第二話

 の刻。(9〜11時)


 父と大川おおかわは、知らせを受けて、足早に広間へ向かう。

 道すがら、母刀自ははとじとも合流する。


 広間には、つるばみ色(くすんだ黒)の衣の、五十代のおのこと、

 唐紅からくれないの衣の若いおみなの二人が座っていた。


 父と大川に気づき、立つ。

 二人とも疲労が濃く、土埃にまみれ、衣にところどころ、ほつれ、……いや、剣で切られたあとがあった。


 女は血赤珊瑚ちあかさんご(極上の赤い珊瑚)の首飾り、かんざし、耳飾りが鮮やかだ。


「お初にお目にかかります。あたくしは、河内国大領阿刀宿禰田主かわちのくにのたいりょうあとのすくねたぬしが娘、藤売ふじめと申します。」


 と、手を前にし、腰を落とし、きらびやかな優雅さで、女は礼をした。


 あでやかに笑う、小柄で色白で、美しい女。

 眉に特徴があり、八の字のような形をしている。


碓氷うすい峠で、賊に襲われ、私めと藤売さま二人、命からがら、ここまで逃げてまいりました。

 持ってきた葛籠つづらも何もかも、置いてまいりました。」


 と五十代の男は嘆いた。


「そなたは……、見覚えがあるぞ。」


 と父は言った。


「はい。阿刀家の家令かれいにございます。

 奈良にて、お会いしたことがございます。

 もう二十年以上前にはなりますが……。」


 とその男も礼をした。


「そうか、ならこの郎女いらつめは、阿刀宿禰田主あとのすくねのたぬしどのの娘で間違いないであろう。

 賊に襲われるとは難儀であったな。

 怪我はないか?」


 と父が言う。

 はい、と二人とも首肯する。


「それにしても……、河内国かわちのくにへ使いを送ったのは、つい昨日だ。

 まだ河内国へついていないはずだが?」


 と父が重ねて言う。


「あら……。」


 ふっくらと艶のある唇で藤売が笑う。

 その唇は唐紅からくれないの衣よりまだ赤い。


「使いを待つまでもありませんもの……。

 答えは、わかっておりますわ。」


 さらにつややかさを増した笑顔で、父の奥に控える大川を、ひたと見据える。


「申し遅れた。私が上野国大領上毛野君広瀬かみつけののくにのたいりょうのかみつけののきみのひろせ

 こちらが息子の、大川です。」


 父が礼をした。

 大川は一歩踏み出し、


上毛野君かみつけののきみの大川と申します。」


 と礼をした。

 藤売が大川から視線を外さないので、見つめ合う形になる。父の隣にいた母刀自が、


「あたくしは上毛野君宇都売かみつけののきみのうつめ。大川の母刀自です。」


 と礼をした。

 藤売と家令の男が礼を返す。


「さあ、お二人とも、お疲れですのね、まずは衣を……。あたくしの衣でよろしければ、藤売さま、お着替えになって。」


 と母刀自が笑顔で言い、その場は解散となった。


 父は、そばに控えていた石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきに、


「碓氷峠を調べてこい。」


 と言いつけた。




    *   *   *




 女二人を見送った大川さまは、務司まつりごとのつかさにもどりかけたが、ふと三虎を振り返った。


薫陸香くんりくこうはまだ残っていたか?」

「はい、あります。」


 三虎がこたえると、


「では、手持ちの薫陸香全てと、砂金を一袋、阿刀宿禰田主どのの娘に届けてさしあげろ。」


 と言った。


「はぁ、砂金はともかく、薫陸香、全部ですか?」


 と三虎がきくと、


「そうだ。私の好みは伽羅きゃらだし、さっき目の前にあのおみなが通り過ぎたとき、薫陸香の香りがした。

 普段慣れた香りがあれば、落ち着くだろう。」


 と大川さまはつまらなそうに言った。


 三虎は一人大川さまの部屋に行き、言われた通りに品物を揃えた。



 宇都売さまの部屋にいく。

 阿刀宿禰藤売さまは湯殿とのことで、母刀自の鎌売かまめに言いつけの品を渡した。




    *   *   *




 の刻。(9〜11時)


 古志加こじかは、

 ふぅ、と湯殿で息を吐いていた。


 夜番よるばんあけのお風呂は、気持ちよさがひとしおだ。

 衛士には、一ヶ月ごとに寝ずの夜番がまわってくる。


 ふああ、と欠伸を噛み殺しつつ、難隠人ななひとさまのことを考える。



 難隠人さまは六歳。

 もともとやんちゃな性格だが最近イタズラが激しくなってる。

 原因はわかっている。


 日佐留売ひさるめの不在。


 難隠人さまの本当の母刀自は、難隠人さまを産んで何日もしないうちに、黄泉渡りしたという。

 難隠人さまは母刀自の顔を知らない。


 ずっと母刀自がわりの乳母ちおもである日佐留売が、もう半年もいなくて、さみしいのだ。

 他の誰でも、埋められない。


「はあ……。」


 大川さまが、お見合いをすると噂できいた。

 その人が良い人で、良い母刀自になってくれればいいな……。


「ふう……。」


 でも難隠人さま、やんちゃだからなぁ……。

 大丈夫かなぁ……。


「あはは、ため息ばっかりね、古志加。」


 近くで湯浴みをしていた女官の波古売はこめが言った。


 女官に夜番はないが、早番と遅番はある。遅番の女官はこうして、午前中の湯浴みを楽しむのは自由だった。

 湯殿には、五、六人のおみながいる。


「ふいぃ……。」


 と気の抜けた返事を古志加は返す。


 ううん、弱気はダメだ。


(三虎にも、頑張れよ、って言われたもん……!)


 日佐留売が帰ってきた時に、がっかりさせないためにも、頑張らなきゃ。


 古志加は難隠人さまに気に入られている、と思う。

 毎日お世話をするわけではないが、古志加は気性がサッパリとしていて、女らしくない。

 剣も使える。

 女官姿ではあるが、一回だけ、難隠人さまの武芸の師である、石上部君布多未いそのかみべのきみのふたみと軽く剣をあわせてみせた時には、


「すげぇ。」


 とキラキラした目で見られもした。

 追いかけっこや、布多未ふたみより気軽な武芸遊びに古志加はうってつけなので、よく遊んだ。


 追いかけっこは──必ず捕まえる。

 武芸遊びは──浄足きよたりと二人がかりでこられても、必ず勝つ。


 難隠人さまが機嫌を損ねようが、ギャン泣きしようが、古志加は譲らない。

 手を抜かない。

 それが古志加の誠意だ。

 ……と思っている。



 難隠人さまの寂しさを、どうにかしてやりたいが、これといった妙案も浮かばない。


「日佐留売、帰ってきてぇ……。」


 ついつい、ため息とともに、つぶやいてしまう。




     *   *   *




 湯殿は竹垣たけがきに囲まれているが、竹垣を抜けると、竹林、やぶがあり、カキツバタなどの、色とりどりの花が咲いた、野趣に富んだ庭がある。

 湯殿につかりながら、のんびり庭を眺められるのだ。


 さて、その藪に六歳の男童おのわらはが二人しゃがみこみ、人目をさけてコソコソ話をしていた。

 一人は泣きベソをかいている


「いいか浄足きよたり……。」


 子供らしいふっくらした頬に、きりりと太い眉は、難隠人ななひとである。


「私は……、おみなの乳房が好きだ。」


 難隠人は、くわっ、と目を見開く。


「なぜ隠す。隠さなくても良いだろう。だから──やるのだ。」

「うぅ……。」


 日佐留売ひさるめそっくりの整った顔立ちは、浄足きよたり

 難隠人の乳兄弟ちのとであり、従者である。

 このわらは、ずっとぐずぐずと泣いている。


「やだよぉ、難隠人さま、絶対怒られるよぉ。うぅ、やりたくない……。」

「ばっか、お前、お前はおみなの乳房が好きじゃないのか?!」


 難隠人は怖い顔をし、小声で叱った。


「はい、好きですぅぅぅ!」


 浄足が体をプルプル震わせながら答えた。


「声がでかい!」


 難隠人が慌てて浄足を叱るのと、


「……誰かそこにいるの?!」


 ざわめいた湯殿から、おみなが一人、鋭い声をだしたのは同時。

 ちっ、と難儀人は舌打ちをした。


(見つかった。ためらう時間はない。)


「───けいその一。」


 難隠人は懐から用意していたものを取り出し、思いきり、ぱっ、と湯殿にむかって放り投げた。






↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330660610300777

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