第二話  はちすの花びら、其の一

 三虎みとら古志加こじかと手を繋いで、卯団うのだん広庭ひろにわへ戻った。

 わらはは三虎の衣を着て、鼻の頭をすりむき、声が、えっ……、えっ……、と泣いたあとがある。

 十六人のおのこがざわめきたった。


「三虎……!」

「なんてことを……!」

「無理やり、無理やりはいけません!!」


「ばかやろう!」


 三虎が大声で怒鳴った。


「こいつおみなじゃねえか!

 どういうつもりだ!

 今まで気づかなかったのかよ、バカ!

 まさかお前ら……。」


 そこで三虎は全員をにらみ、


「変なこと、こいつに……!」


 手をつないだ古志加こじかが、


「変なこと、ってなあに?」


 と三虎に聞いた。

 皆は、してない、してない、と首を振る。


「ちゃんとおみなの住まいに行かせるべきだろ、お前らどうして……!」


 だってねーぇ、と皆が顔を見合わせる。


「朝一番に白湯さゆいれてくれるしねぇ。」

「掃除も洗濯も気がきくし、警邏けいらから帰ってきたら、あったかい足湯用意してくれるしねぇ。」

「あの温度いいよねぇ。」


「ばか───ッ!」


 三虎が声をかぎりに叫んだ。


「あたし、他の住まいに移されちゃうの?」


 と古志加こじかが言い、薩人さつひとが、


「三虎だって気がつかなかったじゃん、あれだけ一緒に寝てて。」


 と言った。


「ばっ……、あっ……?!」


 三虎は目を白黒させる。

 ……あの古志加こじかの髪の匂い!

 赤ちゃんみてぇだ、なんて呑気のんきに思ってたけど、あれおみなの匂いじゃねえか!

 オレなんで気がつかなかったんだ。

 女童めのわらはと一ヶ月近く、一緒に寝てたってことなのか……。

 嘘だろ……。

 自分のしてたことがにわかに受け入れがたい。

 本気で目眩めまいがした。


「とにかく、もうここには置いておけん。

 姉上のところへ連れてく!」


 と宣言すると、古志加こじかが、


「やだ、あたし、ここにいたい、皆と一緒にいる。どこにも行きたくない……!」


 と叫び、うわぁん、と泣きだした。

 皆がホロリとした顔をする。


 古志加こじかがその後もずっと、


「あたしを捨てないで。ここにいさせて。」


 と泣き続けるので、皆が一緒に日佐留売ひさるめのところについてってあげると言い、そこでようやく古志加こじかが頷いた。





     *   *   *





 一歳となった難隠人ななひとさまがヨチヨチ歩きをして、木で作った魚のおもちゃを掴んだ。


「そうそう、お上手。」


 日佐留売ひさるめが笑顔でほめる。

 日佐留売ひさるめは十九歳。

 おっとりと、優しげな顔立ちの美女だ。

 ぬばたまの実のような黒々とした髪が、たっぷりツヤツヤとしている。

 同じく一歳の浄足きよたりが、ヨチヨチ歩きで難隠人ななひとさまを追いかけ、


「うー、あ!」


 難隠人ななひとさまのおもちゃを掴んだ。

 日佐留売ひさるめが制止する間もなく、


「あぅ!」


 難隠人ななひとさまが魚のおもちゃから浄足きよたりの手を引き剥がし、ついで浄足きよたりの額を手でぺちりと叩いた。

 ぎゃあん……。

 と浄足きよたりが泣く。


「あぁ……。難隠人さまのものをろうとしちゃダメですよ、浄足。」


 と日佐留売は我が子、浄足を抱き上げた。

 難隠人さまをひょいと抱き上げたのは、父である大川おおかわさまだった。


「喧嘩はダメだぞ、仲良く遊びなさい。難隠人。」


 怒られてるのがわかり、難隠人さまが、


「あぅあぅやッ!」


 と体を突っ張って暴れた。

 大川さまは穏やかな笑顔で、


「はは……元気な子だなあ。」


 と自由にしてやる。


 ここは本来は、大川さまの妻の部屋だが、大川さまは妻を娶ろうとしない。

 なので、乳母ちおもの日佐留売がこの部屋で難隠人さまと浄足の世話をする。


 今、この部屋には、日佐留売と二人の緑兒みどりこ(赤ちゃん)、一人の女官、大川さまの、五人がいる。

 

 大川さまは、髪の毛を下半分垂らし、胸下まで黒い絹糸のような髪を、真っ直ぐ流している。上半分は小さなもとどりを結い、銀花錦石ぎんかにしきいしかんざしを挿している。

 銀花錦石は、鮮やかな白、橙、白濁した白、くすんだみどりが絡みあった貴石で、そこに花咲く銀色の模様が閉じ込められた、不思議でなんとも美しい石であった。



 大川さまは、今日、奈良から帰られたばかりだ。

 昼餉ひるげ母刀自ははとじである宇都売うつめさま、息子である難隠人さまと一緒にとったあと、時間を作って、こうやって難隠人さまと遊んでくださっている。


(良いお父上だわ……。)


 並のおみなよりきらきらしい容姿の大川さまを、息子の乳母ちおもとして、つつましく日佐留売は見る。


 ……心のなかは、誰にも知られてはいけない。










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078355221964

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る