第35話 丸山太一の過去④ 転落
記憶が定かじゃないが、中学3年生の5月だったかな。いつも通り登校すると、いつもと様子が変わっていた。みんなの様子も、学校の雰囲気も、先生から寄せられる目線も。
腫れ物に触れるかのような目線を浴びながら、自分の教室まで歩んでいく。その途中で、担任の先生に呼び出され、職員室の横にある応接室まで連行された。
初めて入る部屋だ。校舎は古いのに、この部屋のソファだけ重厚感があって、普通の生徒は入らない部屋であることが一目で分かった。
先生は視線をウロウロと転がせて、手を組み替えながら、聞いてきた。
「笠原、いや丸山くん。君の口から詳しく事情を聞きたいんだが、うちの女子生徒に乱暴したというのは本当かね?」
は?
視界が歪む。
一体何を言われたのか飲み込むのに時間がかかった。それも良くなかったのだろう。
「やっぱり、そうなのか。」
今度はしっかり目を見て、強い口調で問うてくる。
「え、いや、違いますよ! どうしてそんな話が出てくるんですか!」
「冬休み中に被害に遭ったという女子生徒から、連絡があったんだ。君に乱暴されたと。」
「誰ですかそれ。俺はそんなことしてない!」
必死に抵抗する。
「君が知らないはずないだろう。私も君を信じてやりたい。これまでプロになるために、野球を頑張ってきたことも知っているし、第一志望の高校から推薦が出て、それが取り消されるかもしれないのに、こんなことをするはずがないと思っている。」
え? 自分の耳を疑う。
視界が暗くなる。視野が狭い。理解が追いつかない。
「推薦が取り消される?」
「なんでそんなことになってるんですか!? 意味わかりませんよ!」
口調が強くなる。声も大きくなる。
「だって仕方ないだろう!! 証拠があがっているんだ!」
証拠が、あがっている? この人は何を言っているんだ。俺は何もやっていないのに、何の証拠が、あがっている、と、言っているんだ?
「じゃ、じゃあ、その証拠、見せてくださいよ! 俺がその証拠は嘘だってこと説明しますから!」
手を差し出して、先生との距離を詰める。
「そんなことできるわけないだろう! 被害にあった生徒は、恥ずかしい思いをしてまで聞かせてくれたんだ。その証拠を加害者であるお前に提示できるわけないだろう!」
被害者? 加害者?
意味がわからない。。
意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。
「俺は、どうしたら信頼してくれるんですか」
もう先生を直視できない。何を言っても聞いてくれない。
何でもする。
推薦のためなら、何でもする。
そのために何をすればいいのか、教えてくれ。
「もう、お前を信じることは出来ないんだ。お前がやったという証拠がある。でも、女子生徒の意向で、警察沙汰にはしないと言ってくれた。良かったな。」
「警察沙汰にはしない? 俺は何もやっていないのに!」
「また、お前は……。いいか、お前はやってはいけないことをやった。今日お前を呼び出したのは、お前が反省しているのかを知るためだった。だが、お前の反省の色は見えない!」
反省? 俺は何を反省すればいいんだ?
「未来のスターを失くすのは悔しいが、これは推薦先にも連絡するからな。お前の気持ちは察するが、我が校の評判を下げるわけにはいかないからな。後輩たちのことも考えてくれ……」
その後のことはよく覚えていない。
学校中の奴らは、俺を白い目で見て、俺のいないところで俺の噂を話し、学校中に居場所がなかった。
一番ショックを受けたのは、トイレに入る前に聞こえてきた会話だった。
「聞いたかよ、笠原の話」
「ああ、女とやったらしいな。誰とやったんだ?」
「それは知らねーけどよ。やっぱり、野球上手いからって、明らかに調子乗ってたもんな。」
「それは思った。いつかはやると思ってたけど、だいぶ早かったな」
ケラケラと笑い声が壁を通り抜けて、聞こえてくる。声の主はよく聞き覚えのある、クラスメイトだった。
珍しく、リトルリーグの練習に行かず、学校から家に真っ直ぐ帰る。家に帰るなり、母が血相を変えて迎えた。
「太一、何があったの? 今高校から推薦を取り消すって電話があったけど。詳しくは学校に聞いてくださいって。今日何か聞いてない?」
「俺は何もやってない!」
今日使うはずだった野球バックを廊下に投げつけて、2階の自室に逃げ込む。
それからは、記憶が曖昧だ。
少なくとも、野球を辞めて、学校に行かなくなった。
当然だ。どちらも続ける意味がなくなったのだから。
ーーーー
俺はしばらくベットから起き上がることが出来なかった。体がうまく動かないのだ。
その中で、考えたくもないことが頭の中を駆け巡る。
あの時先生に言われたこと。
トイレで聞いた友達と思っていた他人の噂話。
その頃、父と母は今まで声をかけてくれた全ての高校に、もう一度推薦をいただけないか聞いて回ってくれていたらしいが、どこも既に推薦の枠は決まっているらしく、空振りに終わった。
俺が部屋にこもっている間、学校の友達を名乗る人も、リトルリーグの関係者も、誰1人家を訪ねてくる人はいなかった。
以前受けた取材もお蔵入りになったとの連絡が来た。
誰も俺の味方はいない。死んだ方が楽なのではないかと何度も考えた。
俺は父の夢を叶えるためにプロ野球選手を目指してきた。父との約束である「人に信頼されるピッチャー」になるために、今まで野球に邁進してきたつもりだ。そのおかげで、良い成績も得られて、友達と思える人も増えていた。それなのに、今回の一件で全て失った。夢も友達も生きる意味も。
誰も、俺のことを信じてくれる人はいなかった。結局、俺は誰からも信頼されていなかったんだ。
俺は、高校からの推薦が取れて、夢が叶ったと思っていたら、何も、父との約束を何も果たせていなかった。それが一番辛い。
当時の俺が死ななかったのは、雫の影響が大きい。
雫は、俺を無理に部屋から引きずり出そうとはしなかった。それでも、毎日扉の隙間から紙が差し込まれていた。書き込まれている内容は毎日同じだ。
「死んだら殺す」
これは雫がやめるまでは死ねない、雫がやめるまでの耐久戦だと思った。
今思えばしょうもない理由だ。本当に死ぬ気があったのかも疑わしい。
そこからは、雫がやめないから死ぬことを諦めて、家で勉強することにした。その理由は単純で、同じ中学の奴らが行かない県外の高校に行きたいからだ。県外に行くなら私立になり、高偏差値なら良いという条件が親から出されたため、勉強する必要があった。
今まで勉強というものをしたことがなく、やりたいとも思ったことがなかったが、勉強しなければ、あの地獄の様な学校に行かなければならないと考えると、勉強は進んだ。
それで、今の高校に進学することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます