、
と花麻呂が爽やかに笑うので、思わず三虎もつられて笑って、
「そいつは相当だな。」
と言ってしまった。
なぜか花麻呂は顔をそらした。
* * *
翌日、巳の刻。(午前9〜11時)
古志加は
古志加は三虎の寝台のそばの、簡易な倚子に座る。
福益売の手を離さない。
目が覚めて良かった、と思ったが、表情がどこか、ふわふわしている。
自信なさげに目を伏せ、隣に立つ福益売にそっと身をすりよせている。
女官姿で、髪も女官の髪型──左右の頭の上で
だが三虎が何か言う前に、古志加が何か言う前に、布多未が口火を切った。
「古志加は衛士をやめさせねぇぜ。
おまえは見てないが、今回の賊の退治でも、良い働きぶりだった。
高らかに布多未は言い、寝台で上半身を起こす三虎に、すっと近寄り、耳打ちした。
「でも、おすすめしねぇぜ?
古志加の身をどうしようと、文句は言うなよ。
おまえに言ったことはないが、オレは親父とは違う。」
それだけ言い、布多未は三虎から離れ、ニヤッと笑った。
(……なんだそれは。)
三虎は思いきり顔をしかめる。
だが三虎が何か言おうと口を開く前に、古志加が細い声で、
「三虎、それより、あたし、もう
怖い夢を見るの。
今朝は福益売があたしの名を呼んでくれたけど、もう今夜寝たら、明日起きられるか自信がない。
体に
今夜一緒に寝て。
と言った。
まわりで聞いていた怪我人がざわざわとし、
「そんなことしたら……!」
と三虎は目を
当然、
と思って古志加のかたわらの福益売を見るが、止めない。
福益売は目の下にくまを作り、目にいっぱいの涙をためて、何も言わず、悲しそうにこちらを見てる。
……相当、古志加は、酷いうなされかたをしたんだろう。
この女官に、明日の魂呼びの自信を無くさせるほどの。
(オレが魂呼びに失敗したせいだ。)
それを思うと胸が痛んだ。
だが……、一緒に寝るとは。
三虎が
「いいぜ! オレのところに来いよ。
オレは強いから、
古志加よ。
オレはもとの元気なおまえの方が好きだなあ。」
とあっけらかんと言い、
「もとに戻して、この前の続き、やろうぜ?
また腰砕けにしてやるよ。」
と言い、古志加に向けてバチンと片目をつむった。
(オイ! どういう意味だ!)
とまたまた三虎は目を剥き、古志加はさっと顔を赤らめ、困ったように口もとをすぼめたが、すっと席を立ち、布多未の方に手を伸ばし、歩き出した。
「お……。」
と三虎は声をだしたが、それにかぶせるように花麻呂が大きな声で、
「古志加! こっち! 魂呼びならオレがしてやる。
こっちに来い!」
とイライラしながら言った。
古志加は向きを変え、花麻呂の方に手を伸ばし、歩き出す。
「待……。」
と三虎は言いかけたが、それにかぶせるように、見舞いに来ていた
「古志加! 花麻呂は怪我してる。
オレの方が元気。オレの方においで。
大丈夫、ちゃんと魂呼びしてあげる。」
と言ったものだから、古志加はちょっと首をかしげ、阿古麻呂の方を見、阿古麻呂の方におずおずと歩き出す。
「バカ───ッ!
おまえは誰でも良いのかあ!」
とうとう三虎が大声で叫んだ。
古志加がひっ、と肩をすくめ、泣き出しそうな顔で三虎を見て、
「ああ……!」
すぐに細い声をあげて泣き出した。
力なく、顔に手をあて、泣きじゃくる。
力のない
そうとしか見えない。
いつもの気の強さも、衛士としての凛々しさも
花麻呂と阿古麻呂が戸惑い、顔を見合わせている。
当然だ。
二人とも、この古志加を見たことはない。
明るく元気で、何事にもめげない古志加の、隠された内側の顔。
これも古志加自身だ。
オレは知っている。
でもこれは、卯団に拾ってきてから見せていた、
キョロキョロと自信なさげにまわりを見ながら、
では、夜、悪夢にうなされていた古志加?
たしかに夢の恐ろしさに絶叫していたが、ここまでふわふわとはしていなかった。
違う。
ではどこ、
卯団の
「捨てないで!」
と泣いた顔……。
いろいろな古志加の顔を思い出し、やっと一つの顔に思い当たる。
初めて会った日。
古志加の
あれと同じだ……。
(やはり、
そこまで短い時間で思いを巡らせ、胸にこみあげる苦さを感じていると、
「お、大声を出さないで下さいまし!
お願い、今のこの子は、もう、もう……。」
と涙声で福益売が言い、
「古志加、いらっしゃい。日佐留売のところに行きますよ。」
と福益売が古志加に手を差し伸べた。
古志加は、とととと、と福益売に歩き、手を握り、
「ふえ……。」
とまだ弱く泣きながら、福益売に身を擦り寄せようとする。
福益売は古志加に寄り添い、涙をにじませながら三虎を見て、
「もう、もう、頼みません。この子は女官部屋の皆で面倒を見ます。でも……、でも……。」
そこで福益売は苦しそうに言葉を切り、皆を見て、
「もし、ちゃんとこの子を救えると思う方がいらっしゃるなら、あたし達は日佐留売の部屋にいます。」
としっかり言った。
そして、すう、はあ、と一つ息をして、感情の昂ぶりを落ち着けてから、礼の姿勢をとった。
「皆様。たたら濃き日をや(良き日を)。さ、歩くわよ、古志加……。」
福益売は優しく古志加を促した。古志加は泣き止んでうなずいた。
布多未が気軽に、
「福益売、大変だろ。送ってく。」
と言い、ひょいと古志加を両腕で抱き上げた。
わっ、とまわりがざわめくが、古志加はどこかぼんやりとした表情で布多未を見上げ、大人しく布多未の胸にことんと頭をくっつけた。
されるがまま、目はどこも見ていない。
三虎をもう見ようともしない……。
布多未は三虎の方を見て、バチンと片目をつむり、
「たたら濃き日をや。」
「……!」
三虎は無言で目を閉じ、己の額にバシリと手を当てた。己の胸に、
苦さ、
無力さ、
あさましさ、
焦燥感が、
次々と飛来し、
己の心を表現しきることができない。
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