第十話  情けがあるなら、何もおっしゃらないでください。

 響神なるかみ(カミナリ)は激しいが、半刻もすれば、もう遠くに去る。

 雨は小雨となり、じきにやんだ。



 いぬはじめの刻。(夜7時)


 日佐留売ひさるめの部屋。

 奥の、戸で仕切られた部屋では、難隠人ななひと浄足きよたりが寝ている。

 日佐留売がこの部屋に連れ帰った古志加こじかを見て、二人とも泣いていたが、日佐留売が寝る時間だからと寝かせた。


 古志加は熱をだした。


 今は日佐留売の寝床に寝かせている。

 床に直接敷くことになるが、この部屋には、女官が寝れるよう、もともと布団が備えてある。

 今夜は古志加とこの部屋で寝よう。

 日佐留売はそう思いつつ、居心地悪そうに、古志加のそばに立つ弟に声をかける。


「おまえの卯団うのだん少志しょうしが、古志加を助けてほしい、戻ってきて欲しい、と使いに来たから来てみれば……。

 おまえから助けろ、ってことだったのね?

 間に合って幸いだわ、三虎。」


 辛辣しんらつに言ってやると、三虎は眉根を詰め、ぎゅっと目をつむった。


「違うんだ姉上……。オレは、干し杏を食べない古志加に苛立って……。」


 ともごもご言った。

 日佐留売は、おや? と三虎を見る。

 今日の三虎はずいぶん表情が豊かだ。

 それが苦悩の表情であっても。

 気のせいかしら?




    *   *   *




 三虎は熱にうなされる古志加を見ながら、今日の花麻呂の話を思い返す。



 まず荒弓あらゆみが、話がある、と三虎を呼びにきた。

 卯団うのだん衛士舎えじしゃで、池で溺れかけた古志加の話しを、眠くてフラフラしている花麻呂から直接きいた。

 自分で何があったか三虎に話したい、と寝ないで頑張っていたそうだ。


(古志加の命があって良かった。)


 と心から花麻呂に感謝しつつ、三虎は人目を避けて、広庭の隅に花麻呂を呼び出した。


「で……。古志加は知ってるのか。口から息を吹き込まれたことを。」


 花麻呂はそう言ってなかったが、そうだろうと踏んで、きいてみた。

 花麻呂は動きが固まり、あごに指をあて、上を見て、下を見た。


「してません。」

天地乎乞禱あまつちにこいのむうけひできるのか。(天地の神にちかえるのか。)」


 花麻呂は、上を見て、下を見た。


「しました。古志加は気がついてないと思います。」


 花麻呂はきりり、と真剣な顔で、ビッと両手のひらをこちらに向けた。


「だけど、うけひします。

 あの状況だったら、オレはおのこであろうとも、同じことをします。

 たとえ、相手があなたでも。」

「おまえ……。」


 つい二人で見つめ合ってしまった。

 変な雰囲気になった。





 三虎はこの時点ですでに、薩人さつひと日佐留売ひさるめのもとに使いにやっている。

 夜番あけの花麻呂をねぎらって、あとで木綿一端いったんを届ける、と伝え、寝かせた。






「う……、は……。」


 と熱にうかされた古志加が、苦しそうにつぶやく。


(古志加、花麻呂の妻になってしまえ。)


 花麻呂は自分のおみなを幸せにできるおのこであろう。

 三虎はそう思う。



「泣かないで……。」


 眉をゆがめ、辛そうに首をふり、古志加はつぶやく。髪が顔にかかる。

 三虎は寝床のそばに座り、その髪をはらってやる。

 その唇を見る。


(……さっきは危ないところだった。)


 オレはどうも、やりすぎてしまうところがある。

 気をつけないとな、とため息をつく。


 姉上が間に合っていなかったら。

 古志加の口を己の口でふさぎ、古志加が口を閉じたら、唇の房を唇で引き、口のはじに口づけ、唇を重ね、舌で閉じた口の合わせをなぞり、閉じる力を緩ませる。

 口が少しでも開いたら、舌を入れ、歯をくいしばっていたら、歯を開くまで、いくらでも舌で歯をなぞり、必ず歯を開かせ、古志加の舌の上に干し杏を置いてくる。

 そこまでやるところだった。

 口づけしそうなだけで、あれだけ泣く娘に。

 間違いなく、大泣きさせてしまうところだった。


母刀自ははとじ……。」


 と古志加がつぶやき、目尻から涙をこぼした。


「姉上、ちょっと古志加と二人きりにしてもらえませんか。」


 と三虎が日佐留売を見ると、姉は無言で睨んできた。


(信用がない!)


 三虎は心の中でガクリとうなだれる。


(しょうがない、恥ずかしいけど、あれをやるか。)


 三虎はそっと古志加の耳元に口をよせ、


古流波こるは。……大丈夫だ、古流波。よく眠れ。」


 と優しくささやいた。

 きつく歪められていた古志加の眉が、本当に? というように、戸惑うように動く。

 一粒、二粒、涙をこぼす。

 その涙をぬぐい、


「大丈夫だ、大丈夫だ……。古流波。」


 重ねてささやくと、


「ふ……。」


 古志加の口から息が抜け、表情が楽になる。


「そうだ古流波。安心して、よく眠れ。」


 古志加が静かになった。

 落ち着いた寝息をたてる。

 三虎は顔を離した。

 後ろをふりむき、口に手を当て目を見開いてる姉に、


「情けがあるなら、何もおっしゃらないで下さい。」


 と先制して言う。

 恥ずかしさで頬のあたりに力が入っているのを自覚し、三虎は、ふっ、と息をはいた。



 三虎は気がついた。


 トン、カツカツ。

 トン、カツカツ。


 杖をつく鼻高沓の足音が、簀子すのこ(廊下)を近づいてくる。


(……そろそろか。)


 ここからは、厳しい話し合いになる。


 












↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667034063574

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る