第四話
「そこのお二人さん!
ありがたいお坊さんが、特別な
声をかけてきたのは、ノビルの塩漬け売りの
「限られた数の、とくに救いを必要とした人にしか、授けてくださらない御札ということさ……。
こっちについてきておくれ。」
「そのようなこと、頼んでないのですが……?」
「ありがたいお坊さんには、わかりなさるのさ。
ね? うちのノビルを食べれば、いいことあるだろ……。」
と
くるりと背をむけ、こちらを振り返る。
「来ないのかい?」
「行きましょう。」
薩人が
* * *
二人、
どんどん人気のないほうへ。
木々が多く、やがて山すそへ。
「まだですか?」
「あんまり、ありがたい御札なので、人が多いところでは授けられないのさ。人が群がってしまうからね……。
ああ本当に、お二人さんは運が良い……。」
やがて、山の奥まったところに、
小さなお堂が見えてきた。
(あそこかな?)
と古志加が思っていると、目の前を歩く薩人が、いきなり立ち止まった。
どうしたの? と言おうとして、
なぜか声がでない。
薩人が、ぐらり、とかしいで倒れた。
あ、という間もなく、古志加も気が遠くなり、倒れた。
* * *
遠く近く、どこかで犬が吠えている。
もっと近くでは、
手のひらが肌を打つ音もする。
いや、少し違う。
家にたむろしていた
冬寒く、夏は蚊に悩まされた。
ある日、
「苛められているの?」
と心配で、母刀自に訊ねたことがあった。
母刀自は、違う、と教えてくれた。
どういうことなのか……。
その、聞いてしまった声に似てる……。
はっ、と目が覚めた。
古志加は、腕と足を縄で縛られ、木張りの床の上に寝かされていた。
頬が床に触れ、冷たい。
中は暗い。
明かりとりが、建物の上の方にしかない。
「古志加、見るな。」
自分の目の前に、転がされてる薩人の背中が見えた。
(見るなって、何を……?)
薩人の肩越しに、ノビルの塩漬け売り、あの馬面の
その上に、これまた馬のように黒い人影が覆いかぶさっている。
大きく口を開け、
あごには
なんだあれ……。
気持ち悪い……。
「ああ、ありがとうございます、
ありがとうございます。」
人影から離れ、衣を着はじめた。
「気がついたか。」
人影は
馬面の
その三十代の
* * *
薩人は、自分の後ろで転がされている古志加が、ひっと息を飲み、そのままドサリと木張りの床に倒れたのを感じた。
いまだそそり
男は
「ふふふ、気を失ったか。初々しい若妻ではないか。」
と上機嫌で言った。
薩人が睨むのを察して、
「ああ、心配せずとも。
先程の
可哀想な
あの顔だからなあ!
これは人助けなのだ。」
「縛ってる縄をとけ。」
薩人は言う。
「無知と迷妄に、十重二十重に包まれた者よ。
おまえを煩悩の火が昼夜燃える世界から、解き放ってやろう。
ことごとく、苦悩の海を乗り越えさせよう。」
薩人にかまわず、スラスラ言葉を紡いだ男は、そこでわざと言葉を区切って薄くほほえみ、薩人の顔を凝視して言った。
「これから、この中に野犬を放つ。
そなたらのうち、一人だけ助かる。
どちらかの命を犠牲にすることによって、残された者は、自分がどれだけ愛されていたか知るだろう。
犠牲となった者はみ仏のそばに行くことができる。
「お前は狂ってる。」
薩人は言う。
お堂の外に、野犬の唸り声が聞こえる。
四、五匹? もっと?
「なかなか凡人には理解してもらえぬ。
さあ、どちらが犠牲となるのだ。」
薩人は古志加の前から動かず、少しも迷わず、くい、と己のあごを上げる。
「はは、そうよなあ!
それだけ初々しい、にこ草(柔らかい若草)のような若妻ではなあ!
なかなかここで……、
そなたは凡人でも、徳の高い
薩人は男を睨みつけたまま、
「オレにはわかる。
おまえが妻を生かしておくとは思えない。
どうする気だ。」
と低い声で聞いた。
男は口の端を釣りあげ、
「どうもせぬ───。
といつもなら言うところだが、おまえの勇気にめんじて、教えてやろう。
おまえが、野犬に食い殺されるのを見届けたあと、すぐに
命を捧げたお前を追って、
と、明かりとりから、
ビン!
と弓弦を弾いた音がし、
弓矢が
男が、ぎゃっ、と悲鳴をあげ、バタンとお堂の扉が開いた。
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