第六章   遊行女の夢なら

第一話  大川、何似幽懷攄、其の二。

何をもちてか幽懷ゆうかいべむ………幽懷ゆうかい(人知れず心の奥深く抱く思い)を、いかにべれば良いのだろうか。



     *   *   *




 六月。


 三虎は思う。


(オレはもう心を偽ったりしない……! おみなに、素直になる……!)


「その熊みたいに太い手を離せ。

 大川おおかわさまの行く手を阻んでいるのがわからないのか、脳無し女……。」


 しもつけの花を大川さまに捧げ、大川さまが受け取る瞬間、その手を素早く握りしめ離さなかった女官が、


「きゃ───っ。」


 と三虎の言葉に悲鳴を上げる。

 大川さまを取り囲んでいた五人の女官が、口々に、


「酷いわ。」

「なんて言い草。」


 と一斉に三虎を非難し始める。


「お前らも言ってほしいかあ?! いくらでも言ってやるぞ、牛、馬、かへる、川魚!

 川藻かわもの匂いがするぞ。

 さっさとあっち行け!」


 と三虎は手で追い払う。

 女官たちはキィキィ言いながら足早に立ち去った。


「……三虎。」


 大川さまが、やれやれ、という顔をするが、


「いいんですよ。あれくらい言って。どうせまた来るんですから。」


 と三虎はにべもない。

 昔は、もっと女官を丁重に扱っていた。

 しかしもう、面倒だ。


 大川さま、三虎、ともに二十二歳。


 十五歳くらいから、こうやって大川さまになんとか近づこうとする女官は増える一方だ。


 大川さまは優しく、それらにいちいち足を止めはするが、風が柳をあおるように、どんな女にもそっけない。


 それでも、大川さまを近く見れれば女たちは満足なようで、屋敷を歩けば女官が。市を歩けば市の女が。

 ため息をもらし、熱っぽい視線をむけ、時には捧げ物をしてくる。


(大川さまは、歩いてるだけなんだぞ……!!)


 そして、大川さまに群がってくる女どもは、三虎が丁重に扱おうと、罵倒しようと、三虎を塵芥のような目で見ることにかわりはないのである。


 大川さまから、しもつけの花を受け取る。


 三虎は行く先々で花瓶を用意した。

 適当に近場に飾るのだ。




    *   *   *




 朝。


 女官たちの部屋で。


「はあ……大川さま、素敵よねぇ。」

「あの麗しいお顔で、名前を呼んでほしいわぁ……。」


 と大川さまの話題で盛り上がる。

 皆、うっとりした顔をしているなあ、と古志加は思いながら、


「み、三虎も格好いいよね……?」


 と、つい言ってしまう。

 十人の女たちは、やれやれ顔でこっちを見て、


「か───っ。」

「あの従者、口が悪いのよ。」

「イヤよねえ、いつも怖い顔して。」

「大川さまと比べたら、月とかへる。」


 と言って、けらけら笑った。

 あぅ、と古志加は情けない顔をする。


(口が悪くて、怖い顔でも、あんなに格好いいのに。)


 わかってもらえない。


「でも、古志加はあの従者が良いのよねぇ。もういい加減、自分から言っちゃえば良いじゃない!」


 女官の一人が、なにげない様子でこちらを見たあと、「これは良い遊び道具」とばかりに、にこっと笑いながら言う。


「あひっ!」


 思わぬ飛び火! 古志加は喉をひくつかせて、変な声を出す事しかできない。いや、思わぬ、ではない。自分からえさをまいてしまった。

 つい三虎も格好良いって言いたくなってしまう、自分のしくじりだ。

 何も答えられない古志加をよそに、他の女官がウキウキした様子で、パッと口を挟む。


「言うって、何をよ?」


 もはや古志加の意志はそっちのけ。


「あたしを吾妹子あぎもこと呼んでください、よ!」

「きゃあ! 自分から!?」

「自分からよ!」


 きゃあ。きゃあ。


 皆、頬を赤くして嬉しそうにきゃあきゃあ言う。

 古志加は顔を真っ赤にして、うつむく事しかできない。

 

(あたしだって……。)


 夢見て良いなら、三虎のいもとなりたい。

 おのこにとってたった一人のおみな

 憧れてしまう。

 でもそれは、夢物語だ。


 三虎の吾妹子あぎもこ。荒弓に確認したら、知るかぎりでは、三虎に吾妹子は一人しかいないそうだ。あの美しい遊行女うかれめ……。


 あたしだって、もし叶うなら、三虎の吾妹子あぎもこにしてほしい。

 そうは思うのだけれど、己を振り返ると、どうも「吾妹子あぎもこにしてもらってる自分」を想像ができない。

 だって、こんなに、どこもかしこもおみならしくないのに。

 あの美しい遊行女うかれめと比べると、あたしはあまりにみすぼらしい。

 あたしのどこに、おみなとしての魅力があるだろう。

 この「自分から言えば良いのよ。」と口にする女官達も、自分達が美しく、たおやかで女らしいからそう言えるのだ、と思ってしまう。

 あたしは女官部屋の皆のなかにいて、あまりに異質だ。蘇比そび色の花のなかに混ざった、棒切れのようなものだ。

 おのこのなかに混ざっているほうがしっくりくるあたしは、とても、恋してます、なんて自分から言えない。

 三虎に、頭をぐりぐりされて、喜んで満足してしまう自分は、やはり吾妹子あぎもこも遠い。


 ……死ぬまでに、三虎が、ちょっと気が向いて、夜、一夜でも良いから、呼んでくれないかな。


 そんな事を思う。

 あたしは卯団衛士で、三虎は卯団長。三虎は、あたしをいくらでも好きにして良いんだから……。

 自分が死ぬまでには、三虎がそんな気まぐれを起こしてくれないかな。

 そう思うことしかできない自分は、随分情けない、と思うが、もっと自分から何か動くべきだ、とも思うが、何もできず、三虎をみつけたら、三虎を見つめる事しかできていないのが今のあたしだ。

 そうだ。

 三虎を見ていたい。

 あの凛々しい佇まい。

 すらりと強靱な筋肉から繰り出される強烈な蹴り。

 狙いすましたところに次々弓矢を放つ指。

 才知の感じられる顔つき。

 表情の乏しい、怖いくらい真っ直ぐ突き刺さる、澄んだ眼差し。

 あたしを叱りとばす時に響き渡る声。

 もっと長い時間、三虎を見ていたい。

 

「ほら、あまりこの子をからかわないの。あまりいじめると泣いちゃうでしょう。

 古志加、うつむいてばっかりじゃなくて、顔をあげて。」


 と福益売ふくますめが助け船をだしてくれた。

 すすっ、と柔らかな動きで近くに来て、あたしの両頬を包んでムニムニしつつ、上をむかせてくれる。

 顔をあげると、優しくにっこり笑う福益売と目があった。


「ね、古志加、また見せてよ、あれ!」


 と明るく言い、手を離す。

 皆も、見たい見たい、と盛り上がる。


「うん。」


 あたしもにっこり笑い、座っていた布団から立ち、トン、トン、と二回飛んだ。

 体をぐいっと伸ばし、体の硬さをとり、全身の気の流れを、手先、足先まで心でピンと確認する。

 そのあいだに、思い思いに座っていた女官たちは、あたしのために部屋の中央を開ける。


「ふ───っ。」


 と声を出さない気合をあげ、

 腰を入れ、

 空中に右の拳を打ち、

 左の拳を打ち、

 足を踏み出し、

 防御の型、

 足蹴りの型……。

 体術を披露する。


 衛士なら皆できることだけど、なぜかこれが皆に大ウケで、


「きゃあ。」

「かっこいい!」


 と皆嬉しそうにする。

 決まって、衛士の濃藍こきあい衣を着てるときだけお願いされる。

 女官の髪型に結い上げてるときは、お願いされない。


「凛々しい若いおのこみたいで、かっこいい。」


 と言われたこともある。

 古志加は背が伸びた。

 そこらへんの普通の男と同じくらいの背がある。

 大川さまや、三虎はもっと背が高いけど。


 衛士のときは、胸に麻布を何重にもまいてるし、おそらく口を開かなければ、男に見えるんじゃないかと、古志加も思う。



「……せっ!」


 後ろに手を付きながら、

 足を真上に蹴り上げ、

 軽く空中で身を回し、着地。

 終了。

 部屋の天井が高くて良かった。

 皆の拍手に迎えられる。




    *   *   *




 父が昼餉を一緒にきょうすと言う。

 大川は思う。


(珍しい。)


 父から、務司まつりごとのつかさの仕事や、上毛野君かみつけののきみの跡取りとしての様々なことを学びはじめ、わらはの頃より一緒にいる機会は増えたが、その務めを除けば、変わらず、母刀自と大川に会うのは、月二回。

 孫……難隠人ななひとともその時に会う。


 かたくなな父。

 愛の乾いた父。


 兄の……広河ひろかわが黄泉渡りしても、変わったところは見受けられない。


 いや、違う。

 酒量が増えた。

 そして、一度だけ聞かれた。


「広河は夢枕に立ったか。」


 と。


「いいえ。」


 と答えた。


「そうか。」


 とだけ返ってきた。

 父の表情は読めない。

 ましてや、その心の内にたてる小波さざなみなど。


 血を分けた息子ではあるが、

 大川には、

 わからない。




    *   *   * 




 縁談の話がきた。


河内国大領かわちのくにのたいりょう阿刀宿禰田主あとのすくねのたぬしの娘だ。

 年は十九。家柄も、年も、釣り合いが取れておる。

 妻とするが良い。」


 淡々と父は告げた。大川は無言で返す。


「まあ、良いお話じゃない、大川。」


 と母刀自がおっとりと言う。


 たしかに、日佐留売ひさるめが出産のため、郷帰りしてはや半年。

 難隠人ななひとのイタズラが手がつけられない、と鎌売かまめが嘆いている。


 そうでなくても。

 潮時か。


「わかりました。お受けいたします、父上。」


 あゆの蒸し物を、味気ない、と思いながら喉に流しこみ、大川はそう言った。




     *   *   *




 その日のうちに、河内国かわちのくにへ承諾の使いがたてられ、屋敷は上を下への大騒ぎとなった。

 あちこちで女官たちが涙を流すところにでくわした。



 しかし、その騒ぎは翌日、もっと大きくなるのである。



 なんと翌日、その河内国の大豪族の娘が、上毛野君かみつけののきみの屋敷へ馬で駆け込んできたのである。








    *   *   *



 ぽんにゃっぷ様から頂戴した、大川のファンアートにとびます。

 ぽんにゃっぷ様、ありがとうございました!↓


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667018703186

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