第29話 アメさん
最近、戦前における銀座の様子が知りたくて、「銀座15番街」編集部編『秘蔵写真で綴る銀座120年』(第一企画出版、1995年)と題した古書を入手し、そこに掲載されている写真を眺めました。
その中で印象的なのは、日本が戦争に負けて、米軍を主力とした連合国軍が日本を占領した際の写真です。
おびただしい数の戦車、大砲、兵隊を満載したトラックなどが、力を見せつけるかのように、銀座の大通りをパレードしています。
また、和光、松屋、伊東屋が接収されて、PX(post exchage = 駐屯地売店)、つまり米兵のための販売所となりました。
伊東屋(大型の文具店)のシャッターには、「米陸軍第1騎兵師団」のマークが、デカデカと表示されています。
こうした写真を見ているうちに、「アメさん」という言葉が、頭に浮かんできました。
昔、私の両親(いずれも故人)が使っているのを、何回も耳にした記憶があります。家内も、この言葉を聞いたことがあるそうです。
「アメさん」とは、アメリカ人のことです。
ご存じのとおり、日本は広大な太平洋で米国と死闘を繰り広げた挙句、敗れたわけです。
そして日本は、1945年から1952年(サンフランシスコ講和条約発効)まで、連合国軍(実体は米軍)の占領下にありました。
つまり米国は敵国であり、また、日本の歴史のなかで唯一、短期間とはいえ日本を占領・支配した国です。
戦中、日本政府は「鬼畜米英」などと、米国に対する国民の敵愾心を煽りました。
ところが、「アメさん」という言葉から敵愾心は感じられず、むしろ、どこか親しみがこもっているような節もあります。
敗戦を契機に、日本人の対米意識は、180度転換したともいわれます。
本エッセイは歴史を語ることが趣旨ではないので、これ以上、日本人の対米意識には触れませんが、「アメさん」には、米国に対する親しみと、少し屈折した意識が反映しているように思います。
そういえば、歌謡曲の「東京の花売娘」(佐々詩生作詞、1946年)には、「粋なジャンバーの アメリカ兵の 影を追うよな 甘い風」という一節があります。
この歌の中でも、米兵は決して憎しみや敵愾心の対象ではありません。
突然で恐縮ですが、ここで「
1926(大正15)年生まれの父が時々使っていた言葉です。さすがに、母は使いませんでした。
■ 露助:(russkii ロシアの転訛か)ロシア人をあざけっていう語。(『広辞苑 第7版)』
「アメさん」とは違い、「露助」には明らかに侮蔑の意味が含まれています。
この言葉がいつから使われていたのか、私は知りません。日露戦争以降なのか、それとも、日本の敗戦時に起きた「シベリア抑留」や「北方領土の不法占領」などが背景にあるのでしょうか?
「アメさん」も「露助」も、今や死語と化しています。
余談ですが、毎日のように、ウクライナに対するロシアの侵略や蛮行に関する報道に接していると、ロシアという国は、その政治体制は変わっても、好ましくない体質は少しも変わっていないように感じます。
エッセイ「ことばの過去帳」 あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0
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