第五話  飾り池と紅珊瑚

 雑巾女が、雑巾をピシャリと木桶にたたきつけ、こちらにズンズン歩いてきた。

 燃えるような眼差しを藤売に向け、


「いい加減……、難隠人ななひとさまと遊んであげたらどうなんだ!」


 と歯ぎしりしながら言った。古志加こじかだ。


「難隠人さまが、あそこまでイタズラするのは、寂しいからだ。

 母刀自ははとじとなる心づもりなら、一回ぐらい、遊んであげたっていいだろ!」

「まあぁ……。それ、お願いしてるのかしら?」


 藤売は目を丸くし、口に手を当てて言ってやる。


(初めて会ったとき、あろうことか、あたくしを突き飛ばした女。

 生意気な目の女。

 目刺めざしの学のない良民の女。

 いじめても、いじめても、へこたれない女。

 まったく、河内国かわちのくにや宮中にいるときは、こんな学のないおみなと何回も口をきくことになるとは思わなかったわ。)

  

「……お願いします。どうか難隠人さまと、貝合せをなさって下さい。」


 古志加は優雅に礼をする。その姿勢、角度は美しい。

 さんざん、藤売がやったからだ。


「あたくし、今、機嫌が良くてよ……。さあ、どうしようかしら……。」


 ふふ、と口もとに笑みを含みながら、藤売は立った。


「ついてらっしゃい、古志加。」


 と庭先に降りる。





    *   *   *





(どこに行くつもりだろう?)


 古志加は付き従う。それしか道はない。


 庭、藤売の部屋から見える場所に、飾り池がある。

 水深はおみなのふくらはぎほど。

 水に浮かぶ花が、色とりどりに浮かべられ、見目良みめよい魚が泳ぐ。


 藤売はそのふちに立ち、耳から紅珊瑚べにさんごの耳飾りを一つ、とった。

 古志加はその様子を、眉をひそめながら見た。

 藤売は、はずした紅珊瑚の耳飾りを、これみよがしに古志加に見せつけた。

 自分の目の前で、指でつまんだ紅珊瑚を揺らして、古志加を笑いながら見たり、手のひらの上に紅珊瑚を転がし、その紅珊瑚を注視したり……。


(何をやっているの……?)


 ふふふ、と藤売は笑い、パッ、と紅珊瑚の耳飾りを飾り池に放った。


 ぽちゃん。


 小さな耳飾りは水面に波紋をつくり、沈んだ。


「げっ!」


 古志加はうめいた。


(投げ入れてしまった!)


「ああ……、耳飾りを落としてしまったわ。

 宇都売うつめさまからいただいたものなのに。

 古志加、拾ってくれる? 見つけられたら、難隠人さまと貝合せをしてあげてもいいわ。無理にとは言わないけど……。」


 藤売はわざとらしく言った。


「見つけます!」


(意地悪女め!

 透明な池だけど、あの小ささの耳飾りを見つけろなんて!

 無理だ!

 でも、やるしかない。)


 古志加は頭がカアッと怒りで熱くなるが、藤売をひと睨みするだけにとどめ、すぐに飾り池に足を踏み入れた。


 ざばっ。じゃぶっ。


 水しぶきをつくり、さきほど耳飾りが消えた場所にあたりをつけ、両手で池をさらいはじめた。

 蘇比そび色の衣があっという間に水をすい、色を濃くする。


「あははははは!」


 藤売は心底楽しそうに笑い、


「じゃあ、がんばってね、古志加。

 時間はかかっても良いわ……。」


 と、くるりと背をむけて行ってしまった。




     *   *   *





 二刻(4時間)後。


「よぉぉっしゃ───ッ!」


 頭から全身、ずぶ濡れになった古志加が、飾り池に立ち、拳を握りしめて天に向かって咆哮した。


(見つけたのかしら?

 女官のくせに、獣みたいに吠えるのね……。まったく、毛色の変わったオモチャだわ。)


 藤売は愉快で、口元が笑みの形になることを止められない。


 濡れねずみになった古志加が、ざばりざばり、と飾り池からあがり、目をらんらんと輝かせながら、藤売の部屋の、簀子すのこ(廊下)の前まで来た。

 古志加は藤売にむかって、右拳をぐっとつきだし、手のひらを上にむけて開いた。

 水がしたたる手のひらには、紅珊瑚の耳飾りがあった。


「あはっ、あははは、ひぃ! やるわね、あなた……。」


 藤売は今までで一番の大笑いをし、


「いいわ。明日は、貝合せの貝を持ってくるように、難隠人さまに伝えてちょうだい。」


 と言った。そして古志加の手の上の紅珊瑚を見て、ふむ、と考えた。


「もう池に落ちた耳飾りはいらないわ。池くさいもの。」


 と自分の片方の耳飾りをはずし、近くの女官、甘糟売あまかすめに渡した。


「この紅珊瑚の耳飾りは両方、古志加にあげるわ。片方だけのものを持っていてもしょうがないわ。」


 ただの気まぐれだが、それを聞いた古志加の顔が見ものだった。


「へっ。」


 と目を見開いて、すごく間抜けな顔をした。


「あはははははは!」


 また藤売は大笑いをし、手で、しっ、しっ、と古志加を追い払った。

 池くさいねずみを部屋に上げる気はない。




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