第四話  紅珊瑚の耳飾り

 鎌売かまめは頭を抱えていた。

 困ったことに、なりを潜めていた難隠人ななひとさまのイタズラが再燃した。


 落とし穴を浄足きよたりと掘って、警邏けいらの衛士を転ばせる。

 歩いてる女官にかへるを投げつけて、悲鳴をあげさせる。

 咲いていたすゑつむ花を全部刈ってしまう。


 女官の胸をもんだりしなくなったのは、進歩と言えば進歩。

 だが困ったことに、誰も強く注意できない。

 ……泣いてるからだ。

 以前は、楽しそうにイタズラをして、それはそれは憎らしいものではあったが、今は、難隠人ななひとさまのイタズラを目撃した者が口を揃えて言う。


「泣きながら、立ち去りました。」


 と。苦しんで、傷ついてる。

 寂しくて。

 愛されたくて。

 行き場のない苦しみが、イタズラをさせている。


(困ったものだわ……!)


 難隠人さまのお気に入りだった古志加こじかを、せっかく長い時間女官として一緒にいられるようにしたのに、藤売ふじめにとられてしまった。

 藤売は、古志加を難隠人さまに返してくれない。

 そして明らかに、一人の女官にやらせるには多すぎる量の仕事を命じ、頻繁にムチ打ってるそうだ。

 可哀想に、そんなことのために衛士を休ませて女官としてるわけじゃない、と思うが、あの強い目をした古志加のことだ。

 遅かれ早かれ、藤売に目をつけられていたかもしれない。

 古志加は恥ずかしがり屋だが、女嬬にょじゅだろうが、大豪族の娘だろうが、恐れて下を向くということをしない。

 中身が衛士だ。

 他の女官と違う。

 藤売のようなおみなは、そういう女官を放っておかない。


 まったく、身分の高い娘でありながら、なぜあの藤売は、あのように毒をまきちらし、まわりを傷つけないと気がすまないのだろう?

 身分が高い娘であるからなのか……。


 「母刀自……。」


 と渋い顔をしていた三虎の顔を思い出す。

 渋面じゅうめんをする気持ちが分からないわけでは無い。

 女官はおみなの世界。おのこが口を挟める世界ではない。

 ましてや藤売は大豪族の娘。古志加を女官として差し出したが最後、三虎に出来ることは何も無い。

 部下思いの息子だ。心配なのだろう。

 それとも、おみなだから? 

 

 あの娘の方は息子を恋慕している。

 もうずっとだ。宇都売うつめさま、難隠人ななひとさまと食事をきょうする時、大川さまに付き添う息子を、女官として立ち働く古志加は、恋慕の情をにじませた目で見てる。

 それはなかなか熱い視線なのだが、その視線を浴びて、息子は首尾一貫しゅびいっかん、無視をしている。眉一つ動かさず、古志加を見ることも無く平然としている。

 あれでは、手枕たまくらした仲ではない。徹底して冷淡すぎる。

 おみなではなく、ただの衛士えじと見ているのだろうか? 「妻もいもも持ちません。」と言い放つ、まったくかたくなに育ってしまった息子は……。

 良い加減、妻なり吾妹子あぎもこなり作って早く孫の顔を見せて欲しいものだ。

 遊浮島うかれうきしまにしてる吾妹子あぎもこなど、屋敷に囲うつもりも無いおみななど、鎌売にとっては吾妹子の数に入らない。


「はっ。」


 鎌売かまめり足で簀子すのこ(廊下)を歩きつつ、大きなため息をつく。


 ……今はどうでも良い。息子の胸中がどうであれ、今は古志加を衛士として息子のもとに返してやることはできない。

 古志加が藤売にどんなに打擲ちょうちゃくされようとも。

 古志加は強い娘だ。

 あの娘自身の強さで、この状況を耐えてもらうしかない。

 それを祈るしか……。





     *   *   *




 鎌売が物思いにふけりながら、盆に白湯と米菓子を捧げ持ち、簀子すのこ(廊下)を歩いていると、突然、物陰から五匹のかへるが飛び出し、鎌売に襲いかかった。


「きゃああああ!」


 鎌売は口から心臓しんのぞうが飛び出るほど驚いた。

 盆から白湯と米菓子を取り落とし、貴重な緑釉のつきを割ってしまった。


「あわわわ。」


 と顔を真っ赤にオロオロしてる浄足と、目尻の涙をぬぐった難隠人さまが、ぱっと身を翻し、簀子すのこの奥から逃げようとする。


「待・ち・な・さ・い!」


 地獄の鬼もよもや、という勢いで鎌売は走り、難隠人さまを捕まえた。


「わっ!!」


 暴れる難隠人さまを、ぐいと上に釣り上げようとし、


「あぎゃっ!」


 鎌売は悲鳴をあげ、かたまった。


「こ……、腰が……!」


 全身が雷に打たれたように痛い。

 腰が動かない。




 鎌売は、腰が、腰が、と言いながら、その後何日も寝込んでしまった。




   *   *   *




「あら、そう、大変ねぇ……。そこのしもつけの花を持って行って、鎌売かまめにお大事に、って伝えてねぇぇ……。」


 鎌売かまめがしばらく顔をだせないと聞いて、藤売ふじめ脇息きょうそくにもたれながら、上機嫌でそう言った。

 宇都売うつめは大人しいおみな

 百済くだらの血をひく良民りょうみんだ。

 藤売ふじめにとって、どうということもない。

 鎌売かまめは、あたしはここの屋敷を取り仕切ってます、という顔をして、目障りだった。前に一度、


「あまり女官にムチを与えないで下さい。」


 と言われたこともある。


「女官としてなっていないということは、上毛野君かみつけののきみの品位をおとしめることですわ。

 あたくしは、そんなこと許しません。」


 ときつくにらんでやったものだ。


(……いい気味。)


 上毛野君かみつけののきみの屋敷のなかで、今、藤売に楯突たてつく女はいない。




     *   *   *




 雑巾女が、雑巾をピシャリと木桶にたたきつけ、こちらにズンズン歩いてきた。

 燃えるような眼差しを藤売に向け、


「いい加減……、難隠人さまと遊んであげたらどうなんだ!」


 と歯ぎしりしながら言った。古志加だ。


「難隠人さまが、あそこまでイタズラするのは、寂しいからだ。

 母刀自ははとじとなる心づもりなら、一回ぐらい、遊んであげたっていいだろ!」

「まあぁ……。それ、お願いしてるのかしら?」


 藤売は目を丸くし、口に手を当てて言ってやる。


 初めて会ったとき、あろうことか、あたくしを突き飛ばした女。

 生意気な目の女。

 目刺しの学のない良民の女。

 いじめても、いじめても、へこたれない女。

 まったく、河内国かわちのくにや宮中にいるときは、こんな学のない女と何回も口をきくことになるとは思わなかったわ。

  

「……お願いします。どうか難隠人さまと、貝合せをなさって下さい。」


 優雅に礼をする。


「あたくし、今、機嫌が良くてよ……。さあ、どうしようかしら……。」


 ふふ、と口もとに笑みを含みながら、藤売は立った。


「ついてらっしゃい、古志加。」


 と庭先に降りる。

 藤売の部屋の近くに、飾り池がある。

 水深は女のふくらはぎほど。

 水に浮かぶ花が、色とりどりに浮かべられ、見目良みめよい魚が泳ぐ。


 藤売はそのふちに立ち、耳から紅珊瑚べにさんごの耳飾りを一つ、とった。

 古志加はその様子を、眉をひそめながら見た。

 藤売は、はずした紅珊瑚の耳飾りを、これみよがしに古志加に見せつけた。

 自分の目の前で、指でつまんだ紅珊瑚を揺らして、古志加を笑いながら見たり、手のひらの上に紅珊瑚を転がし、その紅珊瑚を注視したり……。


(何をやっているの……?)


 ふふふ、と藤売は笑い、

 パッ、

 と紅珊瑚の耳飾りを飾り池に放った。

 ぽちゃん。

 音がし、


「げっ!」


 古志加はうめいた。投げ入れてしまった!


「ああ……、耳飾りを落としてしまったわ。

 宇都売さまからいただいたものなのに。

 古志加、拾ってくれる? 見つけられたら、難隠人さまと貝合せをしてあげてもいいわ。無理にとは言わないけど……。」


 と藤売はわざとらしく言った。


「見つけます!」


 透明な池だが、あの小ささの耳飾りが見つけられるかどうか。

 でも、やるしかない。

 ためらわず、古志加は池に足を踏み入れ、両手で池をさらいはじめた。

 蘇比そび色の衣があっという間に水をすい、色を濃くする。


「あははははは!」


 心底楽しそうに藤売は笑い、


「じゃあ、がんばってね、古志加。

 時間はかかっても良いわ……。」


 と、くるりと背をむけて行ってしまった。




     *   *   *





 二刻(4時間)後。

 全身から池の匂いを漂わせ、頭からつま先まで濡れねずみになった古志加が、目をらんらんと輝かせながら、藤売の部屋の外の庭先まで来た。

 きっと池で転んだにちがいない……。

 右手をぐっとつきだし、手のひらを開いた。

 そこには紅珊瑚の耳飾りがあった。


「あはっ、あははは、ひぃ! やるわね、あなた……。」


 と藤売は今までで一番の大笑いをし、


「いいわ。明日は、貝合せの貝を持ってくるように、難隠人さまに伝えてちょうだい。」


 と言った。そして古志加の手の上の紅珊瑚を見て、ふむ、と考えた。


「もう池に落ちた耳飾りはいらないわ。池くさいもの。」


 と自分の片方の耳飾りをはずし、近くの甘糟売あまかすめに渡した。


「この紅珊瑚の耳飾りは両方、古志加にあげるわ。片方だけのものを持っていてもしょうがないわ。」


 ただの気まぐれだが、それを聞いた古志加の顔が見ものだった。


「へっ。」


 と目を見開いて、すごく間抜けな顔をした。

 また藤売は大笑いをし、手で、しっ、しっ、と古志加を追い払った。

 ねずみを部屋に上げる気はない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る