夢の鍵 おバカな妄想日和

北条むつき

夢の鍵 おバカな妄想日和

 無い、無い! 無い! どこへ行った!


 進次郎は自分に問うていた。夢に必要な鍵をなくした。

 必死に思い出そうとしている今この瞬間。鍵さえあれば夢に近づくのにと。


 これまでも何度も夢に見た。叶えるために十代の頃から必死に書いてきたんだ。だだが、見当たらない。まるで老人が死を迎える時のように、静かに何かを悟るように座り込む。


 夢に満ちた人生を送れると思っていた。その鍵が思い出せない……。

 夢とは作家になること。ある文学賞へ応募すべく書きためていた原稿用紙を入れた引き出しの鍵が無い。これから叶うであろう夢の鍵を無くしたようにも感じる。応募日にも関わらず無くしてしまったと、痛烈に唇を噛み締めていた。事故にあった訳でもない。ましてや病気なんかでもないと、早朝に行った医者の判断だ。


「たまにはそういうこともありますよ」


 CTなどの一通りの検査の後、呑気に答え診察する医者も、暑さでダルそうに答える声だけは覚えているのに、夢に近づく鍵を無くしてしまった。昨日、酔っ払って帰った際、何処かに置いてきてしまったか。


 明日になれば思い出すだろうか。それではダメだ。応募日は今日だ。

 待て。冷静に考えろ。原稿用紙のありかはわかっている。大事な物だと思い、鍵付きの引き出しにしまい込んだ。確かに原稿用紙はあり、応募するための封書も書き揃えてある。今時珍しいかもしれないがデータではなく郵送で送らないといけない作品だ。


 パソコンにはデータはある。だが、起動した瞬間だ。パスワードと聞かれるウインドウ画面。起動キーすらも覚えていない。先日調子に乗って、パスワードを変更したが、記録し忘れた。


 住んでいる場所は、昭和に建てられたと見られる築年数のある建物。近所には変な輩も住んでいると知っているから、大声で叫ぶことすら躊躇う。

 時は刻々と過ぎ、応募に間に合う期日は本日午後。鍵がないことを思い出せずに、病気かと通院までした。医者でさえも呆れ顔で応える。


 ならば尚更、人生を諦めようかとも考えるのも不思議ではない。探し物や思い出しをするときは、掃除に限ると医者の言葉に耳を貸し、窓を全開にして既に一時間が経過していた。


 どうすればいい。これにはほとほと参り、へなへなと机の前にしゃがみ込むしかできずにいた。


「あああああああ!」


 近所迷惑になろうが、何をしようが、叫んだ。全てに於いて肝心の引き出しの鍵、パソコンの起動キー、夢への鍵が閉じられたと感じているのだ。

 王手、否、詰みと言うべきか。


「あっ」


 思わず声に出した。さっきから夢の鍵とか、机の引き出しの鍵とか起動キーとか言っている自分が、正にカギなんじゃないかと。冷静に一息つこうと開けた窓の外を眺める。


 外を見ると、ただ平凡に青い空が広がっていた。風が吹くと我にかえる。

 そもそも夢の鍵なんてものはなかったのではと。そうだ。そうすれば鍵なんて物を無くしても良い。机の鍵も、夢への鍵も。飛び降りして死ねばそんな鍵など必要ないものと。


 だが瞬時に冷静を取り戻す。ここはアパートの二階。落ちたところで死にもしないし人生の夢も壊してしまうと。壊す?


「あっ」


 空を見て笑った。近所迷惑など関係なく高らかに笑う。また我にかえる。鍵を無くしたのならば、壊せば良いと。今更冷静にアホくさく感じ笑う。


 まずは引き出しを強引に壊そうと引き上げる。数ミリほど前に出るが、鍵のせいでビクリともしない。では、これはどうだと、拳で殴ってみた。これもアホの所業だと気づくにはまだ冷静さが無かった。


 天井を見上げ、近所迷惑など関係なく、口を大きく開け、眉間にしわを寄せ叫ぶ。アホくささを感じる。


 今度は部屋の中から、引き出しの鍵とは別のアパートの部屋の鍵を出し、鍵穴にぶっ刺すが回らない。

 あえなく撃沈。またまたアホくさい。部屋にある頑丈な扇風機を持ち上げ、机ごと壊してしまえと、ピッチャーが豪速球を投げるモーションで、振りかぶり机に叩き落とした。


 割れたのは机の引き出しではなく、扇風機の底の丸い部分。木製の机とプラスチックでは、木製の机に軍配が上がった。ただ少しガタつく。あと少しで引き出せると。


「あっ」


 今度は机上のパソコンに目がいく。この頑丈なパソコンを投げつければ、鍵が壊せ、引き出しが開くのではないかと。


 しかし今朝、応募する原稿用紙が入っている引き出しの鍵を無くした時点で医者に通い「引き出しの鍵のありかが思い出せないんです」と言っている時点で冷静さは無い。


 ではどうすればいい。このまま応募せずに新しい物語を来年の応募へ向けて紡ぐか否か。

 半開きのパソコン画面の起動キーすら思い出せない自分にイラつく。足を床に何度も上げ下げしてじたんだを踏んだ。


「うるせーぞ!」


 流石にボロアパートだ。下階から平日の昼間にも関わらずおじさんらしき図太い声がした。

 多分そのおじさんは無職だ。家賃、共益費込みでも二万もしないこのボロアパートにだ。


「あっ」


 ボロ? ボロだって? 自分の考えに驚愕し、目を見開き、部屋に備え付けの小さなキッチンシンクに目がいく。


 ふと、この鍵の周りをボロボロにすれば、引き出しが開くのではないかと。

 シンクから包丁を取り出したが、この尖を見て思う。もし刃が折れて自分の額に刺さってしまえば、引き出しの鍵や夢の鍵などと言っている場合でもないことに気づく。


 ダメだ。尖り過ぎては夢より人生そのものを失くしかねない。

 包丁をシンクへ戻すと、また机上のパソコンに目がいく。包丁より尖りがなく、そして頑丈な物。


 そうだ。アホらしいとは感じたが、パソコン自体も壊すことなく、鍵自体を壊せるのであれば、やはりパソコンしかないのかとも思った。しかもパソコンの平面ではなくパソコンの丸み帯びた形状の角だということに。


 小さな部屋だが、小走りで机の前に戻ると、起動画面のパソコンをシャットダウンして持ち上げた。


 どうかこれで引き出しの鍵も、原稿用紙も送れ、応募する作品もうまく行き、夢への扉の鍵も開きますようにと、目を瞑り祈った。

 その瞑ったまま方向を定めパソコンの角で、引き出しの側面にガツンと衝撃を与える。


 目をカッと見開けば、まさしく引き出しの鍵から横数センチの、丁度出っ張りの角部分にヒットした。

 目を瞑っていても上手くいくとは、今後の人生や夢も上手くいくはずと思い込み、今度は目を見開き、小さくパソコンを自分の体の方へ引き戻し、叩きつけるように引き出しの角へ打ち付ける。

 何度も繰り返していくと音が微妙に変わっていくのがわかる。


 もう少し、もう少しで、この引き出しの鍵が壊れる。壊れると応募作品の原稿用紙が引き出せるのだ。必死の形相で、ガツガツと音を響かせた。

 重い音から軽い音、まるで電動ドリルが貫通したような、一瞬先が突き抜けるような感覚を味わうと口角を上げた。同時に夢から冷めるように一言。


「あっ」


 引き出しが前方へと流れ、ゆっくりと少しだけ前方に開いた。手で引けるような感覚がすると、持っていたパソコンを机上に戻し、笑みを零しながら、両手で力一杯引き出しを引く。


 するとどうだろう。これほどまでに簡単に引けるのかと、引き出しは勢いよく音を立てて引き出され、前方部分は無残にも蝶番が外れ、何かが飛ぶ感触と、前方部分がブラリと垂れ下がる感覚を味わった。


 嬉しさに声を張り上げ叫ぶ。引き出しの中へと手を入れる。そこには原稿用紙を入れた封筒のザラついた感触がある。掴むと手に取り出した。また叫ぶ。


 掴んだ手にある物は、まさしく夢を手にする原稿用紙が入った封筒。もちろん住所や氏名などは記載済みの物だ。

 ホッと一息入れよう思ったが、時計を見ると時刻は午後一時を回っていた。応募作品の書き上げが遅くなってしまうことを考慮して、近所のポストの最終集荷時間を事前に確認していた。

 時計を確認すると、もう十分も無い。急いで靴を履き、原稿用紙を持ち、そのまま部屋を出た。


 近所のポストまでは歩いて十分。急げば間に合うと思い走り出した。アパートの大家さんが庭先におり、声をかけるが「すぐ戻ります」と一目散にポストを目指した。息を上げながらポストまで走りきると封筒を投函した。

 これで一安心。ゆっくりと家路へと歩き出す。数十メートルポストから離れたところで、切手を貼っていないことに気づいた。


「あっ」


 後ろを振り返るが、後の祭り。その場で地面を蹴釣り、自分自身で痛みを味わったが何も解決しない。

 あと数分で集荷時間だ。集荷が来れば、切手を貼ってと思ったが、財布を持って来ておらず、ポスト周辺に郵便局はおろか、コンビニすらない。


 走ればアパートまで数分だ。戻ればポストとは逆方向にコンビニが一件ある。

 時間は無いがその手に掛けてみることにした。必死にアパートへと戻ると玄関の扉を開けた。


「あっ」


 玄関の鍵もかけずに飛び出したことを思い出した。アホだと。鍵! と今度は机の引き出しにぶっ刺したであろうアパートの鍵を探したが見当たらない。

 時間は刻々と迫っている。


 机上のパソコン横にある財布を取り、ポストとは反対方向のコンビニへと急いだ。切手を購入し、オリンピック選手並みに走ろうと決め、歩けば十分以上かかるところを数分で着いた。だが待てども集荷が来ないことにイラついた。


「あっ」


 否、あっでは無く。『あーあ』だ。これで夢の扉は開かれたと思ったのに、自分がアホすぎて青空に吠えた。その時だった。


「あっ」


 音が聞こえる。車の音、しかも赤い色。まさしく集荷の車。ポスト前に停まると郵便局員らしき方が降りてきた。


「あっあの」


 思わず出た言葉が辿々しい。訳を話すと郵便局員はポストを開け、封筒を渡してくれた。

 これで大丈夫だ。夢への鍵を一つ開けることができるかもしれない。受かればの話だが、出せたことにホッとした。


 集荷の方にお礼を言い、アパートへの足取りは軽い。思わずスキップをしたい気分でアパートに戻る。と、大家さんが庭先で仁王立ちをしていた。

 聞けば、下階の住人から苦情の電話があり、アパートに来ていた。やはり下階の無職であろうおじさんかと思い、悔しいが大家さんに謝りを入れた。

 鍵のかかっていない玄関から入る。鍵を探そうと部屋中を隈なく探すが、一向に見つからない。悔しさのあまり雄叫びを挙げた。


「うるせーな!」


 また下階の住人のおじさんの声がする。だが、今度は下階からでは無く、玄関先からだ。後ろを振り向くと四十代であろうおじさんの姿。


「これお前のところの玄関の鍵だろ?」

半分怒りながら半分優しく、声をかけてくるおじさんの手には、鍵が握られていた。


「あっ」


 それはまさしく探していた鍵だった。


「あっありがとう」

「庭に落ちてたよ。それとな、うちさ、今、昼飯食べて、赤ん坊が夢の中なんだよ。静かに頼むな」


 おじさんにとっては、うるさいという事がカギで夢の邪魔だった。


「あっごめんなさい」と素直に謝った。

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