第32話 丸山太一の過去① 父親と野球


 俺の父は、野球熱心な父だった。知っている人は知っている『笠原雄平』、それが父親の名前だ。


 笠原雄平は、関西の超名門校のエースとして高校野球でベスト4まで進出した。しかし、笠原雄平は、1人で地方大会から何試合も投げ込んで甲子園にチームを連れてきた。当時は投手の球数制限なんてものはなく、1人で何試合も何百球も投げるのが普通だったのだ。


 今の高校野球にピッチャーの球数制限が設けられているところからも分かるが、1人で何試合も投げ続けていれば壊れる選手が出てくる。それがたまたま笠原雄平だった。笠原雄平は柔な投手ではない。チームメイト、監督、OB、保護者からの期待と信頼を一身に背負って戦っていた。その負担が大き過ぎたのだ。


 甲子園決勝進出をかけた試合で、途中交代を余儀なくされ、笠原雄平1人で戦ってきたチームは、柱を失った家のように崩れてゆき、ベスト4で破れる結果となった。そして、将来プロ野球選手になる夢も現実のところまで来ていた笠原雄平の夢は、叶わないものとなった。


 その夢を引き継いだのが俺だったというわけだ。

 今どきの一般的な感情としては、親の夢を子供に背負わせるなと感じるだろう。親と子供は別人なんだから、子供には子供の人生があるという意見もよく聞く。これらの意見は十分に理解できるし、自分も大勢に混ざって同じように言っている自信すらある。


 しかし、俺は父の夢を背負えて、一緒に甲子園で優勝してプロ野球選手になるという夢を持てて幸せだった。何より、すごい父を持てて誇らしいし、同じ夢を持って頑張ることに快感すら覚えていた。


 幼稚園からキャッチボールや素振りのようなことを初めて、小学校では学校のクラブではなく、リトルリーグという地元の野球チームなんかより本気で野球をする外部のチームにも参加した。同じ小学校から外部のリトルリーグで野球をする友達なんていなかったけど、この選択に一切の疑問も不満も抱かなかった。


 小学校ではリトルリーグのキャプテンに任されて、エースもした。チームは県大会で優勝も果たした。

 自分の周りには、自分より野球が上手いと思う人は見当たらなくなっていた。


 中学でも地元で一番強くて厳しいというリトルリーグに参加した。

 ここでも1年生から試合に出場するようになり、天才とか10年に一度の逸材とか言われるようになった。


 父親が嬉しそうにしているところをよく見るようになったし、よく褒めてもらえるようになった。


 高校生になったら甲子園に出て、インタビューとかも受けるようになって、10年後くらいにはプロ野球選手になっている姿を想像していたし、想像ではなく現実に起こりうる未来として考えていたほどだ。


 熱闘甲子園では、チームのエースである自分の父親の話に絶対なるし、その時は父と小さい時から野球漬けの毎日でしたと答えようと決めていた。

 

 全てのことがうまく進んでいた。今思い返せば、上手く行き過ぎていたのだ。

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