第五話

 翌日、期待に胸をふくらませた難隠人ななひとさまが、貝合せを持ってやってきた。

 詠唱のあと、藤売ふじめは優しく一緒に貝合せで遊んでくれた。

 貝合せの最中に、難隠人さまはそっと藤売を見て、


「藤売さまは、おきれいです。」


 と赤面しながら言った。藤売は機嫌良く、


「ありがとう。難隠人さま。」


 と笑顔で言った。

 難隠人さまははにかんで、とても嬉しそうに笑った。

 それを掃除しながら古志加は見て、


(ああ良かった。紅珊瑚べにさんごの耳飾りが見つけられて。)


 と心から思った。貝合せが終わり、難隠人さまが、


「次にすぐとは言いません。気が向いたらで結構なので、また、貝合せで遊んで下さい。」


 と貝合せの一枚を藤売にさしだした。

 手が不安でふるふると震えている。

 藤売は一瞬真顔になったが、


「ええ……。」


 と言って、その貝を受け取ってくれた。

 難隠人さまがほっとして、ニッコリ笑った。


「ありがとうございます。」


(ワーホーイ!)


 心のなかで古志加は喝采を叫んだ。

 福益売ふくますめ浄足きよたりと目があった。

 三人、笑顔で頷きあった。

 難隠人さまは約束の貝、藤売が持つ貝の片割れを、大事に胸に抱いて帰っていった。



 その後、難隠人さまのイタズラも落ち着き、時々、金の貝を見つめているのだと、福益売にあとから教えてもらった。





    *   *   *





「あら、あなた紅珊瑚の耳飾り、してないのね。売ったの?」


 と藤売に古志加は声をかけられた。


「売ってはいないんですが、恥ずかしくて……。」


 と古志加は顔を赤くして目をふせた。紅珊瑚は高価で美しい。とても似合うとは思えない。


「はっ。」


 藤売はあきれたように息をもらし、


「ああ……、自分を美しくすることもできない女官なんて、田舎くささ、ここに極まれりね……。」


 と首をふり嘆いた。





    *   *   *





 翌日。藤売は、


「花を摘んできて。」


 と古志加に言いつけた。

 しもつけ、かきつばた、ぼたんの花を摘んできて、緑釉みどりゆうの花瓶にいける。


「もっと欲しい。」


 と言うので、また摘んでくる。

 すると、


「もっと欲しい。まだまだよ。」


 と言う。

 午前中、いや、の刻(午後1〜3時)も、ずっと古志加は花を摘み続け、部屋は花だらけになった。そこでやっと藤売は、


「良い。」


 と言った。しげしげと部屋を見つめ、口の端を釣り上げて古志加を見る。


(ああ、イヤな予感……!)


 無言で藤売は二階棚にかいだな(背の低い棚)の上に活けてあったぼたんの花瓶を手にとり、迷いなくビシャッとひっくり返した。

 花と水を床にまき、緑釉の陶器の花瓶はもとの場所に戻す。

 手が止まらない。

 次々と花瓶を手にとり、中身を床にぶちまけ、花瓶は十八個にもなっていたのだが、全部、ぶちまけてしまった。

 桃色、紫、赤、色とりどりの花びらが散乱し、花と水の匂いがむせ返るほど部屋に充満する。

 古志加と甘糟売あまかすめは、藤売の奇行に声も出ない。


「あははは……。今夜は花風呂に入るわ。全部花びらを摘んで、湯船に持ってきてちょうだい。残りは綺麗に掃除しておくのよ、古志加。」


 と藤売は楽しそうに笑った。


(なら始めからそう言えばいいじゃないか!)


「はい。」


 と古志加が悔しそうに言うと、


「きちんと礼をしなさい!」


 と藤売が怖い顔で言った。礼をすると、


「角度が悪い! 裳裾もすそをまくりなさい。」


 と言われ、ビシリとふくらはぎをムチで打たれた。


(いったぁ……。)


「ふん!」


 藤売はムチを放り投げ、さっさと部屋をでていってしまった。

 やはり意地悪だ。

 古志加は桶を用意し、花びらをむしり入れながら、


(負・け・な・い……!)


 と奮い立った。




     *   *   *




 藤売は一人用の湯船に、色とりどりの花びらを浮かべ、ゆっくり花風呂につかった。

 田舎でも花は良い匂い。

 そして大川は、奈良でもめったに見られない、美しきおのこ

 藤売は花風呂を念入りに、

 腕に、

 首に、

 繰り返し浴びる。

 良く花の匂いをすりこむのだ。




 いぬ三つの刻。(夜8時)

 大川の部屋にしのんでいく。

 あたくしはこんなに美しいのに、大川は夜、藤売の部屋を訪れようとしない。

 こんなに、いつでも良い、と笑顔を送っているのに、信じられないわ。

 それにしても、あの不機嫌顔の従者め。

 なんて時間まで大川さまの部屋にいるの。


(早く出ていきなさい……!)


 と、半蔀はじとみ(跳ね上げ窓)からのぞける、蝋燭ろうそくに照らされた室内の、背が低いほうの人影を、木の陰から藤売はにらみつける。

 やっと退去した。

 従者がずいぶん遠くまで行ったのを見計らって、藤売は大川の寝室の妻戸つまとを叩いた。


「大川さま……。あたくしです。ここを開けて下さい。」


 やや間があって、大川がなかから現れた。切れ長の黒目がちな目が、驚きで見開かれている。


「どうしたんです。」


 藤売はしっとりと潤んだ瞳で、大川を見つめた。

 部屋のなかから、蝋燭と、大川が好む伽羅きゃらの匂いが、ふわり、と漂う。

 明るい立待月たちまちづきに照らされて、大川の麗しい顔がいっそう際立って見えた。


「あたくしを……、中に入れて。」


 月光のもとでもなお赤い唇を光らせて、藤売は妖艶に笑った。

 ふ、と大川が笑った。


「それはできない。」

「え?」

「自分で盆に飛び込んでくる魚は食べないようにしている。夜も更けた。帰りなさい。

 味澤相あじさはふをや(良き夜を)。」


 なんと大川が妻戸つまとを、タン、と目の前で閉めた。


「お、大川さま? 大川さま?!」


 二回呼ぶが返事はない。


(ええ────っ?!)


 信じられない。

 心のなかで大きく叫ぶが、うつつでは口をパクパクさせただけだ。


(このあたくしを、このあたくしを……?!)


 恥を忍んで、自分から来てあげたというのに。

 藤売は口をパクパクさせながら、どうにか人に見つからないように、自分の部屋に戻った。







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