第六話  音のみしそ泣く

 ※のみしそ泣く……声をあげて泣くばかり。 




   *   *   *



 小屋の外の見張りを音もなく斬り伏せ、


「まず中に入るは十。少志しょうしまで。」


 と布多未ふたみが言った。

 子団ねのだん広瀬ひろせさまについて留守。

 布多未と、大志たいし、少志まででちょうど十人になる。

 上毛野かみつけのの衛士団は四十人で来ていたが、阿古麻呂あこまろは、


(外で待つしかないか。)


 と高揚した空気のなかで己に言い聞かせる。

 十人が進み出、扉を打ち破り、我先にとなだれをうって踏み込んでいく。


「あっ!」


 阿古麻呂の隣から、古志加こじかが、肩で人波をぬい、押しあたり、猛然と入り口へ駆け出した。


「古志加!」


 阿古麻呂も慌てて、あとを追う。

 そして見た。

 人の肩の向こうで、先頭を行く布多未が、豪剣を振りかざし、


「はぁい ち、」


 一人斬り、


「ま、」


 二人斬り、


「つ、」


 三人斬り、


「り。」


 四人。あっという間に斬り伏せた。

 剣撃が早い。


(強い……!)


 小屋のなかには三十人ほどの賊がいるか。

 すぐに布多未は見えなくなった。


 乱戦となり、阿古麻呂もすぐ賊と切り結ぶ。


 その賊の向こうに、荒弓が揺るぎなく剣をふるっているのが見えた。

 普段の温厚な彼からは想像がつかないほど、剣さばきは荒々しい。


 血煙りと悲鳴と怒号が飛び交うそのなかで、古志加が飛び出した。

 もう無言で、おみな二人がとらわれている方向へ。

 剣を回し。

 身を回し。

 斬撃が弧を描き。

 燭火ともしび松明たいまつ)に照らされ。

 髪も舞い。

 まったく足を止めず。

 敵をなぎ倒し。

 蹴り倒し。

 あっという間に女二人のところに到達した。

 そして二人を背にかばい、あたりに剣を向け、


「ふ────ッ!」


 とうなり声をあげた。

 すすだらけ、血しぶきだらけの顔のなかで、目がらんらんと輝き、触れたら殺す、というように目から怒りの炎が噴き上がっている。


 美しい。

 指一本でも触れたら、火がついて焼け焦げてしまいそうだ。


 ……と。

 見とれている場合ではない。

 早くしないと手柄が無くなってしまう。




     *   *   *




「ああん! ああん! 

 日佐留売ひさるめ───!」


 賊を片付け終わり、縄を解いてもらったら、古志加が鬼気迫る衛士の顔から、親無しの寂しがり屋の女童めのわらはの顔になって、日佐留売に抱きついてきた。


「怖かった、怖かったよぉ……!」


 のみしそ泣く。

 どちらがさらわれたかわからない怖がりかたで、震えておいおい泣いている。

 さっきまで賊を何人も斬り倒したおみなと同じとは、到底思えない。


「古志加、わかった、わかったから……。」


 と日佐留売は背中をたたいてやるが、


(あっ、力、強い……。)


 ぐいぐい抱きしめてくる。


(ちょっと、どうしよう。)


 と、近くに来た布多未が、古志加の頭をパンとはたいた。


「ぎゃん!」

「邪魔。離れろ。」


 布多未が古志加の襟首をつかんで、べりっ、と日佐留売から引き剝がした。

 日佐留売はふぅ、と息をついた。

 古志加は布多未に襟首を釣り上げられたまま、


「ふぇ────ん。」


 と仕方なさそうに泣いている。

 見れば全身煤にまみれ、髪がところどころ焼けている。

 返り血も浴び、左肩には斬られた傷がある。

 他にも細かい傷が全身におよび、ずいぶんボロボロだ。

 死にものぐるいで助けに来てくれた。


「ありがとう古志加、布多未。助けに来てくれて。

 でも、ちょっと待ってね。どうしても先に、一つ、やりたいことがあるの。」


 日佐留売は涙をにじませた笑顔で言い、


母刀自ははとじ……。」


 近くに微笑んで立つ母刀自ははとじに抱きついた。


「日佐留売……。」


 母刀自も抱きしめ返してくれた。


 久しく、このように、母刀自と抱きしめあったことはない。


 十四歳で女官として、上毛野君かみつけののきみの屋敷に来たときには、母と娘というよりも、もう女嬬にょじゅと新入りの女官としての関係のほうが、強かった。

 日佐留売は、名家、石上部君いそのかみべのきみの名に恥じぬよう、将来の女嬬にょじゅ候補としてふるまい、母刀自もそんな日佐留売を尊重して接してくれた。


 でも今は。


 抱きしめあいたい。


(母刀自にあたしも……。

 別にそれを疑ったことはなかったけれど、もう二十五歳で、子も二人いるけれど。

 あたしも、母刀自に愛されてる娘だ。)


 久しぶりに抱きしめた母刀自は、記憶よりも小柄で、身体は細く、力は弱々しかった。







    






 上毛野かみつけのの衛士団の怒りは凄まじく、賊のほとんどを斬り殺してしまった。

 生き残った賊は五人ほど。

 対して、衛士団の死傷者はいない。


「こいつか。」


 布多未が訊き、


「ええ。」


 日佐留売が答える。


 於屎売おくそめは死んでいた。


 誰が斬ったかわからない。

 どさくさのなかで衛士に斬られたか、もしくは、仲間に口封じに斬られたか。

 まだ未明。

 薄暗い小屋で、栗色の衣を血で真っ赤に染めた三十歳手前のおみなは、口をぽっかり開け、うつろな死に顔であった。


 首領しゅりょうと見られた、知怒麻呂ちぬまろの姿は消えていた。




     *   *   *




 卯はじめの刻。(朝5時)


 朝焼け。

 清々すがすがしい早朝の空気のなか、意気揚々いきようようと、卯団うのだんの皆は、三虎の待つ医務室へむかった。


 三虎は寝床に腰をかけて、じっと荒弓の報告を聴いていた。

 古志加のほうを見ようともしない。

 鎌売と日佐留売が、無傷で助けられたと聴いた時は、肩で大きく息をついた。

 そして荒弓の報告が終わり、皆を、


「良くやった。」


 と短くねぎらった後、初めて卯団うのだんの後ろの方にいた古志加に目をむけた。

 目に激しい怒りが燃えている。

 古志加は、ひっ、と身がすくんだ。


「てめぇ……、よくオレの前に顔が出せたな。

 オレの命令に背きやがって。」


 三虎はそばに置いてあった土師器はじきつきを左手でつかみ、古志加にむかって、ビュッ、と投げつけた。

 それは正確に古志加の額の中央にあたり、ぱん、と砕けて散った。

 

「出てけ!

 もう卯団うのだんの敷地をまたげると思うな。

 明日にでも秋間郷あきまのさとに送ってやる!」


 三虎は猛々たけだけしく怒鳴った。


「……!」


 涙ぐんだ古志加の額から、土師器はじきの欠片が、パラ、パラと落ち、たらり、と一筋の血が垂れた。

 古志加は青ざめ、震え、口もとを手でおさえ、すぐさま、ぱっと部屋を飛び出した。


「古志加!」


 卯団の何人かが声をかけ、


「三虎……。」


 荒弓が渋い顔を三虎にむけた。


「うるせぇ! あいつはオレの命令に、皆の前で堂々と背きやがった。

 もう許せねえ!」


 三虎は眉をつりあげ、怒りに顔を赤くし、噛みつくように怒鳴った。

 荒弓は首をふり、


「我々も身を清めたいので、これで下がらせてもらいます。」


 とその場をしめた。

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