第三話

 おのこの言葉が、透明な刃となり、古志加こじかの喉もとから腹下まで、真っ二つにかっさばいた。

 今あたしはさんざんさばいてきた山鳥のように、ぬらぬらした赤い内臓をさらし、血を噴き上げている、と思った。

 悲しみがあふれ、あふれ、

 全身に力が入らない。


「やぁ……。」


 細く弱々しい声が初めて古志加の口から出た。


 おみならしい声。


 今までに、布多未ふたみに裸を見られ、悲鳴をあげようと、阿古麻呂あこまろから手に口づけされ、変な声をだそうと、それは驚いただけ。

 自分の中から女らしい声を、古志加は聞いたことがない。

 不思議と、三虎をこんなに恋うているのに、自分の中でそれが女らしさに直結しない。

 自分の中の女らしさを、いまだに古志加は探しあぐねていた。

 それがこのような時、このような相手に剥き出しになるとは、なんとも皮肉であった。

 そして悟った。

 反撃できない。

 あたしはこのまま、

 今ここで、

 この男に好きなようにされて、

 女を奪われてしまう。


「やぁ……!」


 涙があふれ、

 馬のように古志加を喰む男に必死に耐えながら、


「三虎──────!!」


 声をかぎりに、命をかぎりに、

 恋しい人の名を呼んだ。

 男が顔をあげ、

 笑いながら何かを言おうとした。


「げふっ。」


 続けざま、二本の矢が飛んできて、

 一本、男の後ろ首に深々と突き刺さり、

 一本、古志加の右肩の上の髪に突き立った。

 男が血を吐き、目から急速に光が失われ、絶命した。

 男の言葉は永久に失われた。

 どさっと古志加の上に男が倒れこんできた。

 背筋に怖気が走ったが、男をどかす気力が出ない。


「古志加! そこか!」


 声がした。

 ただ涙を流し、荒い息をついていると、やがて古志加の上から男がどかされ、身体が軽くなった。


「古志加! 大丈夫か!」


 三虎だ。

 肩上の矢を抜いてくれ、手をとり、立たせてくれる。

 三虎だ……。

 なんとかそれだけを意識でとらえるが、想いの奔流が古志加の内側から溢れでて、


(母刀自……!)


 怖かった。

 前に、藤売ふじめが、


「あたくしのせいで、怖い目にあわせたわね。」


 と言った時、あたしは、


「怖くはありません。」


 とけろりと言った。


(わかってなかった……!)


 藤売が正しい。

 あたしは全然わかってなかった。

 剣があれば。手足が自由なら。

 いくらでも戦える。

 でもそうでなければ。

 おみなはなんと恐ろしい目にあうのだろう。


 あれは、あたしの知ってるおのこと、同じ生き物だったのだろうか?

 卯団うのだんの皆と、古志加の知ってる男と、同じ男という生き物だと思えない。

 男相手に、ここまで怖いと思ったことは、ついぞない。


 阿古麻呂あこまろに強引に口づけされた時も、怖い、と身がすくんだが、あたしは、阿古麻呂はそれ以上はしない、と心のどこかで解っていた……。

 悪意をもって、身体にのしかかられることが、こんなに怖いことだとは。


(母刀自……!)


 なんて怖い思いをして、なんて酷い殺されかたをしたんだろう。

 憎い。

 母刀自を殺した男が。

 母刀自をさらった男が。

 おそらく黄泉に翔け去っているだろう男達を追いかけて、

 魂を、

 何回でも、何千回でも、何万回でも、

 引き裂いてやりたい……!!


 


 悲しみと怖さと憎しみで、

 自分の中の魂にパンとひびが入ったのを、

 古志加は感じた。




    *   *   *




(……はずれか!)


 卯団の畑に来て、古志加の姿が見えなかったとき、三虎はそう思った。


 オレには虫の知らせは働かない……。

 やはり日佐留売ひさるめの部屋か、と踵を返そうとした時、ぐらりと身体がかしぎ、思わず手に持っていた弓を地について、身体を支えてしまった。

 もとどりをほどかれた髪が、

 肩から前にさらりと揺れ、乱れる。


(ちっ……!)


 発熱してる。

 身体がだるく、イヤな汗をかいている。

 身体が休め、休め、と言っている。

 修行が足りん。

 もう古志加の無事が確認できるまで、休むことはできない。

 と足を踏み出そうとすると、


「三虎──────!!」


 と叫ぶ古志加の声が聞こえた。

 いぬい(北西)、桑の木のヤブ。

 あれは古志加の声。オレは聞き間違えない。

 走りより、目をこらし、

 ヤブの中に、おのこの裸の背が見えた。

 矢をつがえ、

 ぐっと唇を引き結ぶ。ビリビリと右肩が痛む。


(……オレは右肩を怪我してる。)


 はずさないか。

 はずれれば、おそらく男の下にいるだろう、見えない古志加に当たるかもしれない。


(……打つ!)


 オレははずさない!


 息を詰め、よく狙い、

 額を流れ落ちる汗を感じながら、

 弓弦を引き絞り、

 二本、速射した。

 矢が風を切って飛び、

 一本、男に当たり、一本、それた。

 男が倒れた。

 修行が足りん。

 走り出し、


「古志加! そこか!」


 返事がない。おかしい。

 たしかに、さっきそこから悲鳴が聞こえた。


(オレのはずした矢が刺さったか!!)


 恐怖でドンドンと心臓しんのぞうが脈打った。

 倒れた男の下に、衣の乱れた古志加が荒い息をついている。

 矢は肩の上、古志加の髪に刺さっていた。


(……危ねえ!)


 生きてきたなかで、これほどのものはない、という程の冷や汗をかきながら、古志加の上の男をどかし、


「古志加! 大丈夫か!」


 と矢を髪から抜いてやる。

 酷い恰好だ。

 胸があらわになり、左肩の傷が出血している。

 下袴は無事、下紐の結び目もかたく、乱れはないが……。


(なんて目に……。)


 と眉根を詰めながら古志加を助け起こす。

 おかしい。

 これだけ呼びかけているのに、返事がない。

 両頬が腫れ、鼻血と、口のはじからも出血している。

 立たせた古志加は目を大きく見開き、はあ、はあ、と荒い息をつき、目の焦点があっていない。

 カタカタと震え、

 握りしめた両手を己の前で強く己に押しつけ、

 ひゅ───っと細く息を吸い、


「きゃああああ!」


 と高い悲鳴をあげた。

 こちらを見ていない。

 どこも見ていない。


「古志加!」


 慌てて三虎は弓をぽいと放り投げ、

 古志加を抱きしめた。


(まずい! うらぶれしかかっている。)


 強く抱きしめ、己が発熱しているせいか、すこし古志加はヒヤリと感じる。


「古志加! しっかりしろ!」


 大声をだし、名を呼ぶ。

 古志加は、三虎の腕の中で、きゃああ、と叫び続け、身悶えする。


「古志加! 気を強く持て!」


 ダメだ。

 何か魂を引き戻すような声がけはないか。


「古志加! ……オレの名を呼んでみろ。

 三虎と呼べ!」


 届け。魂に届け。


「三虎と呼べ! 古志加! オレは三虎だ!」


 叫び続ける古志加を、強く抱きしめ、


(おまえは何回も、オレの名を呼んだ。)


 おそらくは、想いを込めて。

 だから、オレの名を呼べば、そこを糸口に戻ってこれるはずだ。


「古志加! 三虎と呼べ!」


 力を限りに叫ぶが、腕の中の古志加が、ふっと気を失った。


「古志加! おい!」


(ダメか!)


 ……魂呼たまよびに失敗した!


 古志加を揺さぶるが、目を覚まさない。

 これでは、魂が体を離れてしまっているかもしれない。


「ああ、クソ……!」


 悔恨とともに力を失った古志加の身体を抱き寄せ、あらわになった右肩に、己の額を押しつけた。


(……オレの声は届かなかった!)


 当然といえば当然か。

 先ほど卯団を出てけと土師器はじきを額にぶつけたし、誰でもいいからつまにしろと言ったし、奈良に連れて行って、と泣いたのを、すげなく断った。

 どれも……、

 そのたび古志加が深く傷ついていくのを、オレは良くわかってた。

 でも、こんな……。

 己の手から魂がすり抜けていくさまを望んだわけではない!


「必死で古志加を守りましたよ。

 あいつは、ほとんど傷ついてないはずだ。」


 と己は怪我だらけになりながら、堂々と言った花麻呂とは、なんという違いだ……。






 気を失った古志加をなんとか左肩に担ぎ上げて、ずいぶんよろめき、遅い足取りで卯団うのだんの衛士舎へ歩く。


(あっ、これ、右肩の傷、また出血してるなあ……!)


 と感じつつ、なんとか卯団の衛士舎へたどり着くと、予想通り、衛士がもう戻って来ていた。

 荒弓に古志加を渡したところで、三虎も気を失う。








手書きの挿絵↓


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659466930048

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