第27話 瀬戸楓の過去③ 最後の時

 一気に体温が下がる気がした。冷や汗で背中にシャツがピタッと引っ付いたように感じる。

 病院に着くまで車の中は静まり返った。


 病院に着くと、赤くランプの点いた手術室の前でお母さんが手を合わせて祈るようにして座っていた。


 今手術をしているんだと私は理解する。

 お父さんはお母さんの肩を抱き寄せて、隣に座った。私とお兄ちゃんもお父さんに続いてその隣に座った。


 手術室前に着いてからどれくらい時間が経ったのか分からないが、お父さんがポツリポツリと話始めた。

 「何も言ってやれなくてすまなかった。お父さんもお母さんも少し動揺していて……。嵐な、幼稚園で倒れたらしいんだ。事故があった訳では無いらしい。何かの病気みたいなんだが、まだ原因は分かっていない。今は先生が嵐の命を救ってくれている。」



 嵐が病気……?


 今朝だって、いつものように朝ごはんにパンを食べて、牛乳を飲んで、今日幼稚園ですることを私に言ってくれていた。いつもと同じ日常が今朝にもあった。なのに、いきなりそんな……。とても病気を持っていたとは思えなかった。

 驚くほど頭はクリアに働いている。それでも、私もお兄ちゃんも言葉が出てこなかった。


 手術室の赤いランプが消えた。ドラマでよく見た景色だ。手術室から出てきた先生とお父さんとお母さんが話している。

 話し声は聞こえてこなかったけど、お父さんとお母さんの表情を見ていると、手術は上手くいったのが分かった。


 良かった。

 今まで張り詰めていた緊張がほぐれて、一気に脱力感が押し寄せてくる。私はその脱力感に抵抗できなかった。


 気がついたらいつもの布団に包まれていていた。あれから、私は病院で寝てしまって家に帰ってきたらしい。


 「お父さん、嵐は?」

 私はリビングにいるお父さんに眠い目をこすりながら言った。

 「あぁ、嵐は今病院にいるよ。お母さんが一緒にいるから、昼からみんなで行こう。」


 それから、驚くほど時間が経つのが早かった。

 お兄ちゃんとは、嵐が天才だから俺たち凡人といい勝負が出来るようにハンデを与えてくれてるんだと言い合ってひたすら努力した。

 嵐が戻ってきてから、立派な凄いって思ってもらえるお兄ちゃんお姉ちゃんになるために。

 それから、肌寒くなる季節には、一度嵐は退院して家に帰ってこられた。

 もともと細身だった嵐の体はさらに細くなっているような気がしたが、私たちは気づかないふりをした。


 それから、嵐はまた体調を崩して入院した。入院することになっても、嵐は病室から見える空がすごく綺麗なんだと私たちに笑顔を作っていた。

 また私たちは、嵐が帰ってくるまでただ淡々と頑張る生活を送る。


 嵐が初めて緊急搬送してから、一年が経って私が小学2年生、お兄ちゃんが小学4年生になっていて、その頃には小学校では有名な天才兄弟と言われるようになっていた。

 初めは、「私たちよりももっと凄い弟がいて、天才なのは弟だけなの!」と毎回訂正を入れていた。みんなはそんな硬い気持ちで言ってたつもりがないのは分かっている。それでも、私は間違っていることを見逃すのは、なんだかモヤモヤしてしまう性格だった。それでも、嵐が入院してから2年が経ったあたりからはいちいち訂正するのを辞めた。


 嵐のお見舞いにはよく行っていたが、それでも目で見て分かるくらいやつれていっているのが分かる。それでも、嵐は空元気で私たちを悲しませないように明るく振る舞ってくれた。

 何度トイレと言って、外で泣き崩れたかわからない。



 もうすっかり寒さが染みてくる季節になった時、夜中にお父さんに叩き起こされた。


「病院に行くから準備して」


 お父さんが着替えをしながら、私とお兄ちゃんに言った。寝起きが悪い私でも、その時は自分でも驚くくらい一瞬で頭が活性化された。


 悪い予感がする。

 お互いに何も聞かない。それでも、お兄ちゃんも同じ気持ちだったんだと思う。車で病院に向かう。


 病院について、いつも通い慣れた入口とは違う緊急用の入り口から入る。看護師の人が外で待っていてくれた。


「瀬戸さん! こちらです!」


 大きく手を振って看護師さんが呼んでくれた。

 早歩きで病室に向かう。


 病室はお医者さんや看護師さんなど数人が集まっていて、ドアは開放されていた。

 病室に入ると、お母さんは泣きながら、それでも強くはっきりとした声で言った。


「ほら、嵐。お父さんとお兄ちゃん、お姉ちゃんが来てくれたよ。話したいことがあるんでしょ?」


 お母さんは嵐の手を両手で握りしめていた。遠くからでも手が震えているのが分かる。

 嵐は目を閉じてベットに横たわっている。顔は異常なまでに白く、頬が欠けているように見えた。口には透明なマスクのようなものまで付けられていた。たぶん、呼吸しやすくするためのやつだ。一昨日来た時には付けていなかったのに。


 お父さんがお母さんに代わって、嵐の手を握りしめる。


「嵐、分かるか? 颯と楓を連れてきたぞ……!」


 お父さんの大きな手に水滴が落ちる。最後何か言おうとしていたが、声にならない。

 嵐の頑張っている姿は、私やお兄ちゃんにはとてもキツかった。とても見ていられない。嵐の顔を見てしまうと自分が自分ではなくなってしまうようで、嵐の周りの環境を見て冷静になろうとしていた。


 でも、それは私たち子供だけじゃなくて、お父さんやお母さんみたいな大人でもそうなんだとお父さんの姿を見ていると分かる。そして、お父さんもお母さんも、しっかりと嵐の顔を見て話しかけている。

 この状況から逃げないでいる。

 

 堪えていたダムが決壊した。溢れて止まらない。


「嵐、お兄ちゃんもお姉ちゃんも連れてきたぞ! さぁ、お前が話したかったこと話してやれ」


 お父さんは、私たちの方に目配せした。

 それを見て私とお兄ちゃんはお父さんと変わって、嵐の手を握る。

 私は声を出して泣いていた。

 自分の記憶がある内では、初めてだ。


 「嵐、ずいぶん元気が無いみたいじゃないか……? まだ俺はお前に勝って無いんだからな? 今度は何で勝負しようか? あれから俺も楓もバスケ上手くなったんだぞ? 勉強も頑張ってる。今の俺たちは、昔の俺たちじゃないぞ? お前でも勝つには苦労するだろうなぁ……」


 お兄ちゃんは、私の代わりに話してくれた。


 「お前が居なくなったら、俺たちのライバルはどこにいるんだよ!?」

 お兄ちゃんは一層大きな声を出した。


 この声に反応したのか、手に感覚が走る。

 私もお兄ちゃんも目を見開いて、お互いの顔を見た。

 気のせいじゃないみたい……!


 「嵐! おい、嵐、聞こえてるか?」

 お兄ちゃんが叫んだ。

 私がお父さんに、嵐が手を握り返したと報告する。

 

 お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、私も、ベットの近くに寄ってきていた先生も嵐の名前を呼ぶ。


 嵐は少しだけ目を開けて、私たちの方に顔を向けた。

 こちらが見えているのかは分からない。それでも、嵐の視線を感じれた。

 ほんの少しだけど、嵐の唇が動いた。

 そんな気がした。

 でも、きっと嵐が私たちに話したかったことを話したんだと思う。

 嵐は精一杯を出して、最後に目から涙が流れた。


 嵐は、私たちだけじゃなくて、自分にも負けなかったんだ。

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