第二話  私が大人になったら。

 はじめの刻。(朝9時)


「ふぅん……、目刺めざしなのね。」


 藤売ふじめ古志加こじかを見て、第一声でそう言った。

 

 女官は、働くおみななので、皆、目刺しの前髪をあげて額をだし、大人であることを示す。

 十六歳の古志加は、おのこであれば、十八歳くらいまで目刺し髪は普通なので、まだ自分が大人になりきれていない気がして、目刺し髪にしていた。

 衛士の濃藍こきあい姿ではしっくりしていたが、女官姿になると、まるで新人女官のように見えてしまう。


 女嬬にょじゅ鎌売かまめが堂々と立ち、藤売にキビキビと話ししだす。


「そうです。挨拶が遅れて申し訳ありません。

 難隠人ななひとさま付きの女官です。」

吉弥侯部きみこべ、あまりきかないけど、どこの氏族?」


 対して藤売は、ゆっくりな喋り方だ。


「いえ、この娘は……、碓氷郡板鼻郷うすいのこおりいたはなのさとの、郷の娘です。」

「ただの良民りょうみん(平民)……?」


 くさいものでも目にしたように、藤売は顔をしかめた。


「あまり学もなさそうな顔ね、これだからひな(田舎)は……。」


 古志加はさっきから立っているだけで、全然喋っていない。


  




 あたりにはえも言われぬ良い匂いがたちこめている。

 藤売は高麗端こまべりの畳に毛氈もうせん(じゅうたん)を敷いた上に寝そべり、ゆったり脇息きょうそく(低い手すり)にもたれている。

 顔には丁寧に化粧が施され、額の中央には紅で花鈿かでん(花もよう)を描いている。

 とても美しいが、なんだか意地悪そうだ。

 眉が八の字のようだからかな?

 柑子こうじ蜜柑みかん)色の背子はいし(ベスト)は蜀江文しょっこうもん

 帯は紅藤べにふじに金糸の唐草文様。

 ほう(ブラウス)は藤色。

 (スカート)は藤色と萌黄と紅の三色。

 血より赤い血赤珊瑚ちあかさんごの首飾り、耳飾り、かんざし

 なんとも豪奢ごうしゃだ。


 おみなは、白い領巾ひれを口もとにあて、ふわぁ、と一つ欠伸をした。


 このような豪華な衣も何もかも、藤売には当たり前のもので、この空間の主人であることは、至極当然……、と言っているかのようであった。


「道のくま、いもるまでに、つばらにも……。」


 古志加の脇では、難隠人ななひとさまが和歌の詠唱を続けている。藤売が、


「……あら? あなた……?」


 何事かに気がついたように、古志加の顔を良く見た。

 だが何か言う前に、難隠人さまが、


「藤売さま! 味酒三輪うまさけみわの山の詠唱が終わりました!」


 と元気に藤売に報告した。藤売は、興味の薄い冷ややかな目で、難隠人さまを一べつした。


「そう……。いいわ。また明日、続きを覚えていらっしゃい。」

「はい! ありがとうございました!」


 難隠人さまが嬉しそうに笑う。


「ではもう行きなさい。」

「……はい。藤売さま、たたら濃き日をや。」


 難隠人さまがちょっと寂しそうに、でも行儀よく挨拶をし、礼をし、退室する。




     *   *   *





 難隠人さまのもとに、これから毎日仕えると告げたら、難隠人さまは喜んでくれた。浄足きよたりが、


「古志加、一昨日はごめんねぇ。」


 と抱きついてきた。難隠人さまは、


「あとで、ちゃんと話をさせて。」


 と良い、鎌売相手に詠唱の予習をしていた。

 今、藤売のもとを退室したので、


「古志加と二人で話したい。」


 と難隠人さまと屋敷の裏の小山のほうまで、二人で歩く。

 六月の風が、花の香りとともに、緑の木々を吹き抜ける。


 小山を登り、西を見れば、碓氷うすい山、東を見れば、子持山、久路保くろほ山が良く見える。

 山の嶺は高く青々とし、なんと上野国かみつけのくには美しいのだろうと思う。


 目線を下に落とせば、屋敷、裏手の沼、中庭の飾り池、立ち働く蘇比そび色(明るい赤橙)の衣の女官たちが見える。

 中央の広い庭で隔てられた、西の遠くには、また屋敷があり、公務を執り行う務司まつりごとのつかさおのこたちが出入りするのが見える。

 それらを見下ろしながら、二人で野に腰をおろす。

 ヤエムグラの白い花。

 月草の青。

 すみれの紫……。

 六月の野は、緑が生き生きと萌え、美しい。


「古志加、一昨日は泣かせてごめん。」


 と難隠人さまは言った。

 こちらを見て、真面目な顔で、


「もう、あんな酷いことはしない。もう、泣かせない。私が大人になったら、私のいもにしてあげる、古志加。」


 とおかしなことを言うので、古志加は目を丸くしてしまった。


「ふふ……。」


 と思わず笑ってしまう。


「笑わないで! 上毛野君かみつけののきみの一人息子のいもだぞ。贅沢させてあげられるんだぞ。」


 難隠人さまが唇をつきだす。


「真剣な話だ。」


 なんだか胸のあたりがくすぐったい。

 古志加は笑顔で自分の胸を、とん、とん、と二回叩いてから、


「では真剣に。あたしは贅沢をしたいんじゃありません。

 難隠人さまのいもにはなれません。」

「古志加、どうして……? 私のこと嫌いなの……?」


 と難隠人さまが驚き、古志加の顔をのぞきこんでくる。

 古志加は優しく笑いかける。


「そうじゃありません。もちろん好きですよ。

 でも、本当に恋うてる人でないと、いもにはなれない……。

 あなたのいもは、あたしじゃない。

 わかるんです。自分の人生には、この人、一人しかいない、って。

 いずれ難隠人さまも、そういうおみなに会って、必ず、わかる時が来ますよ。」

「わかんないや……。」


 難隠人さまはつぶやき、しょぼん、と下を見た。


(なぜあたしは、こうやって言いきれるんだろう。)


 不思議だった。

 でも古志加は、自信たっぷりに難隠人さまにそう言うことができた。









 古志加の胸に、恋いしい人の面影が花のように。

 咲いては散り。

 咲いては散り。

 いつまでも消えなかった。








    *   *   *





 そうやって初日は穏やかにすぎた。

 しかし翌日。

 難隠人さまが藤売のところに、和歌の詠唱をしに行き、退室する間際。


「その目刺めざしの女官は置いていきなさい。あたくしが面倒を見ます。」


 と突然、藤売が言った。

 今日は鎌売かまめはつきそいに来ていない。

 おずおずと、女官の福益売ふくますめが、


「ですがあの、古志加は、難隠人さま付きでして……。」


 と言うが、


「おだまり! だからこそ、あたくしがこの目刺めざしを女官として教育してあげると言ってるんでしょう。

 よろしいでしょう? 難隠人さま?」


 藤売がじろりと難隠人さまを見た。まさにくちなわ(ヘビ)の一睨み。

 難隠人さまは口を開け、古志加を見た。

 その顔は、嫌だ、と言っていたが、そばにいた従者の浄足きよたりが難隠人さまの袖を引き、古志加も笑顔で頷いてみせた。

 無用な衝突は避けるべきだ。

 難隠人さまはうつむき、


「藤売さまに、おまかせします。」


 と声を絞り出した。

 古志加を残して、難隠人ななひとさま、浄足きよたり福益売ふくますめは挨拶、礼をし、退室する。












 ↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330660658352844

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