第五話


 翌年。


 壬子みずのえねの年。(772年)


 ───春。三月。


 群馬郡くるまのこおりの見廻りを終えた、たつ二つの刻。(朝7:30)


 三虎が大川さまと二言、三言、言葉をかわし、


古志加こじか!」


 といきなり声をかけられた。

 馬の世話をしようと、くらをちょうど降りたところだった古志加は、


「ひゃい!」


 とまぬけな返事をしてしまった。


「今から板鼻郷いたはなのさとに行くぞ、墓参りだ。」

「うん!」


 嬉しい! ……あ。


「あの、今から山吹色の衣に着替えても……?」


 おずおず聞く。

 福益売ふくますめから、とにかくおのこの恰好がいけない、また墓参りに連れてってもらえるようなら、おみなの恰好をしろ、


「女を意識させるのよ……!」


 と言われていた。


「はぁ?」


 三虎が思いっきり顔をしかめた。


「わざわざ時間を作ってやってるんだぞ。

 オレは、大川さまの、そばを、離れたくない! すぐ行くぞ。」

「はい……。」


 福益売、……ごめん。




     *   *   *




 二人で馬を駆る。

 ひらっと山桜の花びらが鼻先をかすめた。

 まばらにあちこちで山桜が花咲き、春のうららかさに華やぎをそえている。


「もう夜番よるばんは慣れたか。」


 先に馬を駆る三虎がたんたんと言う。


「うん!」


 この春から、卯団うのだんの衛士見習いから、正式な衛士になれた。

 夜番も始まった。

 少しだが、ろくもでる。

 それが嬉しかった。


 無言となった三虎を盗み見る。

 無表情に前を見てる。


「みっ、三虎、七夕のよろい姿、かっこよかったね!」


 男はほめる、ほめとけば良いのよ、と頷きながら福益売が教えてくれた。

 三虎は眉をひそめ、こっちを見た。


「もう半年も前の話だが。いきなりどうした?」

「だって、言う機会が全然なかったんだもん!」


 つい、古志加から大きな声がでた。

 本当の事だ。

 見廻りの時間、稽古の時間。

 古志加には、ほんの少しの話も、三虎と語らう時間はない。

 皆に聞かれながら言うのも恥ずかしいし……。


「そうかあ? 変なやつ。ほら、黙って前見てろ。」


 三虎はもう、こちらを見ようともしない。

 しゅん。




    *   *   *  




 古志加の家についた。


母刀自ははとじ……。また来たよ。」


 と声をかける。

 風がそよそよとふいて、うぐひすが鳴く。


おみなの恰好じゃないけど、三虎と、来たよ……。)


「元気だぞ。」


 離れて蛙手かへるて(かえで)の木にもたれていた三虎が、唐突に言う。


「えっ?」

「姉上と、緑兒みどりこ(赤ちゃん)。多知波奈売たちばなめ

 なんだか、姉上が何回もお前のことを口にするんだよな。

 ちゃんと面倒見てやれ、って。

 自分が緑兒みどりこ(赤ちゃん)の世話で大変そうなのに、まあ、気に入られてるよな、お前……。」


 今年はじめから、日佐留売ひさるめは、碓氷郡秋間郷うすいのこおりあきまのさとに出産のために帰っている。

 緑兒みどりこ(赤ちゃん)が一ヶ月前に無事に産まれたのは、女官たちから聞いているが、嬉しい便りだ。


(ありがとう、日佐留売。気にかけてくれて。)


「うん、あたし、日佐留売、大好き。」


 ニッコリして、三虎を見る。

 三虎はちょっと驚いた顔をして、口もとが笑った。


「ああ、すげえだろ、うちの姉上は。」

「うん、もっと、三虎の家族の話、聴きたい!」


 本当は日佐留売に、結構聞いてるんだけど。

 三虎の口から、ききたい。

 ニコニコしながら、三虎に近寄る。


「うん、うちは父親が衛士団長だから、家でも強そう、って思うだろ?

 だけど一番強いのは母刀自でなあ。

 何かこう、と決めたら、てこでも譲らない。

 父上はオレには厳しいくせに、母刀自には甘い。

 姉上も母刀自に似て、すげぇ頑固。

 見た目おっとりしてて、一見母刀自と似てなさそうだけど、中身そっくりだぜ。

 オレと兄上はいつも振り回されて……。」


 三虎が口を閉じた。


「古志加、こんな話、楽しいか?」


 複雑な顔をする。


「楽しい! あたし、良い親父、羨ましい……。」

「そうか……?」


 と三虎は首をひねったあと、


「あ、お前、卯団うのだんの皆に言いふらすつもりじゃないだろうな?」


 と三虎の目が光る。


「うん、三虎と布多未ふたみが日佐留売にいつも振り回されてるなんて………。あふぁふぁ!」


 三虎に、むにーっと頬をつねられた。


「変な顔っ!」


 三虎が遠慮なく笑う。

 あまり顔の表情は動かさず笑うのだが、笑い声は豊かだ。


(ちょっと、ひどくない?)


 古志加は、う──っ、とうなって三虎を睨みつけた。

 三虎がまだ肩を揺らしながら、気軽に古志加の頭に手を置いた。


「よしよし。」


 ぐりぐりと頭をなでられる。

 古志加は急に大人しくなる。

 長い。

 顔が赤くなる。


「姉上がぬけて、難隠人ななひとさまの世話も大変だろ。がんばれよ。」


 日佐留売が帰ってくるまで。

 古志加は五日間、女官として務め、四日間、衛士として務めている。


「うん。」


 頭のぐりぐりは続いている。


(すごい長いぐりぐりだ……!)


「衛士としてもがんばれよ。稽古の時間も削られて、もどかしいだろうが、弓は上達しろ。」


「うん……。」


 痛いところをつかれた。声が小さくなる。


「返事が小さい。」

「はいっ!」


 三虎が、はは、と笑い、頭から手を離した。


 三虎は軽くしか笑ってないのに、古志加はその笑顔に吸い込まれそうだ、と思った。


「行くぞ。」


 三虎はもう、くるりと背を向けて、馬をつないである栗の木にむかう。

 もとどりに挿した黒錦石くろにしきいしかんざしが、銀と紅の細い線を内包しながら、黒く輝く。


「はい、三虎……。」


 背中にむけてつぶやく。沢山頭を撫でられた。嬉しい。だけど、


「あたし、もう十六歳だよ……?」


 ずいぶん前を歩く三虎が、


「寒っ!」


 と肩を震わせた。

 三虎には、十歳のわらはと変わらないように見えてるんだろうか……。




    *   *   *





 板鼻郷いたはなのさといちによる。すぐに三虎は、


「いつもの握り飯買っとけ。」


 とにしきの布を古志加に渡して、


「じゃあ、市のはずれで、またな。」


 と、さっさと市の人波に消えてしまた。


(……かんざし、買って欲しい、って言う計画だったのにな。)


 と、ちょっとしょんぼりしながら、握り飯を十九個買って、市のはずれにむかうと、三虎がもう先に来ていた。


「ほらよ。」


 と大きめの土師器はじきの壺を古志加にさしだした。


白酒しろさけ。好きだろ?

 正式な卯団衛士うのだんえじになれたお祝いだ。遅れたけど。」


 と三虎が無表情に言った。古志加は息をのんで、


「うん、好き。ありがとう。」


 と満開の笑みになった。

 白酒が好きだと、三虎に言った覚えはない。

 二年前、薩人さつひとと市歩きをした時に、喜んで飲んでただけだ。


(見てたんだなぁ。覚えててくれたんだ。)


 そう思うと、三虎を見つめ、


「えへへ。」


 と声まででてしまった。

 三虎がムッとした顔で……普通の顔だけど……。


「あんまりアホ面で笑ってんなよ。山鹿にそっくりな顔になるぞ。」


 と言って馬にひらりとまたがった。


「ひ……ひど!」


 古志加は頬をふくらませて、あわてて白酒と握り飯の柏葉を馬の鞍にくくりつけた。

 帰路につく。



  

 

 ────日佐留売ひさるめ

 せっかく、三虎に恋してる、って自覚したのに、わらは扱い、部下の衛士としての扱いで、全然、おみなとして見てもらえないよ。


 でも、それでも。

 三虎に気にかけてもらって、満足だ。


 あたしは、ダメダメだ……。


 あの金のかんざしをさせる日なんて、来るのだろうか……。













 きんくま様からファンアートを頂戴しました。

 きんくま様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074566754783

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