第28話 瀬戸楓の過去④ 昔の約束

 嵐が死んだ後のことは、しばらく記憶が朧げだ。嵐の最後の瞬間は、10年が経った今でも鮮明に覚えているというのに、その後のことを覚えていない。

 何というか、ずっと気が動転していたみたいだった。


 それでも、大人というのは凄くて、嵐が死んですぐに葬式の手配をしたり、親戚に連絡したり、職場に連絡したり動き回っていた。私もお兄ちゃんも泣き崩れて、この気持ちをどこへぶつけてやれば良いのか分からない状態なのに。


 初めは、お父さんもお母さんも嵐の死が悲しくないのかと怒る気持ちもあったが、葬式が終わっても、お父さんもお母さんも口数が減って、笑顔もなくなっていた。

 今思えばやっぱり、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも私もみんな嵐の死を受け入れられていなかったのだ。


 それからお兄ちゃんも私も、学校にクラブ活動のバスケを淡々とこなして、記憶に残らない日々を送っていた。

 嵐という私たちの目標を失ったことで、努力の意味や方向性が無くなったからだ。


 いろいろと考えた。

 嵐が成長した姿を目標にするのはどうか?

 嵐ならきっとプロバスケ選手になってたかもしれないし、偉い学者さんになっていたかもしれない。

 記憶力も良かったしイケメンだったから、もしかしたら天才子役俳優として芸能界入りして有名人になっていたかもしれない。

 そう考えると、嵐はやっぱり凄いな。私ではとても叶えられそうもない将来ばかりだ。

 嵐ならこうなっていた、将来はこれくらい凄い人になっていたと考えていると、あの時のお父さんの言葉が思い返される。

 

「あの子を失うのは日本の損失だ。俺たちでしっかりと育てよう。」


 本当に死ぬべきだったのは私だったのではないか?

 私はお兄ちゃんほど努力も出来ないし、嵐のように天才ではない。

 兄弟で1番凡人は私だ。


 ある時、お父さんが私とお兄ちゃんを、いつもバスケを練習しに来ていた公園に連れてきてくれた。

 お父さんと私、お父さんとお兄ちゃん、お兄ちゃんと私の1 ON 1対決をそれぞれしてから、公園のベンチで休憩をする。

 お父さんは私たちの試合をしている間に、ポカリスエットを買ってきてくれていた。

 お父さんは私たちに、「バスケ上手くなったな!」とか、「学校はどうだ? 楽しいか?」とか聞いてくれた。それでも、私とお兄ちゃんは、やっぱり、聞かれた内容だけ答えて、暫し沈黙が訪れる。

 

「お前たちも嵐の分まで生きるんだぞ。」


 お父さんは沈黙を破って話し始めた。

 私もお兄ちゃんも、嵐の話はいつも雰囲気が暗くなるから無意識的に離さないようにしていたが、お父さんから嵐の話題が出たので、驚いて斜め上のお父さんの顔を見る。


 お父さんは私たちを見ることなく、真っ直ぐに前だけを見て話を続けた。

「嵐が亡くなったのは、誰のせいでもないし、嵐が弱かったわけじゃない。嵐は強い子だ。そしてこれからもだ。俺たちが嵐のことを忘れずに思っていれば、嵐は、俺たちの心の中で生き続けられるんだ。だから俺たちは嵐に負けないように生き続けないといけないんだ。もしかしたら、怠けてたら嵐に怒られるかもしれないぞ?」 

 お父さんは所々鼻を啜りながら、強い口調で話した。


 もう目は涙ぐんでいない。

 きっとお父さんはいっぱい泣いて、悔やんで、悩んで、そしてもう前を見ているんだ。

  

「お父さんもお母さんも、嵐に負けないように頑張る。だからお前たちも嵐に負けないように、これからも頑張って行こうな。」


 お父さんはやっと私たちの方を見て、微笑みかけてくれた。その笑みは、これまでの私たちの努力を認めてくれている顔だと感じた。

 きっと、お父さんもお母さんも、私とお兄ちゃんの努力をずっと見てくれていて応援してくれていたんだと分かった。


 私は涙が止まらなかった。

 いっぱいお父さんは私の頑張りも見てくれていたんだとか聞きたいことがあったけど、そんなことを聞く余裕も必要もなかった。


「うん。」

 私は俯いて涙を拭いながら、短く答えた。

 お兄ちゃんはお父さんから目を離さずに返事していた。返事からは泣いていたのが分かった。


「さぁ、帰るか! 今晩はお母さんがカレー作ってくれてるぞ!」


 ――――


 帰宅するとお母さんがカレーを作って待っていてくれた。

 カレーは、私たち兄弟の一番好きな食べ物だ。


 嵐が死んでから初めての家族団欒だったと思う。いや、嵐がまだ元気な頃以来だったかもしれない。少しだけ嵐が元気だったころを思い出すことができた。

 その後、お風呂に入って、家族みんなでテレビを見て、それぞれの寝室に向かった。


 もう私もお兄ちゃんも、それぞれの部屋があり、私は私の部屋に戻ろうとしていたが、お兄ちゃんが私にこっちへ来いと手招きをしているのを見て、お兄ちゃんの部屋に向かう。


 お兄ちゃんは、勉強机の椅子に腰掛けて、少し真剣な顔になった。

 「楓はお父さんに言われて、何か目標を持ったか?」

 私はお父さんに言われて、嵐のために頑張ろうとは思ったものの、具体的に何を頑張るのかは考えていなかった。


 私は首を横に振った。

 お兄ちゃんは、うんと頷いて、少しずつ自分の想いを話した。


 「俺は本気で嵐に勝つつもりで努力してきた。嵐に勝ち逃げされちまったけどな。でも嵐が元気で成長していたら、俺はずっと勝てなかったことも自分で分かってる。だったら、俺とお前の2人なら嵐に勝てると思うんだ。俺たちがずっと嵐にすごいお兄ちゃん、お姉ちゃんを持ったと思ってくれて、嵐に勝つには嵐の夢を俺たちが叶えることだと思ったんだ。」


 私は一気に視界が開けるような感覚に襲われた。

 重く閉じた瞼をこじ開けられて、太陽光が目に容赦なく注ぎ込むような気さえした。

 きっと今まで、ずっとモヤモヤしていたんだと思う。嵐という目標が無くなった私は、これからどうすればいいのか。

 目標のない毎日は、暗闇から出口を目指して闇雲に走り続けるほどに苦しいものだと、今わかった気がした。

 私の目指す目標はこれだと直感した。


 私の様子を見たのか、お兄ちゃんはニヤッと歯を見せた。


 「それで、嵐の夢って?」

 私は早く目標という答えを得たくて、前のめりに聞いた。


 「前に病室で、嵐が言っていたことを覚えているか?」

 そうだ、嵐は病院の先生と仲良くなっていた。薬とか治療方法とかに興味を持って、自分で調べては先生に質問していたのだ。

 そこで学んだことを私やお兄ちゃんにも良く聞かせてくれていた。


 「あの時の楽しそうな嵐の笑顔は、初めて見たんだよ。だから、嵐はきっと医者か薬剤師になっていたんだと思うんだよな。それも、イケメンでバスケも出来て、大きな病院の偉い人!」

 お兄ちゃんはイキイキと嵐の将来を語った。


 私も容易に想像のつく将来像だった。

 お兄ちゃんが言うことによって、私の中の嵐の将来がより濃く鮮明になった。

 

 「俺たちは2人で1人だ。嵐の将来を2人で叶えるんだ。それに、嵐はきっと日本の宝だったんだ。でも嵐のように将来有望な子供たちが病気で死んでしまうのは悲しいことだと思うし。」

 私はウンウンと首の可動域全部を使って頷いた。

 「よし! 決まりだな!」とお兄ちゃんは勢いよく立ち上がり指切りの小指を突き出した。

 私も小指を突き出して、ゆびきりげんまんをした。


 「私、お医者さんが良い!」

 指切りをしながら、お兄ちゃんに言った。

 「どうして?」とお兄ちゃんは聞いてくれたが、今となっては大した理由はなかったのかもしれない。

 「嵐の薬の話よりも、病気の治し方の話の方が面白かったから!」

 「ふふっ、じゃあ、楓は医者。俺は薬剤師を目指す。これで良いか?」

 私は1回大きく頷いた。

 

 「ゆーびきったっ!」

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