第5章 悪夢再び

第39話 異変


 太一は、瀬戸さんが家に帰ってくるころに電話をかけた。学校中から認知されている有名人である学校一の美少女に、クラスでも認知されているか疑わしい普通の男が電話をかけるなんて、今までの太一なら考えられないことだ。しかし、今の太一は考えもしない。何の躊躇もなく、電話をかけられる。


 「もしもし」

 電話口から、柔らかな声が返ってくる。その時に太一は、やっと自分が電話をかけた相手は学校中の美少女なのだと思い返した。


 「野球部に入部できることになったよ。色々ありがとう」


 「おめでとう! 入部テスト見たかったんだけど、練習中で見れなかったんだよ!」


 落ち着いて話す太一とは違い、電話口で飛び跳ねているかのようなテンションで喜んでくれる。太一は、今一度本当に良かったと思った。


 「瀬戸さんのおかげだよ。本当にありがとう。」

 「ううん。ってことは、佐々木くんに勝ったんだよね。ブランクがあるのに、勝てるなんて、やっぱり太一くんも天才なんじゃない? これまでの努力のおかげだよ、おめでとう。」

 やはり、瀬戸さんは入部テストの条件についても、耳が速い。


 「ありがとう。それでも、やっぱり瀬戸さんが背中を押してくれたからだよ。本当に感謝してる。」

 電話口から、エヘヘと笑い声が聞こえてくる。太一からの本心だ。本当は直接会って感謝の気持ちを伝えたかったが、もう体が戻ってしまった以上、誘うにも理由が足りない気がして誘いづらかったのだ。でも、太一は甲子園に出場して、瀬戸さんを連れていくことで感謝を伝えたいと陰ながら思っていた。そのために、明日からもう一度全力で野球に取り組むと誓った。


 翌日、朝6時に目覚め、今まで押し入れに入れっぱなしにしていた野球道具を取り出す。埃を丁寧に拭き取り、新品同様にツヤを出す。雫は太一が野球をもう一度始めることを見越していたかのようなタイミングで道具を持ってきてくれたものだ。ナイスタイミング。


 丁寧に拭いていると登校時間になっている。道具やユニフォームをカバンに入れ、肩にかける。今まで持ち物が教科書だけだったのが倍以上の持ち物になり、重さが体にズシリと響く。その重さがたまらなく嬉しかった。


 こんなに学校に行くのが楽しみな日はあっただろうか。小学一年生がこれからできる友達や経験に胸躍らせる気持ちが蘇ってくるようだった。


 いきなり野球バックを持って登校すると、何か思われるかもしれないと考えるが、昨日野球部入部テストがあれだけ話題になっていたのだから、太一が野球バックを持っていくのは至って自然のことだ。そう言い聞かせて、太一は胸を張って登校する。

 しかし、やはり登校すると、太一は人の目線が気になった。指を刺されているような気もする。


 違う。

 

 これは昨日入部テストをして、少しだけ話題になっただけだ。そう太一は自分に言い聞かせる。

 廊下を歩いていると、避けられている気もする。

 

 そんな訳ない。


 太一はそういうことに過剰に反応してしまう悪い癖があると自覚していた。だからこそ、自分の気のせいなのだと言い聞かせる。


 でも、野球部の入部テストくらいでこんなにも反響があるものか?

 うるさい。不安になるようなことを考えるな。

 太一はこの状況に見に覚えがあった。嫌でも不安なことが頭をよぎる。

 決して、中学の時のようなことが起きているわけじゃない。起こるわけがない。太一は、高校入学してから、人を避けるようにして生きてきた。火が出ないように、煙が立たないように生きてきたのだ。また、あのようなことが起きるわけがないだろう。


 しかし……。


 「おい、太一」

 教室に入った太一に、佐々木が駆け足で呼んできた。


 「どうした?」

 いつもニコニコしている佐々木が、今日は真剣な顔をしている。これは、ただ事ではない。そう直感した。


 「太一、松葉先生が呼んでるから、職員室まで行くぞ。」

 太一は嫌な予感がした。それは、相当間違いなく当たっている気がする。


 佐々木に従って、小走りで職員室まで向かう。その途中だ。

 「なんかよく分かんないけど、お前の中学の時の話を聞きたいって言ってる。」



 心臓が跳ねた。


 予感が当たった。


 何か佐々木が言っているが、聞こえない。

 足が急に重くなる。体が思うように動かない。呼吸がうまく出来ない。


 また・・

 また、火が出ている? 何もしていないのに。


 太一の目の前に刺していた光は、いつのまにか無くなっていて、今朝まで続いていたはずの道が見えない。暗闇だ。真っ暗闇。


 この先へは進めない。


 「どうした?」

 佐々木が立ち止まり、問いかけてくる。

 「ごめん、やっぱり俺は野球できない。」

 「は? どういうことだよ。」

 「俺は! 何もやっちゃいけないんだよ!」


 太一は走り出した。

 今まで来ていた道。それは戻り道。それでも、一番安全で安心な道だ。


 無意識だった。どこへ行けばいいのか分からない。きっとまたこの学校には居場所がなくなる。どこも逃げ場所がない。


 また。まただ。なんでこうなる。

 そうだ。

 また、目立とうとしたからだ。夢を持っちゃダメだ。今まで通り、誰の目にも触れないようにひっそりと生きていかなければならないんだ。


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