第36話 丸山太一の過去⑤ 決別


 瀬戸さんは、俯いていて表情が分からない。


 「長々とごめんね。本当にしょうもないやつなんだよ、俺は。」


 「……めて」


 瀬戸さんは何か言ったような気がした。


 「勝手に調子乗って、勝手に友達気分になって。」

 止まらない。


 「野球できるだけで、偉そうにしてさ。友達になったと思ってたのも俺だけなんだろうな」

 声が掠れる。口も涙も止まらない。


 「家族が、いるのにさ。俺1人だけだと思ってさ。拗ねて、学校行かなくなってさ。勝手にさ、裏切られた気持ちになってさ」


 「本当に、あの時に死んで」


 「やめてって、言ってるでしょう!」

 瀬戸さんの声が遮る。部屋がキンと冷える。




 「太一くんは、悪くないじゃん!!」


 グズんと鼻を啜る音が響く。


 「太一くんは、調子乗ってたんだろうし、嫌なやつなんだろうなってことはよく分かったよ。」

 瀬戸さんは強く手を握りしめて、続ける。


 「それでも、それでも、人の夢を嘘で潰していい理由なんてない! 太一くんは被害者だよ!」

 瀬戸さんの表情が見えた。大粒の涙を目一杯に溜めて、今にも溢れ出しそうになっていた。


 太一は自分の泣き顔を見る。それにつられて、涙が溢れだしてくる。

 「瀬戸さんは、俺のこと、信じてくれるの?」

 声がさらに掠れる。こんなに涙もろくない。きっとこれは瀬戸さんの体だからだ。


 「もちろんだよ! 私は太一くんのこと信じる。」

 瀬戸さんが大きく頭を振って、頷く。その勢いで、水滴がポタポタと床に落ちる音がした。


 「それに、私は怒っている」

 瀬戸さんは続けた。「太一くんはそんなことできる人ではないのは、私が一番よく分かっている!」


 顎を伝って水滴が落ちる。溢れた涙が止まらない。

 「あ、がとう。」


 「あり、が、とう。」


 「ありがとう」

 太一は初めて、人から信頼された気がした。その充実感も、心を満たす安心感も、初めて味わうものだった。


 「太一くん、もう一回、野球やってみようよ」

 泣き崩れた2人が落ち着いて、瀬戸さんは落ち着いた声で改めて言った。


 「太一くんの夢は、諦めるには早すぎる。まだ、高校一年生だよ? ここから、野球部に入って、うちで甲子園出場して、プロになるってこともできるじゃん!」


 それに、うち野球部一応強いしと瀬戸さんは付け足す。

 「でも、ブランクもあるし、今からできる気がしないな」


 瀬戸さんの意見は最もだし、太一にはありがたい言葉だった。あれから、妹以外から「野球やろう」と言われてなかった。それでも、太一は前に進むのが怖かった。


 「じゃあ、私も朝練とか付き合うから! 野球やったことないけど、私ならキャッチボールとかすぐ覚えられるよ!」

 瀬戸さんは、投げるポーズを取る。素人っぽい構えだ。


 「でも……」

 「もう! でもでもうるさい! 今決めるのは、やるかやらないかでしょう!」

 拙い投げるポーズから、綺麗なフォームを描いて、右手の人差し指が太一を指す。

 「何で自分のことになると、消極的になるの! もっと自分に自信持ちなよ! 推薦取れたのも、リトルリーグでエースで優勝できたのも全部嘘だったんか!」


 「嘘じゃない!」


 瀬戸さんは、自分で聞いて自分で答えた。その答えは、太一が思った答えだ。

 「全部、君の実力でしょ! 1年ちょいくらいのブランクで天才が潰れるものか。私は信じてる。君なら、太一くんなら、“こっから”だって!」


 これだから、天才は。

 「分かった。やるよ。」



 太一は立ち上がって、投球フォームを構える。

 もっと左足は上げる。最後まで右手は見えないように左手で隠す。ここまではゆっくり。そこからは、全体重を乗せて左足を前に出す。体重移動と同時に体を回転させる。最後は右腕を振り抜く。


 「俺は、瀬戸さんの信頼を叶えるピッチャーになるよ」

 

 瀬戸さんはニコリと笑って、微笑んだ。


 「楽しみにしてるね」


 太一は、朝6時に目が覚めた。最近は目覚ましがなくても目覚めるようになった。初めは瀬戸さんに怒られないために必死に自分を叩き起こしていたが、今ではこの生活に慣れたらしい。いつものように、ふわふわして汚れひとつない綺麗なベッドから腰を下ろそうとする時に、太一は気づいた。


 あれ、ベッドじゃなくて布団だ。

 周りを見渡すと、学校中の男子が入りたくてやまない瀬戸さんの部屋、ではなく、何の変哲もない見覚えのある部屋。俺の部屋だ。


 夢を見ているのか。

 太一は布団にもう一度潜り込む。それでも脳は覚醒してしまっている。きっとさっきの光景が脳を覚醒させてしまったのだ。


 考えられる答えは、一つ。



 布団から飛び起き、洗面台に走り込む。そして、鏡に映る姿を見た。

 そこには、今まで見慣れていた美少女から程遠い、平凡な普通の男が立っていた。




 俺だ。


 丸山、太一だ。

 体が、元に戻った。


 太一は、まだ信じられない。信じるには会うしかない。

 そう直感めいたものを信じて、最小限の支度をして、家を飛び出す。目指す場所はいつも朝あっている場所。


 携帯に通知はない。太一も連絡しない。その一手間が惜しい。それでも、きっと、そこに行けば会えると信じられる。


 体が重く感じる。今までが軽すぎたのか。


 でも、今までのように息は荒れない。きっと朝練が効いてるんだ。

 その角を曲がれば、そこにある公園が。


 公園に着くと、そこには今まで見慣れた姿が立っていた。


 「遅くなってごめん。瀬戸さん」

 その美少女は振り向いて、今まで見たくて仕方がなかった表情を作る。


 「待ってたよ! 太一くん!」


 公園に着いて気づいたが、太一の指から指輪が抜け落ちていた。

 その日帰宅した太一は布団から指輪を見つけて、大事に机の引き出しにしまった。


 瀬戸さんも太一も、本当の自分の気持ちを見つめ直したことが、体が元に戻るトリガーだったのだ。


 本当の自分を見つめることは、必ずしも難しいことではない。それでも、2人にとっては、そう簡単ではなく、人生を変えるきっかけとなったに違いない。


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