第40話 佐々木の想い


 教室のドアが勢いよく開けられる。そこには息が上がっている佐々木くんがいた。


 「楓ちゃん! 太一見てない?」

 佐々木くんが慌てた様子で、私を呼ぶ。

 楓は急いで佐々木のもとへ駆け寄る。何かあったに違いない。


 「どういうこと?」

 楓も慌てた口調で聞き返す。

 「いや、太一と仲良いのかなと思って……」

 「ごめん、そんなことより、太一くんに何かあった?」

 楓は早口で捲し立てる。早く状況が知りたかった。

 「あっ、なんか、松葉先生が中学の時の話が聞きたいって呼んでるよって伝えたら、走り出しちゃって。見失っちゃったから、どこにいるかなって」


 最悪だ。きっと、太一くんの過去を知っているのは、私だけだ。

 太一くんの気持ちは考えるまでもない。

 私しか、今の太一くんの理解者になれない。

 「1箇所、思い当たる場所があるから、着いてきて」


 楓は、佐々木くんと共に、ある場所へ向かう。それは、高校に入るまではほとんど行ったことのないような場所。それなのに、高校入学後は、よく行っていた場所だ。


 「やっぱり、楓ちゃんは、太一と仲良いんだね。もしかして、つき……」

 「佐々木くんは、太一くんの中学の話って知ってる?」

 楓は、佐々木くんの話を遮って聞いた。


 「いや詳しくは知らない。でも、あいつオレらの世代で野球をガチでやってる人の中では、有名人だからな。推薦取り消しになったことくらいは聞いたことはある。やはり、それと関係あるのか?」

 楓は、太一の過去を佐々木くんに話した。楓の中で、佐々木くんは太一くんの話を聞いても、太一くんのことを信じてくれると思ったのだ。

 絶対後で太一くんに怒られると思う。それでも、今やるべきことは、太一くんが間違った選択をしないようにするために、太一くんの見方を1人でも増やすことだった。


 「なんだよ、それ。ひでぇ話だな。」

 楓の読みは正しかったらしい。佐々木くんは、太一くんの話を聞いて怒り心頭という様子だった。


 そして、もう1階上に階段を登ると、おそらく太一くんはいる。

いつもの場所だ。

 「太一くんを信じてくれて、ありがとう。この上に太一くんはいると思う。一緒に行って太一くんを説得するの手伝って。お願い。」

 「ああ、もちろんだ。行こう。」

 2人は階段を登り始めた。


ーーー


 階段を登ると、太一は段差に腰掛けて、うずくまっていた。とりあえず、間違えた選択をしていないことに安心する。


 「太一……」

 佐々木が声をかけようすると、太一はこれを遮る。


 「本当にごめん。本当にごめんなんだけど、もうほっといてくれないか。俺はもう何もできない。何もするべきじゃないんだ。」

 太一の声は疲れ切っていた。昨日グラウンドで大声を出していた姿は、もうそこにはなかった。


 オレにとって、太一は特別な選手だ。たとえ、会ったことは1回しかないし、高校入学で同じクラスになったことに気づけなかったとしても。

 「なぁ、オレがお前に一度試合をしたことがあると言ったな。あれは、リトルで県大会の決勝戦の時だ。」

 佐々木は、床に座り込んで話し始めた。


 オレは太一に負けるまで、自分の出来る範囲を決めてしまっていた。つまり、挑戦を避けてきていたんだ。どうせオレにはって。

 でもな、あの時。決勝戦の最終イニング、2アウトでオレに打順が回ってきた。ランナーが2塁にいる。オレが1つヒットを打てば、同点に出来るチャンスだった。


 オレはこういう場面で、インコースに投げられない。なぜなら、インコースは、多くの打者が得意とするコースだからだ。一般的にも、大事な場面でインコースは避けるべきと教えられるだろう。だから、オレはアウトコースの変化球に絞っていたんだ。

 それなのに、太一は、インコースに投げた。インコースにストレートを3球。

 相手は将来を有望視されている有名人だ。初めからもしかしたら打てるかもくらいにしか思っていない。だから自分が打てなかったことには何も驚きはない。

 オレはその配球に驚いた。どうしたら、そんな挑戦的な配球ができるのだろうと。

 ピッチャーは、1球で勝負が決まってしまうという責任を背負って投げている。必ず、どんなプロ野球選手も、打たれるかもしれないと思ってマウンドに立つはずだ。それなら、危険な配球は出来ない、出来るはずがない。それが自然な考えだろう。それなのに、どうして。


 佐々木は、床にあぐらをかいて、続ける。

 「オレは、試合の後に、お前に聞きに行ったんだよ。どうして、あの場面でインコースに3球ストレートなんて投げられるのかって。どうしたら、お前のような投手になれるのかって。」


 今思えば、オレは、挑戦的な選択が出来ない、殻にこもっている自分を変えたいと思っていたのかもしれない。

 「そう聞いたら、太一、お前はなんて言ったか覚えてるか?」

 太一は黙って俯いたままだ。


 「俺は挑戦的な選択とは思っていない。俺はインコースへの全力ストレートが一番いい球がいくと信じているから、重要な場面ほど、信じた球に頼るんだ。だから、あの場面であの選択は、俺にとって自然な選択だよ。」

 オレは、衝撃を受けたのを覚えている。考え方から違っていたのだ。

 さらに、太一は続けたんだよ。

 「君も、自分を信じればいいんだと思うよ。世間で言われている安定な選択は、必ずしも君にとって安定な選択とは限らない。自分の力を信じると、自分にとっての最適な選択肢が見えてくる。もっと自分に自信持った方がいいよ、せっかくいい球投げてるんだから。」


 プロ野球選手や監督に相談すると、一言でモヤモヤとした気持ちが晴れて、何を今まで悩んでいたんだとバカらしくなる時がある。オレは太一と話した時、同じ感情を抱いた。


 オレが今まで挑戦できなかったのは、オレが自分のことを信じていなかったからだったのだ。レベルの高い学習塾に行った時も、レベルの高い野球チームに入った時も、入った直後は、自分のレベルと周りのレベルに差があるのは当たり前のことだ。それなのに、そこから成長する自分を信じてやれなかった。その環境でも活躍する自分を信じることが出来れば、初めは辛くても、成長を信じて努力できたはずだ。


 きっと、太一はその繰り返しで、自分が100%信じる自分に成長して、瀬戸際な場面でも自分を信じて選択が出来るんだ。

 「オレはな、太一。お前の話を聞いて、自分の限界は、自分で決めないって決めたんだ。だから、オレは自分の学力より上だったこの高校を選んだし、推薦をくれた高校よりも、強豪の高校を一般受験で選ぶことにした。」


 佐々木は、太一を見つめて話す。

 「オレはな、お前に感謝してんだよ。だから、オレは昨日の入部テストで、インコースにストレートを投げて欲しかった。お前は変わっちまったのかって、すごく残念だったんだ。でも、さっき楓ちゃんからお前のことを聞いて、オレはまだあの時の太一は居るんだって思った。オレはまた、あの時のお前と、本心からのお前と、もう一度戦いたいよ。勝ち逃げなんて許せねぇよ。」


 太一は肩を震わせている。鼻を啜る音も聞こえる。

 「それにさ、太一の親父さんが言ってることは正しいよ。『ピッチャーは、チームから信頼された人が出来る』というやつ。でも、お前の考えは間違えてる。」


 太一の様子をお構いなしに、続ける。

 「信頼される奴は、信頼してる奴だよ。ピッチャーだって、他の奴らを信頼するから、自分のバックを任せられるんだよ。信頼してるから、キャッチャーに思いっきり投げられるんだ。野球は1人だけで戦ってるんじゃない。そして、それは野球だけじゃなくて、学校も同じだろう?」


 佐々木は、「俺たちを信じてくれ」そう言って太一に問いかける。



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