第23話 遠征③ 昔の約束

 頭が混乱していることが自分でも分かる。太一からすれば兄から妹の努力を否定されるのは予想外の出来事だった。

 

 「どうして?」

 太一は考えるより先に聞いていた。兄ならば妹の努力を誉めて、決して否定してはいけないと思っていたからだ。

 「なんでって、俺たちの目標はそこではないからだよ。模試で学年一位になれたとしても、俺が一年生の時の成績より低かったぞ。母さんに見せてもらったけど。」


 模試の成績も兄に報告してるのかよ。良いところの家庭はよく分からんな……。


 「俺はバスケ部に入っていたけど、それは単純に趣味程度で、居残り練習よりも塾を優先していたぞ。それに比べると、楓は部活に集中しすぎている。塾も行っていないらしいじゃないか。」

 先ほどのヘラヘラした雰囲気はなく、目は真っ直ぐに楓の目を見ている。反論があれば叩き潰すという殺意のようなものすら感じた。


 「何よ、私がどれだけ頑張ったかも知らないくせに。私は今バスケ部で頑張るのが楽しいの。もちろん勉強もやってるし、結果も残してるんだから、グチグチ言ってこないで。」


 太一は本心をぶつけてみる。何がトリガーになって瀬戸颯を怒らせたのかは分からないし、過去にこの兄弟に何があったのか知らないけど、頑張っている人を止める道理などないと思っている。


 「結果か。昔した約束通り俺は薬学部に入った。その俺の一年生の成績より、今の楓の成績は低いと言っているんだ。それに当時の俺よりも勉強できていない。俺よりも高みである医学部を目指しているのに、今のままじゃ約束を達成できないんじゃないかってことだよ。俺たちの約束はそんな簡単に扱わないで欲しいよ。俺たちのした約束は、絶対に叶えないといけない夢なんだから。楓はもっと理性で話ができると思っていたんだけどな。」


 「約束、約束って、大事なのは昔じゃなくて今でしょ! 自分の人生なんだから何をいつ頑張るかは私が決めるから!」


 そう言って、太一は立ちあがろうとすると、手首が動かない。

 痛い。


 すごい力で握られている。一体何が起きているのか分からない。

 自分の動かない手首を見ると、握りしめられているのが分かる。瀬戸さんは女子の体とはいえ、部活をしてある程度鍛えている。この体でも抵抗できないほどの力で握りしめられている。


 怖い。

 自分の手首を握りしめる手を辿っていくと、瀬戸兄が握りしめていた。目元が前髪に隠れて見えない。唇を噛み締めているように見えて、怒っているのが分かる。

 やばい。この人を怒らせてしまった。太一は、これまでの自分の発言を反芻する。何が問題だったのか。分からない。もっと瀬戸さんに聞いておけばよかったと後悔する。

 瀬戸兄は細身だが、女性からすれば男はこんなにも力があるのだと恐怖を覚える。


 「あっ、ごめん。」

 瀬戸颯はすぐに手を離してくれた。

 太一は自分の発言がこの男を怒らせたのだと分かる。だが、謝るべきなのか、何が原因なのか分からないのに謝っても良いものなのか、判断できず、言葉が出てこない。


 「楓、ごめんな。楓も練習終わりに呼び出されて、イライラしてたんだもんな。でも、昔にした約束は俺たち兄弟にとって人生そのものだと思ってたんだ。それは、俺だけじゃないと思ってる。俺も言いすぎたところがあるのは謝るよ。」


 瀬戸颯を怒らせたのは、"昔の約束"を蔑ろにしたことが原因か。

 「私のほうこそ、ごめん。また電話するよ。」

 そう言って、太一はタリーズを後にする。


 ――


 合宿2日目は、昨日の瀬戸兄との会話を思い出し、集中できなかった。今は帰りのバスの中にいる。みんなは疲れて爆睡しているが、太一だけは考えることが多すぎて睡魔に負ける余裕はなかった。瀬戸さんに詳しく事情を聞く必要があるのはもちろんだが、どうやって聞けば良いのか、そもそも聞いても良いものか、悩んでいたのだ。


 昔のことを聞くのは、詮索になるだろうし、初めに決めたルールに反してしまう。それでも、この"昔の約束"には、体を元に戻すヒントがある気がしてならない。

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