第29話 瀬戸楓の過去⑤ 本当の夢

 「ごめんね、長い話聞かせちゃって。」

 瀬戸さんは声を掠らせながら、笑って言った。


 「いや、全然。むしろ、話してくれてありがとう。」


 太一は、いろいろと声をかけるべきだとはわかっていた。瀬戸さんが頑張る理由やなぜそこまで高校生活を楽しもうとするのか、それはきっと嵐くんの分まで楽しまなくてはならない、頑張らなくてはならないという気持ちだったのだろう。


 今までずっと瀬戸さんは自分とは別次元の人間で、頑張ることは生まれてきた時点で標準装備されていて、楽しむことも何のストレスもなく人間関係を作れて、思ったことが思ったように実現してきた人生を送ってきたのだと思っていた。

 そんな考えをしていた自分を憎む。

 太一は大きく考えを誤っていた。


 もしかしたら、瀬戸さんだけがいろいろと悩んで苦しんで今を全力で生きているのかもしれない。それでも、太一は「インキャ」か「ヨウキャ」かだけで判別していた。その人自身を見ていなかったのだ。

 太一は大きく反省した。


 「ごめん。」

 太一は、瀬戸さんに頭を下げた。

 「え? どうしたの?」

 瀬戸さんは慌てて、太一の頭を上げようとしてくれる。

 「俺は、瀬戸さんのことを誤解してたみたいだ。瀬戸さんは今まで何も失ったことがなくて、努力することも普通で、自分の思い通りの人生を歩んできたんだとばかり思っていた。本当にごめん。」


 太一は頭を上げて、瀬戸さんの顔を見ると、細い目が丸くなって驚いていた。

 「はははっ! 私の努力量見て、あれが普通にできる人間なんていないよ!」

 瀬戸さんは腹を抱えて笑った。


 「まぁでも、この話をしたのは太一くんが初めてだよ。もう親友だね!」

 太一の心臓がドキンと跳ねた。


 おかしい。

 太一の目線には、自分の顔と体が写っているのに、瀬戸さんと話す時は、脳内で勝手に瀬戸さんの顔で声で言われているように写ってしまう。


 かわいい。

 はぁとため息を吐いて、絶対に瀬戸さんに話を聞いたから親近感を覚えたんだと太一は冷静になる。

 

 「それに、人から強い人だと言われる人は、絶対に何かは失った経験のある人だと思うよ。その失ったものが大きいものなら、その分だけ強くなれるんだと思う。そう自分に言い聞かせて、私は頑張ってきたかな。」


 ハッとした。

 太一は、ずっと追い求めていた言葉に出会ったような感覚を得た。

 でもそれは、太一にとって、聞きたくなかった言葉でもあった。今の自分を否定する言葉でもあったからだ。


 「それでね、私、本当は医者じゃなくて、弁護士になりたいと思ってるんだよね!」

 瀬戸さんは太一の思考を遮るように言った。太一が考えていることを一瞬で消し飛ばすほどの力を持った宣言だった。


 「え?」

 「だって、お前の本当の夢は医者なのか? っていうところから、この話が始まったでしょ? "昔の約束"では、私医者になりたいんだけど、今は弁護士になりたいって思ってる。」


 「いつから?」

 「うーん、最近かな? 決め手になったのは、安西先輩が明里ちゃんを餌に私を釣ろうとしていたことがあったでしょ? 私昔から正義感が強くて、筋の通らないこととか大嫌いなんだけど、あの事件で確信したかな。」


 「なんで、医者は嫌なの? 医者より弁護士が良いってこと?」

 「ずっと医者なら薬の勉強とかしなくても良いって思ってたけど、医者って薬の勉強めっちゃいるじゃん! ってなったのが最初。それから、医者について調べてみると、なんかイメージと違うというか、本当に私の人生ずっと医者でいいのかなって思っちゃったんだよね。」

 「まぁ、子供の頃思ってた夢を調べてみたら、想像と全然違くて夢を変えるなんてよくある話じゃない?」と瀬戸さんは軽く笑っていた。

 「でも、瀬戸さんのお兄さん、昔の約束を本気に思ってたけど、大丈夫なの?」

 瀬戸さんは一呼吸おいて、口を窄めて言った。

 「だって、私の本心を出させたの、太一くんなんだから、責任とってよね……?」

 少し顔が赤らんでいるように見える。

 太一の脳内で目の前に見える姿が瀬戸さんの表情、声色で出力されているものに変換されて、可愛さで悶絶しそうになる。

 しかし、太一は冷静になると、目の前に見える自分の顔でその可愛い仕草をされることに悶絶した。

 絶対、体が元に戻ったら、瀬戸さんの体で今のと同じことをしてもらおうと誓った。


 「まぁ、乗り掛かった船だからな。俺にできることならするよ。兄の説得をすればいいか?」

 頬を赤らめて横に向いている瀬戸さんに、その仕草止めろと思いながら、太一は言った。

 瀬戸さんは、聞いてパッと表情を明るくして、「ありがとう!」と言った。

 「お兄ちゃんの他にも、お父さんとお母さんにもお願いね!」

 「えっ?」

 太一は、安請け合いした自分を憎んだ。


 ――


 太一は、今瀬戸家のリビングにいた。

 瀬戸さんの両親に夢のことを相談するためだ。

 なぜ、俺がしなければならないのか、太一は今もわからない。夢の話は体が元に戻ってからすればいいのにと思っていたら、瀬戸さんが両親に勝手にメッセージで「話があるから時間ちょうだい」と送ったのが原因だ。

 「よろしく〜」と満面の笑みで手を振っていた瀬戸さんの笑顔は、初めて可愛くないと思った。


 父親は大手広告代理店の役員。母親は料理教室を開くほどの有名なインフルエンサーだ。

 太一は目の前に座っている人たちは、住む世界が違うことをそのオーラで気付かされた。

 「で、相談って何のことだ?」

 腕組みした父親が少し低めの声で言った。

 そこから、太一は瀬戸さんに作ってもらった台本通りに夢の話を語った。

 今まで医者を目指していたが、弁護士を目指したいということ。なぜ、夢を変えたのか。これからは何を頑張るのか。

 話終わるまで、両親は何も言わず真剣に話を聞いていた。

 

 「ふむ。よく自分で考えて決断したな。小さい頃に考えた夢は成長とともに変わっていって当然だ。きっと今の楓の頑張りは嵐も誇らしく思っていると思うぞ。まだ1年生だし、バスケに集中するのもいいだろう。弁護士なら大学に入ってからが勝負だろうからな。また塾に行きたい時は、相談してくれ。」

 母親も頷いて、父親の意見に同意のようだ。

 何と聞き分けの良い両親なのだろうと思った。

 普段、会話はあまりしていなかったから、真剣に会話するのは太一にとって初めてだったが、こんな良い両親に少し嫉妬しそうなくらいだ。

 「ありがとう。今まで通り頑張るから。」

 

 「それとね、お兄ちゃんから伝言があるわよ。」

 母親が微笑みながら、話した。

 「お兄ちゃんは、楓に昔約束をしたことで、楓のことを縛り付けてるんじゃないかと心配してたの。だから、もし楓から夢のことで相談されたら、お兄ちゃんも応援すると言っておいてくれって。」

 太一は驚いた。一番説得に手間がかかるのが、瀬戸兄だと思っていたからだ。

 前の合宿で太一の取った態度で心配になったのかしれない。この両親に加えて、変態かもしれないが優秀な兄。瀬戸さんが人格的に優れているのもこの家族のもとで育ったのなら納得だと思えた。


 「嵐も嬉しいだろうな。これだけ、お兄ちゃんにもお姉ちゃんにも思ってもらえて。その気持ちだけで嵐は嬉しいし誇らしいと思うぞ。楓が歩いているのは楓の人生だからな。楓の気持ちに従って生きれば良いんだ。その道を俺たちは応援してるからな。」

 父親はしみじみとした声で言っていた。太一は父親としっかり話したのは初めてだが、この人は瀬戸さん兄も嵐くんもそして、瀬戸さん自身もきちんと愛していることが分かる声色だ。


 「ありがとう」と言って、太一は自室に戻り、瀬戸さんに無事完了した旨の連絡をした。

 すぐに既読がついて、返信が返ってきた。


 「ありがとう! また明日集合ね。。」

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