第四話  烏玉の闇、其の三

 三虎が、肩の上、古志加こじかの髪に刺さった矢を抜いてくれ、手をとり、古志加を草むらから立たせてくれる。


(三虎だ……。)


 なんとかそれだけを意識でとらえるが、


母刀自ははとじ……!)


 想いの奔流が古志加の内側からあふれでる。


(怖かった。

 前に、藤売ふじめが、


───あたくしのせいで、怖い目にあわせたわね。


 と言った時、あたしは、


───怖くはありません。


 とけろりと言った。わかってなかった。藤売が正しい。

 あたしは全然わかってなかった。

 剣があれば。手足が自由なら。

 いくらでも戦える。

 でもそうでなければ。

 おみなはなんと恐ろしい目にあうのだろう。)


 あれは、古志加の知ってるおのこと、同じ生き物だったのだろうか?

 卯団うのだんの皆と、古志加の知ってる男と、同じ男という生き物だと思えない。

 男相手に、ここまで怖いと思ったことは、ついぞない。


 阿古麻呂あこまろに強引に口づけされた時も、怖い、と身がすくんだが、阿古麻呂はそれ以上はしない、と心のどこかで解っていた……。


 悪意をもって、身体にのしかかられることが、こんなに怖いことだとは。


(母刀自……!

 なんて怖い思いをして、なんて酷い殺されかたをしたんだろう。

 憎い。

 母刀自を殺した男が。

 母刀自をさらった男が。

 おそらく黄泉に翔け去っているだろう男達を追いかけて。

 魂を。

 何回でも、何千回でも、何万回でも。

 引き裂いてやりたい……!!)


 




 

 


 悲しみと怖さと憎しみで、自分の中の魂に、ぱん! とひびが入ったのを、古志加は感じた。

 烏玉ぬばたまの───からすの羽根の色を玉としたように真っ黒な───闇があぎとをあけて、古志加を呑み込んだ。




    *   *   *




(……はずれか!)


 卯団うのだんの畑に来て、古志加の姿が見えなかったとき、三虎はそう思った。


(オレには虫の知らせは働かない……。

 やはり日佐留売ひさるめの部屋か。)


 ときびすを返そうとした時、ぐらりと身体がかしぎ、思わず手に持っていた弓を地について、身体を支えてしまった。

 もとどりをほどかれた髪が、肩から前にさらりと揺れ、乱れる。


(ちっ……!)


 発熱してる。

 身体がだるく、イヤな汗をかいている。

 身体が休め、休め、と言っている。


(修行が足りん。)


 もう古志加の無事が確認できるまで、休むことはできない。


 足を踏み出そうとすると、


「三虎──────!!」


 と叫ぶ古志加の声が聞こえた。

 いぬい(北西)、桑の木のヤブ。


(あれは古志加の声。

 オレは聞き間違えない。)


 走りより、目をこらし、ヤブの中に、おのこの裸の背が見えた。

 矢をつがえ、ぐっと唇を引き結ぶ。

 ビリビリと右肩が痛む。


(……オレは右肩を怪我してる。)


 はずさないか。

 はずれれば、おそらくおのこの下にいるだろう、見えない古志加に当たるかもしれない。


(……打つ!

 オレははずさない!)


 息を詰め、よく狙い、額を流れ落ちる汗を感じながら、弓弦を引き絞り、二本、速射した。

 矢が風を切って飛び、一本、男に当たり、一本、それた。

 おのこが倒れた。


(修行が足りん。)


 走り出し、


「古志加! そこか!」


 返事がない。


(おかしい。

 たしかに、さっきそこから悲鳴が聞こえた。

 オレのはずした矢が刺さったか!!)


 恐怖でドンドンと心臓しんのぞうが脈打った。

 倒れた男の下に、衣の乱れた古志加が荒い息をついている。

 矢は肩の上、古志加の髪に刺さっていた。


(……危ねえ!)


 生きてきたなかで、これほどのものはない、という程の冷や汗をかきながら、古志加の上のおのこをどかし、


「古志加! 大丈夫か!」


 と矢を髪から抜いてやる。

 酷い恰好だ。

 胸があらわになり、左肩の傷が出血している。

 下袴は無事、下紐の結び目もかたく、下半身を脱がされた形跡はない。

 両頬が腫れ、鼻血と、口のはじからも出血している。


(なんて目に……。)


 眉根を詰めながら古志加を助け起こす。


(おかしい。

 これだけ呼びかけているのに、返事がない。)

 

 立たせた古志加は目を大きく見開き、はあ、はあ、と荒い息をつき、目の焦点があっていない。

 カタカタと震え、握りしめた両手を胸に強く押しつけ、ひゅ───っと細く息を吸い、


「きゃああああ!」


 と高い悲鳴をあげた。

 こちらを見ていない。

 どこも見ていない。


「古志加!」


 三虎は慌てて弓をぽいと放り投げ、古志加を抱きしめた。


(まずい! うらぶれしかかっている。)


 魂が身体から、ぶれて、離れ、気狂いしかけている……。


「古志加! しっかりしろ!」


 強く抱きしめ、己が発熱しているせいか、すこし古志加はヒヤリと感じる。


「古志加!」


 大声をだし、名を呼ぶ。

 古志加は、三虎の腕の中で、きゃああ、と叫び続け、身悶えする。


「気を強く持て!」


 ダメだ。

 何か魂を引き戻すような、声がけはないか。


「古志加! ……オレの名を呼んでみろ。

 三虎と呼べ!」


 届け。魂に届け。


「三虎と呼べ! 古志加! オレは三虎だ!」


 叫び続ける古志加を、強く抱きしめる。


(おまえは何回も、オレの名を呼んだ。)


 おそらくは、想いを込めて。


(だから、オレの名を呼べば、そこを糸口に戻ってこれるはずだ。)


「古志加! 三虎と呼べ!」


 力を限りに叫ぶが、腕の中の古志加が、ふっ、と気を失った。


「古志加! おい!」


(ダメか!

 ……魂呼たまよびに失敗した!)


 古志加を揺さぶるが、目を覚まさない。

 これでは、魂が体からぶれて、離れてしまったかもしれない。

 次に目を覚ました時には、もう正常な古志加ではないかもしれない……。

 

「ああ、クソ……!」


 三虎は力を失った古志加の身体を抱き寄せ、あらわになった右肩に、額を押しつけた。


(……オレの声は届かなかった。

 届かなかった!

 クソッ、畜生ちくしょう……っ!)


 悔恨が押し寄せ、三虎は目をつぶったまま、古志加をき抱く。


(当然といえば当然か。

 先ほど卯団うのだんを出てけと土師器はじきを額にぶつけたし、誰でもいいからつまにしろと言ったし、奈良に連れて行って、と泣いたのを、すげなく断った。

 どれも……。

 そのたび古志加が深く傷ついていくのを、オレは良くわかってた。

 でも、こんな……。

 己の手から魂がすり抜けていくさまを望んだわけではない!!)


───必死で古志加を守りましたよ。

 あいつは、ほとんど傷ついてないはずだ。


 自分は怪我だらけになりながら、堂々とそう言った花麻呂とは、なんという違いだ……。













 三虎は、気を失った古志加をなんとか左肩に担ぎ上げて、ずいぶんよろめき、遅い足取りで卯団うのだんの衛士舎へ歩く。


(あっ、これ、右肩の傷、また出血してるなあ……!)


 と感じつつ、なんとか卯団の衛士舎へたどり着くと、予想通り、衛士がもう戻って来ていた。

 荒弓に古志加を渡したところで、三虎も気を失う。










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659466930048

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